中原街道第2回 洗足池-仲町台(2/2) | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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1/2に続く、中原街道第2回の記録です。

(歩行ルート) ←※使用していた地図サービスの終了でリンク先が無効になっています。

小杉十字路の交差点から30~40Mも進んだところで南北に二ヶ領用水が流れています。リンク先のWikipediaだと、関ヶ原の戦いの3年前(=1597年=慶長2)から測量を始めた、神奈川では最も古い人口の用水路だそうです。
25二ヶ領用水

二ヶ領用水から更に40~50M先の街道右手には泉澤寺というお寺がありました。
26泉澤寺

門前にはこんな歴史解説がされています。
『室町末期、世田谷からここに泉澤寺を移した吉良氏は税を免除して
居住を促し、また門前市を開き、この智の繁栄を図った。夏の泉澤寺の
市は冬の世田谷ボロ市を並び広く知られていた。』


この吉良氏について調べてみましたが、忠臣蔵の敵役として有名な吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の吉良氏とは、かなり縁は遠いですが、共に同じ祖を持つ名門足利氏の支族である様です。足利家第3代当主義氏公の長男である長氏の系統が、忠臣蔵の吉良上野介の先祖、同じく義氏公の四男である義継を祖とするのが世田谷領主であったこの吉良氏であるという事です。

泉澤寺から600~700Mほど先まで進むと、JR南武線のガードがあり、武蔵中原駅を右にみながら高架を潜りぬけます。
27武蔵中原

高架の先、300M弱ほど先の右手には大戸神社がありますが、ここの狛犬はちょっと他と違った特徴を持っています。

28大戸神社
クリックして拡大して見て頂くとおわかりになるかと思いますが、どちらの狛犬もなぜか砲弾を抱えており、戦争の時代の匂いがしました。

大戸神社から進むこと700~800Mほど、巌川橋という交差点のすぐ手前あたりには江川という川が流れており、親水公園風に整備されていました。                         29巌川橋跡

巌川橋交差点から300Mほど先の千年(ちとせ)の交差点から、旧中原街道は、車道の現中原街道から右斜め前の登り坂に逸れて、暫く旧道ルートを辿ります。             30千年旧道入口
上の写真、右側の坂から自転車の少年が下りて来ていますがこれが旧道です。こちらの旧道ルートに入って、崖下の車道を左に見ながら登り坂を上りきると、旧街道時代から続いているであろう大きな蔵のある、非常に敷地の大きなお屋敷などがあり、街道風情が満点です。

200Mちょっと進むと、蛇行する旧中原街道は、下の写真の地点で今度は車道を越して左側に入って行きます。
31その先の旧道入口
こちらは150Mほどで車道の中原街道(県道45号)に合流し、暫くはひたすら県道を歩き続けます。

野川という交差点のすぐ後で野川という川を越えると緩い登り坂になりますがこちらはバス停の名前によると野川くぬぎ坂という様でした。

野川から1km強ほど歩くと、左手にチェーンのかっぱ寿司があり、そのすぐ先で左前に上って行く坂が川崎市と横浜市の境界線にあたるので、ここで横浜市に入ります。             32横浜市に入る
今日一日で川崎市を横断したことになりますね。

横浜市に入ってから400M弱くらい進むと、第三京浜道路のガードを潜ります。                                   33第三京浜

潜って150M弱ほど進むと左手に鎌田堂というお堂があります。34鎌田堂
このお堂の後ろに、源義朝の郎党であった鎌田兵衛正清の屋方があったため鎌田堂と呼ばれている様です。千羽鶴などがお堂に捧げられていました。

そのすぐ先、道中坂下交差点で街道の右手に渡り、右斜めに進む旧道ルートに入ります。
35旧道入口4
この旧道部分はすぐに終わってしまいますが、車道の中原街道に合流した後、わずか100Mほど先の向坂交差点で、旧中原街道は再び車道から右斜め前に逸れてゆき、ここからは暫く旧街道風情がまとまって楽しめます。                               36旧道入口5

車道との分岐点から100Mほど進んだ山田小学校下交差点のすぐ先右手には見るからに街道筋にふさわしく思われる旧家が建っています。

37旧家
 

この旧家のすぐ先右手は軽い登り坂になっていますが、坂の上にはかなり大きくて立派な長屋門が見えていました。
38長屋門

後にグーグルマップでこのお宅の地点の上空からの写真を見てみるとめっちゃくちゃ大きな母屋のある、お屋敷でした。さすが街道筋です!!

 

長屋門から100M弱歩くと右手に石垣と急な階段があり、階段の上にはお堂が建っていますがこちらはのちめ不動尊です。解説板には、のちめの人々が八王子から不動さまを背負って持ってきてこの地に祀ったのが由来、と書いてありますが、のちめってどこなんでしょう?「後の人々」の誤字??いやいや。ググってみると「のちめ」とは漢字では「二〆」と書く("にしめ"の転訛?)、このあたりの旧地名なんだそうです。

39のちめ不動尊
石でできたベンチなども新しく、かなり手入れの行き届いたお堂で、
地元の方々の信仰が篤いのだと感じます。

その後のちめ不動前の交差点でかなり太い車道の県道102号を越え、のどかな旧街道歩きが続きます。道幅や道の湾曲、時折姿を見せる酒店などかなり本格的に旧街道の面影が感じられます。

40旧道風情
車通りも少なくてなお最高!

向坂の交差点から恐らく800M~1kMほどで旧道区間が終わります。車道と合流してすぐ、右斜め後ろに向かって山田神社の参道が伸びているのですが、蒸し暑さでかなり披露してしまっていたため割愛します。

道の左手には、私がかねてから旧街道筋の特徴の一つだと思っている昔ながらの材木屋も見られます。
41材木屋

材木店から400~500Mほど先の右手には横浜市立中川中学校のグラウンドがありますが、その前に馬頭観音がひっそりと立っていました。(誤ってひどいピンぼけしてしまったので写真は割愛)

グラウンドから400M前後先で勝田橋で早渕川を越えると少しの区間歩道はおろか路肩も無くなりかなり困りますが、少し進むと左側に路肩スペースができるので、そちらを歩きます。

早渕川から300Mほど先で車道は左カーブをしてゆきますが、そこから直進方向に逸れてゆくのが旧道です。
42ここから旧道
上の写真で右斜め前に伸びる登り坂が旧道ルートです。

この登り坂、なかなか曲者で江戸時代にはかなりの難所であったのではないかと思われます。
43登り坂
(仕方ないけどコーラの自販機がやや目立ってしまいますね)

坂の頂上よりも手前の左側に杉山神社が祀られています。

44杉山神社
丁重にお参りを済ませたらいよいよラストスパート!

大分疲労は溜まっていますが、坂を登り切ると、付近のお宅の庭先にきれいな青い花が咲いており、何となく元気を少し貰います。                  45青い花

しかしその先で、折角の旧道は港北ニュータウンというマンションに阻まれて消失してしまっています。
46行きどまり
ほぼ旧道のルートを辿っているかと思われるマンション敷地内の通路が見えるので少し見てみます。                    

47旧街道ルート?
しかし残念ながらすぐに途絶えてしまっている様なのであきらめます。

街道がマンションに突き当たったところから左に曲がるとすぐに陸橋がありますが、その脇の階段を下りて、車道の中原街道に下りたら、お目当ての歴史的建築物があるので少し東京方面に
戻ります。探しているのは17世紀前半以前に作られた、関東でも最古の民家の一つである、関家住宅。関家は元々後北条氏に仕えた地侍と伝えられ、その後この地で代々名主を務めたといいます。

すぐに目につくのが関家住宅の隣にある、「セキ・エンタープライズ」という会社の建物ですが、本陣ばりの門構えで、家屋も歴史的であり、関家の方の分家か職場かどちらかかと思われます。

48セキエンタープライズ
「これが関家住宅です」と言われてもそのまま信じてしまいますね。

もう少しだけ東京側に戻ると、関家住宅がありました。こちらは、今も現役の住居であるため公開はされていないという事で少し離れたところから門の写真だけ撮らせて頂きました。49関家住宅
すさまじく間口の広い門で、間口の広さだけで言うと母屋にもそんなに遜色のないレベルで、当時の名主の力というものが偲ばれます。

さて、いわゆる旧街道部分はここまで。ここからは車道の中原街道を一路南に進んで横浜市地下鉄ブルーラインの仲町台駅を目指して坂道を上ります。
50港北ニュータウン
車道の中原街道はまっすぐ進んでこの先の向原の交差点で右折をしますが、本来の旧中原街道は右側のマンションの敷地を突っ切って、今の中原街道が右折→左折したあたりで合流する様なルートを辿っていました(適当に書いた参考ルート図)

現在の中原街道を真直ぐ進み続けると、向原の交差点で突き当たり、右折していますので、本日の歩きはここまでとし、逆に左に曲がって仲町台駅に向かいます。
51向原

駅構内のトイレで、着替え+ボディペーパーで体を拭くなどして、電車に乗れるような状態になってから帰途につきます。

52仲町台駅

このブルーラインは東急田園都市線のあざみ野駅に到着するので、東急田園都市線→半蔵門線→千代田線(常磐線直通)で自宅まで帰りました。

この日の歩きはことのほか歴史的な遺物が多く見られたり、旧道区間も歩けたりと、非常に充実した歩きとなりました。天候も何とか最後までもってくれたし言うこと無しです。

中原街道歩きは次回、仲町台から小田急江ノ島線の桜ケ丘駅までの約17kmを歩く予定ですが、次回もしっかり歩き、ゴールの平塚を目指します。

2013年9月15日(日)アップ