長期企画 東海道歩きその28 関-水口 3/3 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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9月13日(日)の旧東海道歩き第28回、関から水口への街道歩きの記録その3/3です。

当日の総歩行距離(純粋な街道以外の部分も含めた総距離)は30.6㎞、歩行ルートは↓です。



2/3では日本橋から百十一里目の市場の一里塚跡碑を見たところまでをご紹介しました。

一里塚跡からすぐ先の右手、川の手前には大日川掘割跡碑があります。その川が大日川掘割と思われます。
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川の手前には茅葺きの家があるとの事でしたが、今は保護のために茅葺き屋根の上からトタンがかぶせられている様でした。

大日川から150~200Mも進むと、東海道では久しぶりの
松並木が見られます。
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距離は短いし、松も決して多くはないですが嬉しいですね。

そこから少し進むと、左側の民家の横にうずもれるように
従是東淀領の領界石があります。
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淀藩の飛び領がこの土山にあったためそれを示すもの。

暫く進むとまたあちこちに数えきれないほどの旅籠跡の
石碑が見えてきます。ここも宿場ではなかった筈ですが
どうしてそんなに旅籠があるのでしょう?
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無数にあると言ってもよい旅籠跡の中で小幡屋跡には
明治天皇聖蹟碑がありました。
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それにしても明治天皇の聖蹟碑によく出会う日です。

杉玉の掛かった酒屋さんの前を通り過ぎ、、
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やがて国道1号に合流したらそのまま歩道橋(ないしは信号)で
国道の右側に渡ります。渡る途中進行方向を撮りましたが、7
右方向に国道から逸れて進んでゆくのが旧東海道です。
(写真はジオラマ風にして遊んでいます)

歩道橋を下りてさっき見た旧道に入ると今宿という集落に
入り、またしても街道風情満点の道行きが続きます。
(そして謎の旅籠街も続きます。)
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少し進むと景色は田園風景に変わり、国道1号に再合流する直前の
右側には石仏があります。
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そのすぐ横の大野西交差点で国道1号を渡ってそのまま県道
549号に入るとすぐに水口宿の看板が見えます。
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うーん三重県から歩いてはるばるゴール地点の水口まで
来ちゃいましたね。実際の宿場はまだ先ですがちょっとしみじみ。

県道594号に入ったらすぐ先で右に入ってゆくのが旧東海道です。11

入ってすぐの右側の森にはお経を埋めたとされる経塚が
ありました。
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ここから先は今郷という集落です。国道1号と県道に
挟まれているとはにわかには信じがたいほど静かな
集落です。

集落を暫く進むと左手に今郷の一里塚があります。13
日本橋から百十二里目の一里塚は復元したもので
やや小ぶりな感じ。

その先は旧東海道の標識に従って県道に出て、↓の
地点で再び県道から右に逸れてゆきます。
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入っていった旧道は新庄の集落に入りますが、これまた
見事なほど旧街道の風情の残る集落が続きます。
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この日は正直街道風情の無いところを歩いている時間が
ほとんど無い気がします。

ほどなく旧東海道は県道と合流しますがまたすぐに↓で
県道から右に逸れて進んでゆきます。
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道なりに暫く進むと、↓のY字路に出るのでここは右に進みます。17

そこから暫く進み上り坂を登ると右手には松並木碑があり
かつてはここが松並木だった事が分かります。
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その後も旧街道風情たっぷりの集落を抜け、、
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国道を渡って少し上り坂を登った後の右側には、
水口の宿場の東見附跡があり、冠木門などが
設けられています。かつては土居がめぐらされ、
木戸や番所がおかれていたそうです。
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おぉ、ついに水口の宿場まで歩いて来たか!あとは
ラストスパートですな。

道なりに進み再度国道を脱兎のように渡って暫く進むと
細~い入口の奥に本陣跡がありました。
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本陣跡の奥まで入ると再び明治天皇聖蹟。
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本陣跡の手前には脇本陣跡があったそうですが気づいて
いませんでした。けっこう雅な建物があった様な気がするので
あれだったのかな。。。

さて、本陣跡を過ぎると雅な建物と宿場風情が続きます。23
桔梗屋文七、かっこいいですね。

更にその先にはY字路があり、真ん中には高札場が
復元されています。ここは左に進みます。
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その100Mほど先ではまたY字路があり今度は右側に。25

要は3本ある道の真ん中を進む訳ですね。宿場らしい風景と26
普通の町に近い感じの街並みを通り過ぎてゆきます。

突然目を引いたのが大きなタンク!
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直径で私の身長をはるかに超える大きなものですが、何となく
この中に閉じ込められたら怖いなあという感想が先に立ち、
余り中をのぞいてみたりはしませんでした。

やがて枝分かれしていた3本の宿場の道が再合流。28

その先、近江鉄道の踏切の手前に小さな石橋が
あり、これがすぐ近くにある水口石橋駅の駅名の
由来になっている様でした。
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踏切を渡って少し進むと左手に湖東信金がありますが
旧東海道はここで右折して行きます。私はもうこれ以上
街道は進めないので旧東海道歩きはここまでとし、
最後に水口城を見に行きます。

湖東信金のところをそのまま真っ直ぐに進み、200Mほど先の
信号交差点を渡ったら左折して暫く進むと水口城到着です。
「本日長い距離を歩いてゴールしましたっ!」感が強くて
思わず何枚も激写してしまいました。

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すっかり水口城も堪能したので水口城南駅から近江鉄道で
米原まで移動し(1時間半ほどかかります)、、
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米原からは新幹線で帰途に就きました。
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この日は山道もあったのに、30㎞超歩く事ができました。
出発前はどちらかというと腰痛の具合もあまり良くは
なかったのに、我ながら驚いたほどです。

いつもは25㎞くらいで疲労困憊なのですが、この日は:
 ・亀山に前泊したので5時起きとはいえたっぷり眠った;
 ・気温が上がらず体力の消耗が抑えられた(現に
  ペットボトルのスポーツドリンクも2本で十分でした)
 ・なまじ腰痛は調子悪めだったので、いつもの腰痛対策の
  歩き方が普段以上に上手にできた。
と色々な要因があったのだろうと思います。

それにしてもたくさん歩いて結構自身がついた一方、
翌日は足はもちろんなぜか肩や腕までも筋肉痛になり、
且つ足裏のマメもずいぶん大きくなり、楽しんだ一日の
余韻(?)を楽しむことができました。

天気さえ悪くなければシルバーウィークの初日に草津まで
歩いてしまおうかと考えています。

京都の三条大橋まで恐らくあと2回。嬉しいような終わってほしく
ないような複雑な気持ちですね。