2015年2月21日(土)に、旧東海道歩きの第21回として、二川から国府(こう)までの21.8㎞を歩いた記録の2/2です。
歩行ルートは↓の通りです。
(地図をクリックすると大きな地図のページにジャンプします→地図サービスの終了により地図がなくなってしまいました。)
1/2では国道1号の300㎞ポストを通過して嬉しく思いつつも、雨が大降りになってきて困ったところまでをご紹介しました。
折り畳み傘は持っている筈ですが、ずいぶんとリュックの奥に仕舞っている筈なので、まずは神社かお寺かで少し雨宿りをさせて頂き、体制を整えようと思い、宮下という交差点で左折し、東海道の方に戻ろうとします。すると途中、右側奥(方角で言うと北方向)に、元々寄る予定だった菟足神社が見えたので急ぎ足で中に入ります。
一礼して鳥居をくぐるとすぐの右側の御手洗が少し広めで腰かけられる石などもあったのでそこで少し休憩させて頂きます。休憩の腹ごしらえが、さっき豊川を超えてすぐの餅昌さんで購入した草ういろう。
一口齧ると、よもぎの香りが口いっぱいに広がりすごくいい香りと味で、瞬く間に全部ペロリと平らげてしまいました。
さて空腹も少し落ち着いた事だしリュックの奥から傘を出して予備に持ってきたコンパクトデジカメを片手で使いつつ傘さして歩くか、などと考えてリュックをまさぐっていると、、何か傘がない。いや、折り畳み傘の傘袋は見つかったのだけど。
・・・やば~、折り畳み傘の本体忘れて袋だけ持って来ちゃったよ(;・∀・)。。
20~30秒ほど悩みましたが悩んでいても仕方ありません。無いものは無い。幸い私が着ているのは、モンベルという登山グッズのお店で買った雨具兼用のジャケットだし、フード被れば何とかなりそうだ、という事でミラーレス一眼カメラ(今回はらこちらのカメラに変更)を、さっきの草ういろうが入っていたレジ袋でくるんで「なんちゃって防水態勢」にして再出発。
参道を歩き、ようやく東海道に戻ります。道幅は比較的狭く、何とはなしに旧街道の風情が残った通りを歩きます。
少し進んでJR飯田線の踏切を超えたすぐ先の右側には名残の松かな?と思われる松が一本。
しばし歩くと宿西という交差点にコンビニがあったので駆け込んで折り畳み傘を購入。これで安心です。
傘をさして歩き始めると宿西の交差点から少し進んだ左側には明光寺というお寺があり、門前には牛頭天王が祀られており、なんとなく激写。
写真を撮って気づきます。「あれ、何か明るくない?」気が付くと事もあろうに雨が止んでます。うん、まぁ傘があっても降ってれば不便なんで好いんですけど30分近く雨に打たれた挙句、傘買ったら4分で雨が止んだのはちょっと落ち込みました。
この辺りは立場だったせいか、やや宿場っぽい雰囲気の街並みが続きます。
街道右側に見かけた寿司屋も「宿場寿し」!
宿場寿しから100Mちょっとほど先の左側には、柵に囲まれた立場茶屋跡の碑が立っています。
かつてここには加藤家の茶屋本陣があり、東京遷都の折には明治天皇もこちらで休息されたそうです。
立場茶屋跡碑のほんの50Mほど先の右手には迦具土(かぐつち)神社があります。カグツチは記紀に出てくる火の神ですね。
社殿が真新しいのが印象的でした。
そのまま街道右側を200Mほど進むと、和太鼓のお店があります。和太鼓のお店はなかなか普段見る機会が無いの貴重ですね。
この和太鼓屋さんのお店の前には日本橋から75里目の伊那一里塚の跡碑がありました。
1/2では国道の300㎞表示を見ましたが、75里なら東海道としても約300㎞ですね。ほんとよく歩いて来たもんです。
更にそのまま街道右側を歩くと150Mほど先に速須佐之男神社があります。
上の写真でも少し分かりますが、参道には石灯籠が並んでおりなかなか壮観でした。
そこから2㎞ほどは県道歩きが続きます。神社を出た直後は暫く立場によくある宿場の雰囲気が続いていましたが、、
時折遠くに有名な車メーカーの工場が見えたりしていました。
先ほどの速須佐之男神社から30分ほども歩くと、高架の自動車道などで旧東海道がぶった切られていました。
国道1号の方に迂回して交差点を渡りすぐに旧街道に戻ります。旧街道に戻り200Mほども進むと、斜めに伸びて来た国道一号に突き当たります。
国道1号との交差点には距離表示の看板がありました。
私の故郷である豊田のすぐ南隣の岡崎まであと22㎞か。だいぶ実家も近くなってきました。
そのまま旧東海道は国道1号を横切って続きますがちょっとあぜ道のような道になり、本当にこの道でいいのかどうか一瞬地図を見直してみたくらいでした。
(もちろん↑の写真の道で間違いありません)
辺りは三河地方の田園風景が広がっています
道なりに進んでいくと、大きく右にカーブをして名鉄豊川線の踏切に差し掛かりますので、この踏切を超えたら左折します。
この辺り、本来の東海道のルートが消えてしまっていて、ちょっとカクカク進むことになります。
踏切を超えて左折してすぐ、名鉄の電車が通って行ったので、ちょっとブレてしまいましたが激写してみます。
電車が通った後にはやっぱり田園風景が広がり、なんだかほっとする感じです。
そして↓の写真の地点で左折して線路沿いの方に出ます。
線路に突き当たったらそのまま右折し、線路沿いに北西方向に進んで、↓の写真のところで左折して踏切を渡ります。
踏切を渡り道なりに進むと国道1号に突き当りますので地下道を通って反対側に出ます。地下道の出口から出てそのままその向きに北上すると国府町藪下という交差点がありますが、そこでななめ左方向に分岐する道が旧東海道で、ここで旧道に復帰できます。
旧道に入っていくと、自分にはとても懐かしい、地元の銀行である岡崎信用金庫の店舗がありちょっと感動。
秋葉山常夜燈などが並んでいます。
この常夜燈は寛政十二年(1800)のもの。
そのすぐ先の右手には薬師如来を本尊とする薬師堂があります。両親を亡くした二人娘が手厚く礼拝したため「二子寺」とも呼ばれたそうです。
薬師堂を出てすぐに、地元のおじさんから少し進んだ先の左手にもお寺があると教えてもらったのでお勧めに従って行ってみたお寺は浄土宗の極楽寺。
屋根の獅子が立派でした。
その先の新栄町2丁目交差点でこの日の東海道歩きは終わり。
そのまま右折して真っ直ぐに進み名鉄の国府(こう)駅に。
この国府駅にも出張で来た事があり、そんなところまで徒歩で来たことに「おおっ!」と思いました。
国府駅からは名鉄で豊橋駅に出て、、
豊橋からひかりに乗って東京に帰りました。
この日は傘関係ではなかなか大変でしたが、いろんな風情のある地域を歩きやはり道中通して楽しむことができました。
来週はまた腰痛の通院があり街道歩きは難しそうなので何をしようかじっくり1週間考えようと思います。
2015年2月22日(日)