前の記事の続きです

 

本の治療ステップ通りに、次は、私の親がどういう人だったかをできるだけ客観的にとらえ直しをしてみました

このやり方で合ってるかわからないんですが

本にいろいろ書いていある例の中で自分と親のことにあてはまるものを拾ってみました

 

<第一章「親子とは何か」より>

親に求められる基本的な資質とは①社会を普通に生き抜いていける「知識」②生活に困らない程度の「経済力」、そして③子育てに「正解がないのを当然のこと」ととらえられるマインドである。この③について

この③の資質を欠いていて、子育てに「正解がある」と思い込んでいると、知識や経済力があっても、教育はおかしな方向に向かいます。自分の「これが絶対正解」を押し付け、こどもが壊れても判断を変えないならそれは「教育虐待」、逆に「本人の意思を尊重する」ことを絶対の正解と信じ、リスクヘッジの仕方も伝えず盲目的に賛成することや、一昔前の価値観を主張しすぎることで子供の思考回路を狂わせる、など。偏差値的に優秀な親であっても、こうしたことは起こります。こういう問題の背景によくあるのは、親の発達障害の可能性です。発達障害的なこだわりが子供の教育に向けられたとき、子どもは大きなストレスを背負います。これは臨床場面でも頻繁にみられるケースです。

これは臨床場面でも頻繁にみられるケースです

 

よくあるんですね!?よかった~❤そう、子どもはストレスなんです!しんどいって感じてた私の感覚は合ってたんですね!(合ってるって言い方もなんか変だけど)よかった~❤っていうのが最初の気持ちです。知識と経済力と偏差値は高い親でしたが、

母親が「子育てに正解はある」と思い込み、「おかきの希望を100%きいてる私は良い親」と思い込んでいて、例えば私が雑談的に「〇〇大学って難しいの?」って聞いたら(行きたいとは言ってなくても)、即、「おかきが勉強したいっていった!」(言ってない)って塾探してきて有無を言わせずぶちこんで「あなたが言ったんだからちゃんと勉強して上を目指しなさいよ!」的にプレッシャーかけてくる感じなのに、私が「ゲームボーイ欲しいんだよね」って言うと「目が悪くなるからダメ」で即却下。という感じの歪さ。母はずっと「おかき本人に全部決めさせてた私偉い」口ぶりだったけど、で、たしかに、私の希望と母の思惑が合致した場合には叶うこともあったけど、子供目線だと、いや、そこまでちゃんと希望叶ってないんですけど💦って感じで、しかも、失敗すると「おかきが言ったんだから」と全部私の責任になり責められるので、すごいストレスでした...やっぱりあの極端さはなんらかの発達障害と思った方がしっくりくる。で、ストレスを背負ったのは私のせいじゃない!!!よかった!❤うーんと、言い方難しいんですけど、自分の母への伝え方が悪かったのかな?もっとがんばればなんとかなったかな?と悩んでいた部分もあったので、いや、やっぱ無理だったよね…、仕方なかったよね…、って思えるのがとてもほっとしました。あとしんどいと思うことにも罪悪感があった(おそらく、自分で決めたことでしょという刷り込みから)ので、しんどいと思う感覚はおかしくないと思えるのもほっとしました。あと、変な話ですが母を悪者にしなくてもしんどいと思っていいっていうのもなんか気持ちが楽でした。正当な理由がないと「ストレスを感じてる」って言っちゃいけないような気がしてたのに気が付きました。「私はストレスを感じていた、辛かった」そのシンプルな過去の自分の感情が、ただそこに存在してていい、という安堵感が大きかったです。

 

親の「無条件の愛情」には限界がある

(子供側の発達の問題で子育てが非常に困難である場合もあるし)親自身の成育歴や夫婦関係の問題などから子供に愛情を持てない親もいます。また、親自身に発達の問題があれば、やはり子供への愛情や関心が希薄になることがあります。こうした傾向に対して「親と子供、どちらが悪いのか」という視点で語ることにあまり意味はありません。必要なのは「親は子に無条件の愛情を持つ」という世の常識に留保を加えることです。親に愛されなかったと感じている人(もしくは子供を愛せないと悩んでいる人)には、とくにこの視点が重要となります。「親は子供を愛して当然」という発想に「ただし例外はある」という認識が加わることで、親(子供)への思いにも、一定の客観性がもたらされるでしょう。

 

随分長いこと親のことで悩んできて、「私の辛い気持ちを分かって欲しい」フェーズから、「あのとき何が起こっていたのかが知りたい」フェーズにちょっと入りつつあった最近の自分が過去のいろいろを考えたときに、「私の親は、私に愛情がなかった」そう仮定すると説明がつくことが結構あって、でも、やっぱり「親の愛」を否定するっていうのはタブー感はあるし、愛す価値がないと思われてたのかな?とか愛情を受け取れない私の方に問題があるのか?とか、なんかまたぐるぐる考えちゃったりしてたので、ここで「え?親が子供を愛さないこと?あるよ?全然あるよ?」「別に誰が悪いってわけじゃなくて発達の問題ってこともあるし」って、さらっと言ってもらった(書いてもらった?)のがほんとにほんとに救われました。大人になっていろいろな人と関わってきて、自分も子育てをしてきて思うのは、「私、親から愛情全然もらってないなー」なんです。マジでほんとに「愛情」がなかった💦あ、でも、おかき、かわいそう...って思われるのもまたなんか違くて...。「私の親には愛情がない!」っていう事実を堂々と主張したい感じ。親子間「カサンドラ」が、すごくしっくりくる感覚です。うちの親の中に「愛情」ってやつがそもそも存在してない気がする。他者理解が弱すぎて「愛情」の概念が分かんないんじゃないかなあ?または、ちょっとはあるけど適応幅がめちゃめちゃ狭いとか(で、私は範囲外)。その理解で合ってる気がします。今は理解できた(気がする)のがすごく嬉しいし、理解したことで自分の悩みが解決した気分です。私は、親にはもらえなかったけど、親以外のいろんな人にちゃんと「愛」はもらって今、まあ、そこそこまともな大人になれたかなと思うので現状には満足していて、今後、介護問題などで親と関わらざるをえなくなったときも、冷静でいられそうで、ほっとしています。子供だった過去の自分については、当時はやっぱり寂しかったので、その気持ちも覚えてるので、子どもだもんね~わけわかんないよね~ほんとに大変だったよね~って心から労うことも出来ました♩でも、現在の自分とはちゃんと切り離して考えることができたので(今は寂しくないし)、なんか、癒されたな~私ちゃんと自立したな~と思いました。

 

親に障害がある時の問題「ASD積極奇異型」

ASD積極奇異型は人の話を聞かず、自分ばかり話す傾向があります。他人の迷惑などおかまいなしで、自分の話したい話をしてしまう。他者との境界があいまいなため、子どもにとって興味のない話を延々と聞かせてしまう。このタイプの親はしばしば「ワンマンな暴君」になります。暴君型の親は「成功者」であることもよくあります。発達障害につきもののこだわりや過集中が勉強や仕事に向けられたとき、それが大きな成果となって、高い学歴や出世に結び付くのです。そして、その経験が(悪い意味で)自信となり、子どもに自分の価値観を押し付けるのが典型的なパターンです。

 

私の父の話ですか?(笑)っていうくらい、私の父はまさにこれ。ほんとこれ。なんかよくわからない仕事の話を延々と聞かされたし、仕事では「成功者」だったし、

 

また「キレやすい」本人だけのこだわりがあり、そこに触れると烈火のごとく怒り出すのです

 

そう、よく怒ってた、毎日なんか怒ってた

 

ASDで、他者に無関心な父親がいる家では、母親が寂しさを募らせて子供に依存することもあります。たわいないお喋りから、父親の愚痴や悪口、自身の悩み事まであらゆることを話して、子どもをカウンセラー役に仕立ててしまうのですが、

 

そう!これ!これもそう!!!私、母の話や愚痴をすごいすごいたくさん聞いてた!

 

当然、子どもには明らかに荷が重すぎます。これは言わば、精神的な「ヤングケアラー」問題です

 

問題だったんだ...

 

父親の悪口はやはり子供にとってこたえるものであるし、反対に、さほど重荷とは感じず、むしろ頼られる嬉しさや誇らしさを覚える子供もいるのですが、その結果、どちらのパターンであっても、がんばりすぎて病んでしまうことになります。

 

たしかに子供のころは頼られて嬉しかったけど、結婚してもそれが続いて病んだんだよな…そっか、なるほど...

 

コミュニケーションの障害があるためか夫婦仲は悪くなるケースが多いです。誤解やすれ違いが合ったり、自分のこだわりを譲ることができず、トラブルになることも多くあります。

 

ケンカばっかりしてたのはこういうことか...

 

いずれの場合も、根底にあるのは「自分は夫(妻)である」「自分は父親(母親)」であるという「役割意識」の乏しさです。青年時代・娘時代の意識が抜けず、親としての役割を全うするという意識が乏しいのです。良くも悪くも自己中心的で、社会や組織に従順になることが苦手です。

 

父も母もこんな感じで、なんか私が子供なのに「親」としての役割を求められてる(なんか精神的な部分?)感覚は常にありました。「なんで私が?」っていう謎もこれで解けました。父は突出した得意があったので、仕事はできてたみたいだけど、母はパートを始めてはトラブって辞めてくる、大人になってから友達と大喧嘩して絶交してくる...とかあって、そっか、そういうことか...って感じでした。

 

こうした、ある種の未熟さは、人間理解の乏しさともイコールです。彼らは人に騙されやすい傾向があります。悪徳商法や、怪しい宗教の勧誘にひっかかりやすいほか、日常的なレベルでは、たとえば子供のウソを真に受けたりします。

 

おー!これもそうなんだ!?確かに、なんか電化製品セールストークに載せられて使えもしないのに高いもの買ってたし、高い健康食品やダイエット食品もしょっちゅうなんかオトモダチに買わされてたし、子供心に「バカなの?」って思ってた。子供のウソのところもまさにそうで、こだわり部分は全く譲らず勉強への圧とかおこずかい縛りはすごくてしんどかったけど、日常の些細なことはいくらでも親をだまして、ごまかせたので「親、ちょろいな」って思ってた部分もあった。そっか、あの歪さもここにつながるのか...って思いました。

 

自己愛性パーソナリティ障害

自分だけが好きで、人への共感性に著しく欠けているのがこの疾患の特徴です。自分をより大きく素敵に見せたいという思いが強く、態度は尊大な感じの人が多くなります。ブランド志向が強めで、ほめられること、賛美されることに貪欲です。自分だけ特別扱いしてほしい、という思いが強く、そのために人のぶんを横取りするのも平気です。他人を貶めることに対して躊躇がないのも特徴です。それゆえに、親子関係でも、子どもよりも自分の方が大切ということになります

 

これ、母です。

これ、母です。(2回書く)

自慢ばっかりだし、私が頑張ったことは全部「私の育て方のおかげ」と母の手柄としてかっさらってくし、話してても自分の話しかしないし、私の話もいつのまにか母の話になってるし、なんか「褒めて」「褒めて」って賛美をカツアゲしてくるし...。行動はどう見ても娘より自分が大事でしょ?なのに、口では「私は良い母親」「あなたは良い母親で感謝すべき」自分の感じているものと母が言う内容のズレの感覚が一番しんどかったです。これを読んで、あー、ちゃんとこういう病気、あったー♥よかったー❤って思いました。私が母を恨むあまりに記憶を捏造してるんじゃないかと混乱するくらい、母の行動は理解不能でした。でもこういう人がちゃんといる!私の母はこれかもしれない(たぶん間違いなくこれ!)と知ってほんとにほんとにホッとしました。そうそう、他人を躊躇なく貶めてたわ...嫌だったー、ほんと嫌だったー。

あと、全然悪気がないというか、別に娘が嫌いとか憎んでるから意地悪してるって感じじゃなくて、全く、人として見てもらえてる感じがしなかった、母は私の気持ちに興味がなさそう、でもそんなことある?「ちゃんと人の気持ちを考えなさいよ」って言う人が?なんで?って思っていたので、それ、あるんだ!よかった!✨✨!これ、あるんだ!って思いました。(説明が難しい…母は人の気持ちはわかろうとしなかったけど自分の気持ちはわかって欲しがった、で、その矛盾に全く疑問を持ってなさそうだった)

 

これ、母です!!(もう一回言いたい!何回でも言いたい!!!笑)

 

あと、父と母ではないんですが、

 

ASD受動型

ASD受動型の親は、全般的に、家庭や家族への監視が薄いように感じられることが多いようです。父親ならば、多くの場合、自分のペースやルーティンの中だけで生きる、ほかの家族にとっては「いるかいないかわからない」存在になりがちです。家事にも消極的、というより「家事をすべきだ」という意識がないことも多いです。

 

父方の祖父がたぶんこれで、木彫りが趣味で、延々と木を彫っている。精巧な作品が家にたくさんある。それ以外は、一日中ほぼずっと食卓の定位置から動かない。表情が乏しい。会話がほぼない。なんかお薬をたくさん飲んでる。子どもから見ると不思議なおじいちゃんでした。父が高校生くらいの頃、うつ病になって仕事ができなった時期があり、お金がなくて家が大変だったという話を叔母から聞いたことがあります。たぶん社会にフィットするのが難しかった?

 

境界性パーソナリティ障害

対人関係が不安定で、衝動的な行動が多くなります。人に見捨てられないよう、なりふり構わない行動をとりがちです。自分を卑下し、相手を理想化することもあれば、相手をこき下ろすこともあり、自分のアイデンティティのとらえ方も流動的です。感情の起伏が激しく、怒りの衝動に襲われたら制御できない傾向があります。過食、自傷、自殺すると脅す、などの破滅的な行動にも走りがちです。当たり散らしたかと思うと、「捨てないで」と同情を乞いすがりついたりするので、子どもは非常に振り回されます。

 

ぴったりこれ!ではないんですが、母方の祖母がこの感じに近いです。自分は「心臓病」だって言ってたんですが、なんかあまりにも発作のタイミングが都合がよすぎるというか、どういう仕組みかわかんないんですけど、祖母の希望通りに家族は動かざるを得ないタイミングで発作を起こして入院して、自分が死にそうだからと要望を通す。「ミュンヒハウゼン症候群」というのを知ったときに「おばあちゃんじゃん!」って思いました。普段も、優しかったと思ったら、急に激高する、おじいちゃんのことを賛美してラブラブ感を出してたと思ったら急にこき下ろしてケンカになる。ジェットコースターみたいな感じ。夏休みとかに祖父母の家に遊びに行くと、最終日に祖母と密室で二人きりで何時間も祖母の話を聞き「おばあちゃんがかわいそうだからまた遊びに来なきゃ」という気分になっちゃう、なんか洗脳タイムみたいなのがありました(幼稚園~小学生くらいの記憶)💦たぶんこの洗脳の影響?で、おばあちゃんにお手紙をくさん書いてたのかもしれないです(母の母の話)「感情の起伏が激しい」「なりふり構わない」という表現がぴったりの人でした。母からは祖母の愚痴をたくさん聞きました。祖母と母、めっちゃ相性悪そう...。私は当時おとなしくてお勉強ができたので祖母のお気に入りで、かわいがられた...?って思ってたんだけどなんか違う...?なんか「えこひいき」されてました。その表現がしっくりきます。


大学生のときに、すごく楽しみにしていたスキー旅行を祖母と母に邪魔された(今は「邪魔された」って断言できる😂)思い出があるのですが、(幻のスキー旅行)↑こういう特性を持った人たちだったと理解すると、自分たちを差し置いておかきがルンルン気分で旅行に行くのは「ありえない」「阻止して当然」となるのも納得。で、彼らにとってはそれがあまりにも当然である、と理解すると「邪魔してやったぜ!ざまぁ」みたいな意地の悪さも感じなかった、というのもなんか納得。

 

チューニング、プルーニングについて

チューニングとは、よく使う大事な情報が強化されていくこと。プルーニングは、要らなくなった情報が忘れられ、整理されることです。時間のたった情報、もう使わない情報は消去されます。逆に、何度も思い出していると強化されたり、実際の出来事にはなかった尾ひれがつういたりすることもあります。消去する方向に行きたいなら「今の自分」に目を向けることが大切です。過去は変えられませんが、解釈し直し、書き換えていくことは可能です。不安や恐怖に彩られている過去を、大人の目線で理解し直し、現実をあるがままにとらえていくことで、新しく解釈し直すことも可能です。

 

今まで親のことを誰かに「喋っていた」ときは、あんまりその辛さが減らなかったんですが、ブログで「書く」と、なんかその書いた辛い出来事をいい感じに「忘れる」(辛い思い出が減る)という不思議な経験をここ一年くらいで何度もやってきて、自分にとっては、書くことは「頭の外に出すことができた」とか「書いて記録したからもう忘れて大丈夫」みたいな気分になる儀式?みたいな感覚がありました。本を読んで、自分の中では、話す→チューニング、書く→プルーニング、って分かれているのかな?と思いました。「今」の目線で「過去」を書くから過去を整理して、解釈のし直ししてる感じなのかな?ブログを読んでもらってると意識しながら書くのもカウンセリングみたいな感じでいいのかな?いろんな方のブログ読んでると、延々と同じような恨みつらみを書いてる人も見かけるので、このカテゴリ分けは人によるのかも?と思っています。

 

両親の夫婦仲が悪いと、親子関係にも多大な悪影響があります。どちらかがひどく不機嫌だったりすると、なにかあったらしいのはわかるけれど、空気が張り詰めていて聞くに聞けない状態になります。結果、正体のわからないものへのおびえが子供を委縮させ、大人になっても不安に駆られやすくなる。などの後遺症を残すことがあります。激しい夫婦喧嘩に毎日さらされる子供もいます。子供は毎晩、布団にくるまって怒鳴り声に耳をふさぐしかありません。この場合も10年20年後に突然フラッシュバックが起こる、などの傷を残します。母子密着のケースも、夫婦の不仲の延長として起こることがあります。母親に依存されると子供は「頼られることが自分の存在価値」「お母さんは私がいないとダメなんだ」といわゆる共依存の状態になります。

様々なケースがありますが、その経験を持つ「元・子供」は、自分に起こった出来事を「自分のせい」だと思わないことが大事です。大人になった今、許せることも許せないこともあると思いますが、いずれも発端は「親の事情」であり「子供には何の責任もない」ということを改めて認識してほしいと思います。

 

両親はほんとに毎日のように喧嘩していました(親のケンカ

)。自分のせいだと思わなくていいと言ってもらえたのはほんとにほんとに救われました。親を憎みつつも「自分がどうにかできたのではないか」という意識があったことに気が付きました。自分のせいじゃない→親のケンカは他人事と思える→親を憎まなくていい、みたいな手順で怒りが一個消えました!!!(不思議~)でも、ほんとに親のケンカの影響...よくないです。私の父と母はほんとに文字通り「毎日ケンカ」していて、たぶんその影響?かな?と思うんですが、自分は、必要以上に人との摩擦を回避しようとしてしまう自覚はあります。このケンカに関しては、私も私の夫も「常時喧嘩勃発家庭」出身で、私も夫もたぶんその影響で、怒るのが下手、人がイライラしてるのが苦手、なのでお互い夫婦喧嘩がめっちゃ下手!!「喧嘩しない」じゃなくて「喧嘩できない」夫婦で...。片方に不満があってイライラする→もう片方が空気を読んでびびって対処...をお互いにやる、みたいななんか不健康なコミュニケーションしてました。で、このイライラの雰囲気は子供たちに絶対伝わっていたので、自分も親としてやっちゃっていたなという反省もあり、子どもたちが不登校になってそれに気づいて(これは、ほんと気づくの遅かったぁ😨😨と後悔してる...)夫と共にイライラする前に自己申告して話し合い!方向で頑張っています。今はだいぶ「我慢しないで」「イライラしない」感じに落ち着いてるんですが、なんかどちらにしても、現在の我が家は極端に家族の衝突とケンカが少ないので、たぶん、毎日ケンカしてるよりは絶対マシだとは思うんですけど、全然ないっていうのは、それはそれで大丈夫なのかな??と...。私と私の親のことはもうなんか気持ち的には解決してるんですけども、自分の守りたい家族の方への影響はどうなんだろう?と新たな悩みがあります。私も夫もケンカが下手で、なんか子供たちも人との衝突をめっちゃ回避してる感じもあって💦結局子供3人とも思春期の反抗とかあんまりないまま終わっちゃったし💦我慢してたりしないかな?上手な喧嘩を見せてあげれてなくて、なんかちゃんと親を出来てなくて、ごめんねーって思っちゃいます。

 

自分が「育てにくい子供」だった可能性

あなた自身が親にとって「育てにくい子供」だった可能性があります。発達障害や境界知能の子供を育てる親はほかの親とは違う苦労をします。自分を責めて、うつや不安障害に...

 

これについて考えるのが一番難しかったです。ちょっと「変わった子だった(今も)」自覚はあり、忘れ物、うっかりが多い(今も)、目の前の友達が私の言動で突然怒り出すことがある(大人になっても数年に一回ある)、活字への執着(読書の思い出)、他の人のブログのコメントが長くなっちゃうとか、今も、「書く」のが楽しくなっちゃって、このブログにいろいろ「書きたい」衝動が抑えられなくて家事が滞ることがある…💦とか、この超長い記事書いてるのとかも💦💦なんかちょっと変かも?って思ってることを羅列して、チャッピーに「私、こんな感じなんですけど、発達障害っぽいですかね?」って聞いてみたら、「可能性としてはADHDですね、でも、今困ってなければ大丈夫ですよ、文章書くのが楽しいなんて素敵な才能じゃないですか!大丈夫!自信もって!」って励まされました(笑)(聞き方が下手だった?でもちょっと嬉しかった笑)あまり準備せず衝動的に行動して失敗することが多かった(今も)ので、親から見ると、理解不能で「育てにくい」と思われていた可能性は大いにあると思いました。

 

親はどんな人?生い立ちと背景を知る

親の客観的事実を整理してゆくのが、親理解の第一歩。皆さんも同じように、親がどんなふうに育った人なのかを整理してみましょう。

 

父親について

大正生まれ祖父と昭和初め産まれ祖母の間に生まれた、団塊の世代、父。姉と妹がいます。上に書いたようにASDっぽい祖父で、ASDっぽい父。祖母については、上記の祖父がうつ病で仕事なくなっちゃったときは一時期荒れたらしい(叔母談)んですが、私の知っている祖母は、ちょっと多動気味のところはありましたが、エネルギッシュでいつもごきげんな愛情深い人でした。資産家の娘だけど、資産は祖母の父が政治家志して全部使っちゃったとかで、既に貧乏でしたが、その時代の女性にしては高学歴で女学校っていうのに行っていたらしく滲み出る教養がある人。幼少期は母が姑である祖母を嫌っていたためなんか悪い人のイメージでしたが、大きくなると直接交流するようになり、仲良くなりました。私はこの祖母から「対価を差し出さなくても尊重してもらえる」「ありのままで存在していて良い」「安心というのはこういうこと」という感覚を教えてもらいました。この感覚を得られたのは自分にとってはすごく大きくて、大好きな祖母で、祖母がいなかったら多分私は今もっと人生詰んでたと思います。不思議なASD祖父のことも「こういう人なのよ」って普通に接していて、祖父も祖母のことが大好きな雰囲気はありましたし、父の兄弟である叔母たちもちょっと変わった人たち(たぶんなんらかの特性あり)で、今考えるとだいぶ発達障害一家だったんですが、「ちょっと変わってる子たちなのよね~」と、上手に社会と折り合いをつける方向で、子育てをしていたように見えます。(自分の子育てでは大いに参考にした)なので、父も変な人でしたが、今考えると、基本の自己肯定感は高く、母と比べるとだいぶまともだった?ように思います。父は、祖父がうつ病になったのとほぼ同時期に外科系の疾患にかかり長期入院→高校留年、それまでは「ただの変わった子」だったのが、そこで急にスイッチが入って勉強ができるようになり、高偏差値大学に入学「頭がよくなった代わりに性格が悪くなった」(叔母談)この成功体験から、学歴厨、子供(私)に学歴を期待するようになったのかなと思います。高偏差値大→大企業、バブル期で収入が高かったなどから、経済的に貧しい祖父母と義祖父母から「たかられた」(父談)両方の親の援助をしていたようです。仕事で忙しかったため私とあまり接点はなく、たまに会うと延々とわからない話をしてくる、あと、失礼なことを言ってくる「米と芋が好きなのか、『炭水化物女』だな」とか「そんなにあれこれ欲しいおまえは『守銭奴』だな(にやにやしながら)」とか、そんな感じなので(ASDっぽいな…)、全然良い印象はないけど、そこまで大きな恨みもない存在です。

 

母親について

明治生まれ祖父と大正生まれ祖母の娘、団塊世代母。祖母が上記のようにいろいろヤバイ人で、「妊娠出産は怖いからしたくない」「か弱い私には無理」「でも子供は欲しい」(これがありな時代だった!?)と母は養女です。祖母の昔の写真はかなりの美人で、本人の話では由緒正しい武家出身、厳しく育てられたとのこと。太平洋戦争で財産を失い、結婚して地方に。祖父はスポーツマンでオリンピックの選考会までいった陸上選手(っていう新聞記事と賞状みたいなのが飾ってあった)でメーカー勤務だったっぽい(ロゴ入りのグッズがおうちにいろいろ)ってことは実業団かな?(と推測)定年退職後でした。記憶にある限り、祖父は(祖母に比べると)わりとまともな定型発達の人、でも、祖母にべた惚れでいつも振り回されてるという印象でした。祖母が(自称)体が弱いので、家事は全部祖父がやってました。母が養女であることを、祖母は私にひた隠しにしていましたが、母は私にずっと「私はペットのように拾われてペットのように扱われた」と愚痴っていたので、私が中学生くらいのときに祖母に満を持してカミングアウトされたとき「知ってたけど?」って思った覚えがあります。祖母は母にいっぱい習い事をさせて、塾とかも行かせて、母もそこそこに能力が高かったみたいで、途中までは祖母の思い通りに母は育ったみたいで、母の実家には、子供の頃の母のバレエやってる写真とかトロフィーとか賞状とかがいっぱい飾ってありました。母はこれが嫌だったみたいで私に習い事させず、「子供に習い事をさせない私は良い母!」って言ってました(極端😅)母は自我が芽生えた思春期に激しい反抗期になり「大反対を振り切って上京した」(母談)で、同じように地方から上京していた父と大学時代に出会い、結婚。私の知ってる祖母と母は会うたびいつも大喧嘩してました。でもお互いすごいお互いの文句を言ってるのに祖母のところには毎年里帰りして、里帰りしたら喧嘩して...、普段もしょっちゅう電話して、電話しては喧嘩して...子供心に「この人たちなにしてんだろ?」「へんなの」って思ってました。(で、私が悪いのかな?もっといい子にしなきゃ...みたいに感じてたのかも)こう書いてみると、母のあのおかしな感じは、「発達障害」&「成育歴」の両方に原因があるのかもなと思いました。

 

親の育った世代について

親の歴史を知ると「実はこうだったのかもしれない」という新しい視点が得られます。「当時はそういう時代だったのだ」という認識は「割り切り」であるとともに、ある種、救いでもあります。

 

これについては、以前、田房永子先生、上野千鶴子先生の「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 」という本を読んだときに、(時代のせい!?)私と同世代の毒親で悩む娘の残念な母親の驚くほどの共通点は、時代の影響もあるんだろうなあということはすごく感じて、今回の本の話と併せて、

「世代」+「発達障害」+「まあまあいうこと聞く娘」=同じ方向性のかなり残念な母親&病んじゃう娘が出来上がる!ということなのかもしれないなと思いました。

 

続きます