いつもありがとうございます。
性善説と性悪説があります。
授業で習ったことは覚えているのですが、
詳しい内容までは覚えていません。
そのためあまりここは深掘りせずに
いきたいと思います。笑
荀子と孟子もどっちがどっちだが調べて
みないと分かりませんでした。
性善説が孟子で性悪説が荀子ですね。
簡単に言えば、人間は善を持って生まれて
くるのか、悪を持って生まれてくるのか
ということです。
性善説は、人間は元々善を持って生まれて
くるが、生きている中で悪に染まることが
あるという思想だったかと思います。
「強盗であっても井戸に落ちそうになって
いる子供を見たら助けるではないか」
というような文章を漢文で学んだ気が
します。
それに対して性悪説としては、人間は
元々悪を持って生まれてくるから、
きちんと教育をする必要があるんだ
という思想だったかと思います。
善と悪の問題は難しいですが、悪は自由と
自由の相剋の中で生まれると言われて
います。
ある人の自由とある人の自由とがぶつかっ
たときに悪になるということですね。
車の運転で真っ直ぐに行く自由と右に行く
自由があります。
真っ直ぐ行くのも、右に行くのも自由です
が、お互いに自由を主張し行使ししたら、
そこに事故が発生します。
さらに、そこに歩行者がいたら、歩行者を
巻き込む大事故になるわけです。
人を傷つけようと思ったわけではなく、
真っ直ぐに行きたいという自由を
行使したに過ぎません。
それでも自由がぶつかることで、悪が発生
することがあるのです。
「自己保存」は本能です。
自己保存とは自分を守りたいということも
ありますが「自分が中心」と考えるものも
含まれています。
肉体を持って生まれてきますから、生まれ
た瞬間にどんな人にも本能があるという
ことです。
この本能は言い換えれば「自由を行使した
い」本能です。
そういう本能と本能のぶつかり合いの中で
悪が生まれるという意味では、性悪説とい
うのも間違ってはいないのかもしれませ
ん。
ただ、結果的に悪にはなっていますが、
積極的に悪を犯そうとしているわけでは
ありません。
意図的に人を害そう、傷つけよう、貶めて
やろう、こういうものを悪と呼ぶのなら、
それが人間に元々備わっているというのは
違うのではないかなと思います。
やはり、人間の根っこには善がある。
真実がどうであれ、私はそう信じたいなと
思います。
大人になるにつれて、色々な知識を身につ
け、様々な経験をし、他者との葛藤等が
あり、悪なる想いが芽生えてくるように
思います。
それでも、その心根、心の根っこの部分に
は善なる心があるように思います。
嘘をついたり、誤魔化したりしていると、
胸が痛むと思うのです。
あるいは「恥ずかしい」とか何か嫌な感情が
出てくると思うのです。
段々とその感情も麻痺していってしまいま
すが、その想いがなくなっているわけでは
ありません。
自分を正当化し、麻痺した結果、嘘も
誤魔化しも普通に出てくるようになる。
そうしないと自分が苦しいからです。
それこそが人はそもそも善を備えて生まれ
てくる証ではないかと思うのです。
嘘、偽り、誤魔化しなく、誠実に生きた
い。
心からそう思いますが、それがどれだけ
難しいことなのかを実感しています。
幼い頃を思い返してみると、叱られること
がとにかく恐怖でした。
そのため、叱られないためにはどうしたら
良いのかを姉を通して学び、要領よく
生きてきたように思います。
また叱られないために、嘘や誤魔化し、
言い訳もどんどん上手くなっていたように
思います。
小学生に上がる前はどうだったか分かりま
せんが、その頃から恐怖心はあったので、
幼いなりに嘘や誤魔化し、言い訳をして
いたのではないかなと思います。
自覚できている小学生時代は、確実に
嘘や誤魔化し、言い訳をしていました。
そのまま反省なく成長し、大人になって
からは、そこに自分なりの論理や、
それっぽく聞こえる理論を持ってくる
ようになりました。
幼い頃は、まだ単純で分かりやすくて
マシだったかもしれません。
大人になるとタチが悪くなります。
タチが悪くなると、小悪が大悪に転じて
きます。
これは気がついた時点で反省し、改めて
いく必要があるなと思います。
30代も後半になり、ようやくそうしたこと
に気が付き、改めようとしているところ
です。
ただ、やはり瞬間的に自己保身が出てきま
すから、咄嗟に嘘や言い訳、誤魔化しが
出てきます。
それも上手にやるため、自分すらも騙され
そうになるほどです。
それで人生を渡っていけば、ある意味、
平穏無事に生きられるかもしれません。
それでも平気なように思いますが、それは
心が麻痺しているだけで、実際には傷つき
苦しんでいます。
そのため、他の誰のためでもない、自分の
ために誠実に生きることが大切だと
思うのです。
それは時に、不器用で、不細工で、馬鹿ら
しい、愚かな生き方に見えることもある
でしょう。
「そんなのちょっと嘘付けば良いじゃん」
「そんなの隠しておけば良いよ」「そんなの
バレるわけないのに、アホらしい」。
そんな風に思われることだってあるでしょ
う。
それでも自分の心の声に素直になった
とき、誠実な生き方をする方が気持ちが
ラクになるだろうと思います。
いきなりガラッと変えることはできません
し、それは少し極端かなと思います。
大きな善、大善を成すためには少々のこと
を見逃してでもやらなければならないこと
があります。
そういう大きな目も同時に持っておかない
と、自分の心がスッキリするという、
別の意味での自己中心になってしまいま
す。
自分が苦しくても、大義のためにやり通
す、戦い抜くということも必要です。
身近なところから少しずつ、嘘、誤魔化
し、言い訳をするクセを修正していこうと
思います。
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
光の指針
~許し~
許しとは、人間の本性の善なることを
信じることです。