信仰して救われますか? | 青年僧侶のシャカリキ奮闘記

青年僧侶のシャカリキ奮闘記

京都市にある日蓮宗・護国寺の僧侶です。
日々の活動を綴ってます!

3月23日、本光院で

 

春彼岸会

 

を執り行いました!

 

朝からずっと雨・・・傘

 

今年の彼岸は荒天ばかりですねタラー

 

そんな中、多くの檀信徒の皆様に

 

ご参拝賜り、ありがたい気持ちで一杯ですお願い

 

 

お寺には日頃から多くの相談が寄せられます上差し

 

その相談内容は、おおよそ

 

貧病争

 

この3つに絞られます上差し

 

とは、貧しさからくる苦しさ。

 

とは、病気の苦しさ。

 

とは、人間関係の苦しさ。

 

その都度、お話しを聞き、

 

お題目をお唱えし、

 

信仰の力で乗り越えましょうキラキラ

 

とアドバイスをするのですが、

 

必ず・・・

 

信仰をして救われるでしょうか!?

 

という疑問が出て参りますびっくり

 

でもそれは神仏を信じられないくらい、

 

それだけ苦しいという証拠でもありますアセアセ

 

そして信じる!

 

というのは、人生の中でも

 

特に難しいことと言われています上差し

 

 

そこでご紹介したのがコレです。

 

「ニューヨークのリハビリステーション研究所の壁に一人の患者が書きつけたもの」

大きな事を成し遂げるために 
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった 

求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた  
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべて叶えられた。
私はもっとも豊に祝福されたのだ。

 

 


 

これは深い言葉であり、

 

深い教えでもありますね!

 

私たちはややもすると、

 

自分本位の願いばかりを

 

神仏にしているのかも知れませんねタラー

 

でも神仏は、神仏の目線で私たち合った、

 

最善の道を与えてくれているのかも知れません。

 

もしこのように思うことができたならば、

 

私たちの人生はもっと豊になれるかも知れませんねキラキラ

 

 

信仰とは感謝の心!


もっと今風に言うと、

 

前向きな心にしてくれますキラキラ

 

その時、どんな苦難も

 

乗り越えていける金剛の心を

 

いただけるのではないでしょうか。

 

法話の一部分をYouTubeにUPしようと思っていましたが、

 

まさかのSDカードの容量オーバーで

 

録画されていませんでした( ̄□ ̄;)!!

 

お楽しみにされている方スミマセンm(_ _)m

誰が見てんねん 笑

 

本日は多くのご参拝誠にありがとうございました!