財津論文「デリダからドゥルーズへ」in『ドゥルーズ横断』 | ゴキゴキ殲滅作戦!

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本と映画と渋谷とフランスについての日記です。

財津理さんの論文「デリダからドゥルーズへ」(in 『ドゥルーズ横断』/河出書房新社)を読了しました。1994年、ドゥルーズの死の前年に編まれた論集に掲載された論文で、著者は『差異と反復』の訳者です。

 

財津(敬称略)はこの論文で、ハイデガーの「存在論的差異」を媒介に、デリダの「差延」とドゥルーズの「差異」との親和性を指摘します。

 

30頁弱の論文ですが、すごく勉強になりました。

 

「『差異と反復』という書物自体が、コラージュの、それもモザイク的切り貼りの技法によって構成されている。脈絡はいたるところで断ち切られ・・・」(226~227頁)

 

この「書物の中では・・・差異の統一的な像が現れてこない。あるいは差異概念の同一的な定義がない。」(230頁)

 

私も『差異と反復』を読んだときは全く理解できませんでしたが、そもそもこの書物は「分かる」ようには書かれていなかったのですね。

 

「差異」についても、ベルグソン的な純粋持続のようにも読めるし、中沢新一が『雪片曲線論』で書いていた(←雪の結晶はどれも似た形をしているが、それぞれ微妙に異なっている)ようにも読めるし、ハイデガーの「存在」やデリダの「差延」のようにも読めるし・・・ということで、煙に巻かれたような気分でしたが、この書物にはそもそも「差異の統一的な規定」がないのでした。

 

次は小説を読んで、さらにフランスの短編を原書で読み、それから『アンチ・オイディプス』を読み返そうと思っています。