サーチャイルドが歌の巻 | 醒餘贅語

醒餘贅語

酔余というほど酔ってはいない。そこで醒余とした。ただし、醒余という語はないようである。

 柳田国男の「遊海島記」の始めにある「サーチヤイルドが歌の巻」が不審である、と以前記した。何となくハイネと関連付けて考えていたためよく分からなかったのだが、本人の回想録から推定できた。昭和九年の「漱石の「猫」に出る名」という短文で、「越智東風の由来」という副題がついている、昭和五十四年になって『ささやかなる昔』に収められ、ちくま文庫の全集では第31巻にある。


 全体は次兄井上通泰の若い時分の話で、猫の登場人物である越智東風という姓号は井上が用いたものであったという内容である。また「越智というのは兄の本名で」とも書いているが、これはよく分からない。井上通泰、元の名は松岡泰蔵、子供の頃井上家の籍に入ったという以外の経緯があるのだろうか。
 

 この文の中で柳田は、国民之友附録の「於母影」や『めさまし草』が出た頃は、「大の森ファンの一人でチャイルド・ハロルドの長い詩の訳詩から原詩まですっかり暗記し」たと述べている。
 

 この長い詩は直接には「於母影」冒頭の「いねよかし」を指しているのであろう。原詩、訳詩とも八行十節で構成され、四節目に「サア、チヤイルドな驚きそ」、六節目に「サア、チヤイルドよ弱りても」とある。おおもとは全4巻からなるバイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold's Pilgrimage)」であり、この部分は第1巻13節の後に詩中の詩として挿入されている。放縦な生活に倦んだチャイルド・ハロルドが家郷のギリシャを去ってイベリアに出立する際に歌った別れの辞であり、13節の最後の語 「he pour’d his last “Good Night”」から「いねよかし」と題された。もっとも於母影の訳に使われたのはその部分のハイネの独訳であったらしい。ちなみにのちの晩翠訳では、この部分は「やすらへよ」となっている。
 

 Good Nightはおやすみなさいだから、古風に言えば「いねよかし」なのかもしれないが、おやすみなさいは寝る(去る)側も残る側も共に用いる。Good Nightも勿論そうだが、「いねよかし」ではそうはならないように思う。この語は近世以前には見ないようでもあるし、いってみれば創作された古語ということか。
 

 柳田が伊良湖へ携えて行った歌の巻は「於母影」やハイネによる訳ではなく、バイロンの原著であったと考えたほうがいいのだろう。ただ、回想にあるすっかり暗記したという「長い詩の訳詩から原詩」というのはどうであろうか。明治二十年代には全訳はなかったようであるし、如何に強記でも全四巻はすっかり暗記するには長すぎるであろうから、これについては「いねよかし」を指しているのではないか。
 

 相馬庸郎氏の『柳田国男と文学』などによると、若いころの柳田がハイネ一辺倒であったというわけではなく、先の「猫に出る名」を引用しつつバイロンはじめとする十九世紀詩人の影響に言及している。考えてみると「遊海島記」はハイネについては何も述べていない。花袋の「伊良湖半島」のハイネは太田玉茗と間に交わされた話題である。柳田だけでなく、仲間内みなでハイネに傾倒していたのである。
 

 それにもかかわらず若き日の柳田というとハイネが連想されるのは、先学の述べるところが多かったからであろうし、柳田年譜にもこの頃はしきりとハイネの何を読んだという記事がある。花袋の小説でも柳田が利根河畔でハイネを高吟する場面はいくらもあるし、生身の柳田を描いた『東京の三十年』でも一身田の料理屋で酔ってハイネを朗誦している。一方で柳田自身によるものとしては、「幽冥談」の『神々の流刑』はともかく具体的な言及は少ない気がする。柳田ハイネの連想は、言葉は悪いが花袋による印象操作も多分に寄与しているのではなかろうか。