中原街道第2回 洗足池-仲町台(1/2) | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2013年9月14日(土)

(歩行ルート) ←※使用していた地図サービスの終了でリンクが無効になっています。
中原街道歩きの第2回です。日中暑くなりそうなこの日、5時前に起床し、常磐線→山手線→東急池上線と電車を乗り継いで、前回ゴールの洗足池まで行きます。6:41に洗足池に到着し、歩道橋から行く先の方向(西)を見ると、今にも降り出しそうな空。01空
ていうか、少しだけ降ってます。今日のカメラはオリンパスのPENで防滴仕様ではないのでちょっと困ります。私は歩く時いつも、その日の歩行ルートを地図Zで作成し、何枚にも分けて印刷して持ち歩くので、その地図でカメラを庇いながらの出発です。

洗足池から約150Mほど進んだところの街道右側(大岡山駅入口の交差点の70Mほど手前)には文化11年(1814)建立の庚申塚が立っています。側面には『従是九品佛道』とあり、こちらのお寺に行く道を記した道標でもあった様ですね。
02庚申塚

この日は朝出がけには何も食べて来なかったので、大岡山駅入口の交差点から500~600Mほど進んだあたりで右手にあったセブンイレブンに入り、とり五目のおにぎりを買って腹ごしらえします。

セブンイレブンから約100Mほどすると、石川台の交差点の先に呑川という川が流れており、その手前の街道右手には石橋供養の碑が立っています。
03石橋供養
日蓮宗のものですが、趣旨としては石橋の無事と、通行人の安全を祈る、尊いものです。呑川の風景はこんな感じ。

04呑川

呑川から暫く県道を歩き続けると、左側に東急池上線が現れ、更にその先400~500M先で環八道路の田園調布陸橋にぶつかります。

05田園調布陸橋


この交差点を越えたら旧中原街道は、車道である現中原街道から逸れて、左斜め前に進む旧道に入ります。旧道はこんな(↓)感じです。

06旧道1

ゆるやかな登り坂を上りきると今度は下り始めますが、その坂が「さくら坂」。あの福山雅治が歌った『桜坂』のモデルになった坂です。

07桜坂
上の写真は坂を少し下ってから振り返ったものですが、桜の季節には美しい桜のトンネルになりますね。

坂を下りきったあたりで左に見える登り坂は「おいと坂」と言います。08おいと坂
北条時頼公がこの辺りに行脚に来た時に病になり、井戸の水を飲んだら全快したという伝説があり、その井戸は雄井(おい)、雌井(めい)と言ったので、おいと坂とは「雄井戸坂」であろう、とのこと。

その向かいには東光院というお寺があり、そのすぐ先右手には六郷用水跡があり、親水公園状になっています。
09水車
右に見える水車は「ジャバラ」という名前の足踏み式水車を再現したものだということです。

さて、そのすぐ先で街道は東急多摩川線の沼部駅のすぐ横で線路を越え、多摩川土手に辿り着きます。車道は全く歩道が無くかなり危険なので、堤防の方に出て北を見ると、この後に渡る
丸子橋が見えますが相変わらず非常に怪しい空模様でした。

10丸子橋(空妖し)
普通こんな空だと、数分後くらいに雨が降る筈ですが、何とか降らずにもってくれた様です。丸子橋で多摩川を渡ります。

そういえば:
多摩川を歩いて渡るのはこれで3回目となります。1度目は大山街道歩きの途中、二子玉川で歩きました。2度目はつい先日、東海道歩きにて六郷で渡ったものです。多摩川を渡る地点としては大山街道が一番北、東海道が一番南で、この中原街道は真ん中にあたります。

丸子橋から南を見ると、JRの鉄橋が見えますが、そちらを見ていると折よく新幹線が通りかかったので激写します。
11新幹線
画面下に写っているのは、ラクロスの練習をする少年たちです。最近電車に乗っていてもラクロスのクロス(=網付きのスティック)を持った少年少女が増えてる気がしますので、ラクロス人口増えているんでしょうね。

丸子橋を越えると川崎市に入ります。丸子橋交差点では道なりに左カーブをするのではなく(そちらは綱島街道)右折っぽい感じで右に進んでいくルートが中原街道です。
12ここで右だよ
上の写真でいうと右奥に鉄道の鉄橋が見えますが、それが中原街道の進行方向です。

丸子橋交差点から400~500Mほど進んだ先の右手には突如立派な門が見えてきます。これは旧原家屋敷跡の門です。

13関家住宅の門
この門の前にある案内板やらを見ていると、近所におすまいでこの日この原家のお手伝いをされているという地元の方がこの付近の遺跡や、かつての地形などなど、地元の人に伺って初めて分かるお話を聞かせて下さいました。この門の内側、来年あたりになるとマンションが建つ予定だそうですが、どうもこの門自体は(恐らくマンションの入口として)残るみたい。

この原家の門のすぐ脇には中原街道の石碑も見えています。

14関家前中原街道碑
この表記が確かであればまだ平塚までの道程のたった1/6しか来ていない事になりますが、もう少し歩いた様な気がする。。。。

そのすぐ先右手の歯医者さんのすぐ横から、少し奥まったところに長屋門が見えます。これは代々名主(庄屋)を務めてこられた安藤家のお屋敷入口にあたります。
15安藤家長屋門
歴史の重みと名主の権威を感じる素晴らしい立派な門です。

安藤家の150Mほど先の右手には雅なお醤油屋さんがあります。16石橋醤油店
明治3年から昭和24年まで醤油造りをしていた石橋醤油店です。裏手奥には古い土蔵などが見られました。

街並みが古くなってくるのにつれて、街道筋から歩道が無くなって来て歩きづらくなってきます。

醤油店から100Mほど先で街道は左折して右折するといういわゆる「枡形」(シケイン)を通りますが、左折する手前を右に入ってゆくとこのあたりにあった小杉御殿に因んだいろんな名所跡を見る事ができます。シケインの根元を右に入って少し進んだところを左に曲がると突き当たりに赤い鳥居が見えますが、これが御守殿跡。

17小杉御殿御守殿跡

 


もっと奥まで進んで右折→左折した後、右手に見える公園の反対側にある小さな祠が小杉陣屋の跡です。
18小杉陣屋跡

 


街道に戻ると枡形の左折→右折がよく見えています。

19枡形

 

その枡形の左折→右折の内、左折するところを直進した方向には西明寺というお寺があり、その参道の入り口には、小杉御殿跡の石碑が立っています。
20西明寺参道入口
折角なので西明寺も参詣をさせて頂くこととします。

かなり立派な山門は、扉の裏側に北条家の家紋付き。

21西明寺山門の家紋

本堂も非常に豪華で立派な建物です。
20西明寺正面

丁重にお参りをして、街道に戻りシケインに沿って街道を進みます。このころからほとんど路肩も無くなり歩行者には危険なルートですので同じところを歩かれる方がいらしたらお気をつけて。

左折→右折の枡形を取ってすぐの右手には小杉の宿駅の石碑が立っています。ここは確かに宿駅だったのです。
22宿駅看板

 

またそこから少し先、小杉十字路交差点(中原街道と府中街道の交差点)の手前左手には庚申塚があります。
23庚申塚

西 大山道  東 江戸道、南 大師道と彫られており、道標も兼ねていた様ですが、大師道というのは旧府中街道の事で、この庚申塚から南下して行く道がその大師道です。地図で見ると、この道を南下して行くと、ほどなく現在の府中街道に合流している様です。

ここまでの行程を1/2とし、2/2に続けます。

2013年09月14日(土)アップ