1985年ごろのグアムの思い出 | 五吉のブログ

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会社に入って最初の赴任地からの転勤先は、神奈川県。

開発や研究や生産部門が集結した2000人くらいの事業場でした。

朝、駅からバスで通って制服に着替え、皆同じ時間に昼食を食堂で食べて、夜バスかタクシーで帰宅する。

 

その意味では社会から隔離されます。

さらに祭日も出勤日になったり平日が連休になったりで学校友達ともスケジュールが合わせづらくなります。

 

そんな連休少し前に、事業場の同い年の奴Aに「休み、暇だったら海外に遊びに行かない」と誘われました。

・金ないよ。

・グアムが安いみたいよ。

 

当時は沖縄よりグアムやサイパンに行く方がかなり安かったのです。

・グアムーー?、なんか面白いの?。

・だって休み暇じゃん、ほかの会社の友達とスケ合わないし。

 

ちなみにAは通訳士(英語)の資格持ちで英語は得意で、格安チケット手配やら全部やってくれる提案でした。

(楽そうだな、でも野郎2人か・・・)

・そんじゃさ、海外行ったことのないアイツBも誘おうか?。

 

確かそんなやり取りで事業場の平日連休にグアムに行くことが決まりました。

理系に多い英語が全然しゃべれない初海外旅行の同い年のBを行きと帰りに1つづつ騙くらかすことにして。

 

今も残るグアムの印象は2つ。

1.蒸し暑く、2.海外っぽくないことです。


40年くらい前なのであまり覚えてませんが、

4時間くらいでグアム空港に着くと、結構空いていた気がします。

ただ南国っぽくモワッとします。

 

1.グアムは蒸し暑い。

 

タクシーでホテルについてからは、食事して近所を散歩したりタモンンビーチ辺りにでも行ったのでしょう。

 

グアムってそんなに大きくない島です。

車だったら2-3時間で1周できるのでしょう。

2日目はレンタカーを借り、恋人岬くらいは寄ったでしょうが、Aお勧めのビーチでシュノーケリングした記憶です。

左ハンドルの日本車だった気がしますが運転手をしてAが地図ナビをし、40分くらいで島の南端だったか、熱帯低木を抜けたこじんまりした入り江ビーチへ。

でもさして透明度も高くなく海から上がってもべたべたした感じは、湘南と大差なかった海の記憶です。

 

2.グアムはアメリカというより日本の、おそらく旅費が沖縄行くより安かった若者向けのリゾート島。

 

そんな印象が記憶に残っています。

この40年くらい前には一時日本の占領地でしたし、この時期日本人は大口得意客でしたから、日本語も現地で通じたのでしょうが、多くは英語をしゃべってました。

Aや自分は人懐っこい現地の方とお互いの第2言語の英語で食事や買い物などでやりとりを楽しんでた気がします。

 

海でのんびりした後、ぐるりと車で帰りしな、ふと見つけたのが賑やかそうな野球場。

 

おや?日本語の旗が有る。

 

あ!・・・・。巨人軍のグアムキャンプです。

あ、そうか。

2月は、野球のキャンプシーズンだ。

偶然でしたが見学はフリーみたいなので、車を停めてみました。

 

プロ野球って、いざ球場や練習を見てみると、その音に驚きます。

 

ズバン!!!

カキーン!!!

 

スゲーな。

 

選手もガタイ良いし、増してや当時の強く憧れの巨人軍。

よく見ると、桑田選手が半袖で腕を出して投球練習をしています(日本ではいつも長袖だった気が)。

いまだに記憶深いのが、その腕の太さ。

一般人の太もも位に太いのです。

 

小学生の時、サッカーの三菱の杉山選手の太ももの筋肉山がゴツゴツ5つくらい有って驚きましたが、

桑田選手の腕が遠めに見ても足ももくらい太いのにはびっくり。そんな日本人見たことありませんでした。

そりゃ、キャチャーミットで受ける音がズバンズバン響くのも納得。

キャッチャーの手のひらは真っ赤に腫れているのでしょう。

 

全国各地のナンバー1ばかりの中で勝ち抜くプロ野球選手は凄いわ。

 

グアムでの一番の思い出です。この記憶のおかげで2月だったのも思い出せますし。

 

 

ちなみに、初海外旅行のBを騙す作戦ですが、

Aは行きに、飛行機に乗るときは靴を脱いで乗らなきゃいけない、でした。

これは乗る前にあっさりばれて失敗。

 

3日目の帰国日。

Bを騙す作戦で帰りは自分のターン。

 

お土産を買って帰ろうとしたときに、何がいいか迷って、案の定相談してきたので、

・BVDの下着シャツが良いよ。

と教えてあげました。

 

・ほんと?、こんなの日本に有るじゃん。

・違う違う、製造国見てみ。

made in INDONESIAだかどっかの国が書いてあります。

・ね、日本じゃ買えないよ。

 

・そっか、安いし,軽いし。いいかもしんない。

 

こっちは笑っちゃいけないのでさっさと距離を置きましたが、

すっかりBは騙され、何枚か買ってました。

 

初物への儀式だし、なまじ捨てられない変なお土産をもらうより日用品の方がよっぽど良かったと思ってはいますが、効果あり過ぎたかな。

帰国してから、徐々にBに距離を置かれ始めました。

40年くらいたつけど、忘れられない思い出になっているといいな。良い方で。

 

世はバブルの湧き出した頃とはいえまだ、今より半額くらいの旅費での節約海外旅行。

その後、野郎だけでの海外旅行を健全に過ごすための必須アイテムとしてゴルフを始め、

この後のハワイゴルフ合宿などのきっかけになった眩しいバブル時代の幕開けの1985年ごろの2月のグアム旅行でした。

(写真は残っておらずネットからお借りしました)