東金御成街道を歩く その3(3) | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2015年5月9日(土)に東金御成街道の第3回として
終点の東金御殿跡まで歩いた記録の(3)です。

当日の歩行ルートは↓。

(上の地図をクリックすると、Yahoo地図のページにジャンプします)

(2)では東金市に入り雰囲気のある旧家を見たところまでを
ご紹介しました。(2)の最後でご紹介した旧家からすぐ先の
街道右側にはまた別の趣の旧家がありました。
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先ほどのお宅といい、立派なお宅が並びます。

そのすぐ先にもぜひ激写したい立派なお宅があったのですが
庭先で住人の方が庭のお掃除をされていたので遠慮致しました。

更にそのすぐ先、国道409号が右折してゆくT字交差点付近の
左側には道祖神を祀った祠がありました。
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道が幅広の国道になってもこういうものがちゃんと残されて
いるのがうれしいですね。

嬉しいのは良いのですが、この辺りで疲れが一旦ピークに。
アップダウンを数えきれないほど繰り返したのと、歩道も路肩も
無いのに車通りが多くて気づかれしたのに加え、意外と道中
休憩できるところが無かったこと、などなどが合わさって
かつてない程の疲労を感じてしまった様です。
しかしバスにでも乗らない限りこの日のルートは東金御殿まで
行かないと帰れないし、参ったなぁと思っていた折も折、私の
眼に飛び込んできたのが↓。
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東千葉CCさんには大変申し訳なく思いますが、上の写真の
右の方にある石垣で2、3分腰かけて休憩させて頂きました。

おかげさまで元気を取り戻して先を急ぐと、500~600Mほど
先には、東金御成街道の表道と裏道の追分があります。04
上の写真で、車道からそれて右に入ってゆくのが表道、
車道に沿ってゆくのが裏道ですが、折角なので表道を
行くことに。分岐点には東金御成街道の解説板とともに
「御成街道おあし坂入り口」という看板が。
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おあし坂とはこの先にある旧坂で、思わず大足(大股)で
歩いてしまうのでおあし坂なんだとか。諸先輩のブログでは
かなり鬱蒼とした森の坂道になるらしいので、念入りに
虫よけスプレーなぞを体に振りかけて先に進みます。

お、おあし坂入口の看板とともに坂道の入口あった!06
が、これ緑のトンネルと言ってもちょっと行き過ぎですね。
改めて虫よけスプレーの塗り残しが無い様にして
意を決して坂を下り始めます。

右目の視界ギリギリのところに何か「キケン」という字が
見えた気がしてふと見てみると、、
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! どの程度の崩落か分かりませんが万が一何かの
事故があった場合、助けてくれる人は居ないでしょうから
止む無く断念して裏道との追分まで引き返します。
おあし坂の先には一里塚跡などもあり見たかったのですが
仕方ないので裏道を進む事にします。
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裏道の方はずっと車道なので普通の県道歩きが続きますが
1㎞ほど進んで差し掛かる下り坂はコンレイ坂といいます。09
魂霊坂とも書くそうで、かつて徳川家康軍が東金城に向かって
進攻してきた時、東金城主酒井家の家臣たちがこの坂付近で
防ごうと戦い、多くの戦死者が出たのを、人目に付かないように
村人たちがこの坂付近の大木の根元に埋葬し、それが語源に
なったという事で、かつて付近の村人はこの坂道に近づくのを
嫌がっていたそうです(暁印書館 本保弘文「東金御成街道
史跡散歩 p.192~」)。

坂道を下ると、右側の畑の前に道標があります。
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刻まれた文字がすっかり薄くなり読めませんが、上述の本に
よると
   (正面)正面 黒田??
   (右横)此方 丘山村
   (左横)此方 東金道
     東金郡役所迄
     二十五丁三十間
と刻まれているそうです。

この道標から先は暫く史跡などもなくただひたすら県道の
登り坂を1.5㎞ほど歩き続けます。右手コンビニの辺りで
再び疲れがピークに達したので、うまい具合にそのすぐ
向こうにあった丸山公園で休憩する事にします。
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残りの歩行距離は大したことなさそうですが、フラフラではなく
元気に歩きたいのできっちり5分は休憩する、と決め、ちゃんと
時計を見ながら5分間休んで歩きを再開します。

丸山公園の先の交差点(↓)で右折し坂を下ります。12

ずいぶん長いこと登り坂を登っていたせいか、下りは
かなりの高低差を急坂で下りて行きます。
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坂を下りきって突き当りを左に曲がって暫く歩くと
右側に児童公園、正面には大きな鳥居が車道に
跨がっていました。
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地図で見ると、後ろの山の中に日吉神社があり、その
参道の鳥居なのですね。

鳥居のところで右折をすると、人工の湖である八鶴湖と、
その向こうには東金御殿跡である東金高校が見えます。15
東金高校の後方は東金城跡です。

また湖のちょうど対岸側には、料亭の八鶴亭が見えています。16
雅な建物ですね。後で見に行ってみよう。

八鶴湖に沿って東金高校の方向に向かうと途中右手には
本漸寺というお寺があります。
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東金城主酒井氏の菩提寺だったという事で、山門から
ずいぶん奥まで行って階段を上がったところに立派な
本堂が見えましたが体力的に断念。

山門のすぐ横には燕塚と歌碑があります。昭和二十七年
(1952)の寒波で大量に死んだ越冬つばめの供養のために
建立されたものです。
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写真左の歌碑は、当時の日本野鳥の会会長で歌人でもあった
中西悟堂さんが寒波の前年に詠んだ歌が刻まれています。
  みんなみに 帰り得ざりし 燕らが
     冬越す ここは 上総東金

お寺を出てからほんのすぐのところ(山門のすぐ左)には
東金御殿と東金城の説明板がそれぞれ立てられています。19

20
東金御成街道、ゴールインです。
踏破した街道はこれで13本となります。

すぐ隣にある東金高校が概ねかつての東金御殿の跡地
と言えるので、そのまま歩いて東金高校を見に行きます。21
レンガで何ともいい感じの正門ですね。

更にそのまま八鶴湖に沿って歩き、先ほど対岸から見えていた
八鶴亭を外から見物します。
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明治十八年(1885)に湖畔で創業した料亭で、雰囲気があって
風情のある建物ですね。中では何がしか行事が行われている
様子でした。

八鶴亭から少しだけ引き返し、東金高校の手前で左折して
南方向にある東金の中心地の方に向かいます。
すぐに車道にぶつかりますが、この道路が東金の宿場で
あった様です。その道を右折して西方向に進むと200Mほど
進んだ右側に火正神社があります。
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元禄の頃、幕府が出した火事・消防に関する定めに基づいて
ここに火消大明神が建立されたのが由緒とのこと。

参詣をすませて、宿場の道まで戻ってふと見ると
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「御成橋」「大手下馬先門」と刻まれた標柱がありました。
東金高校から見ると、台地の下となる地形ですが
こちらが正門だった事になりますね。来てよかった。

これにて東金御成街道も完全ゴールインとなったので
あとは歩いて東金駅まで行って帰るだけ。

東金の駅前通りは商店街になっていますが、床屋さん以外は
ちょっとお店が閉じ気味。
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昔ながらの雰囲気のある駅前の旅館も恐らく営業はされていない
と思われる様子でした。
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すっかり疲れたものの満足した心持でJR東金駅にたどり着き、27
千葉行きの電車で帰宅の途に就きました。
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これで踏破した街道、13本となりました。
全行程は↓となります。

ほんと真っ直ぐな街道ですね。

それにしてもこの日の歩きは今までの歩きの中でも
トップレベルに疲れました。今少し暑い日だったら
行き倒れかねなかったですね。

旧東海道は交通費の点から毎週は歩けないので
次に歩く近郊の街道を考えなくては。。

取りあえず来週は病院に行ったりする用事がいろいろなので
歩くのは難しいかもしれませんが何か書こうと思っています。

2015年5月11日(月)