発達心理学のアイデンティティの形成の話続きです
引用多めで長くなります
ご興味ある方だけお付き合いいただければと思います
元ネタは引き続きこの教科書↓
「モラトリアム」について
エリクソンが提唱したモラトリアムとは、社会的な義務や責任が少ない状態で、さまざまな役割を試しながら、自分の生き方を模索する時期のこと
その後マーシャが
↑このような生き方をモラトリアムというステイタスで呼んだ
ここまでが基本で
現在は
エリクソンがモラトリアムの概念を提唱して半世紀が経過し、モラトリアムの意味や過ごし方も時代とともに多様になっている
とのことで
教科書では3種類のモラトリアムが紹介されていて
①古典的モラトリアム(エリクソンのもともとのやつ)
まさに自分の生き方を選択・決定しようとしている青年であるため、何か特定の対象に打ち込んだり、積極的に関与したりすることはできていない。打ち込む対象が決まっていないことによる不安や緊張感とともに「早く一人前になりたい」という思いを強く持ち、一人前になるためには自分はどうあるべきか、何をすべきかを必死に探求している、真剣で深刻な自己探求を特徴とするモラトリアム。
②モラトリアム人間(1978年 小此木 啓吾)
主体的な選択・決定を先延ばしにし、幼児的な全能感を持ち、禁欲から解放されて快楽本位の自由を楽しむ遊び感覚に支配された青年の増加を指摘し、そのような青年を「モラトリアム人間」と呼んだ。1980年代には「大学のレジャーランド化」(1985新堀通也)
③第3のモラトリアム(1999年 伊藤茂樹、2009年2010年溝上慎一)
学業を重視し、授業はまじめに出席し、ノートをしっかりとるが、授業に対して受動的、長期的な展望が乏しい、資格志向が強い、友人関係が固定的で狭いなどの特徴を持つ「生徒化した大学生」 や、授業に出席、授業外学習や読書も行い、遊びや対人活動にも多くの時間を費やす「よく遊び、よく学ぶ」活動性の高いタイプもいる。一見、立派な青年に見えるが、その背景には周りから後れを取ることへの不安を持っている。そして、リスクを避けるため、実際の活動は受動的であり、安定、安心を求めようとする傾向がある。
長女がまさに③タイプだな~と思って
すごく忙しくて充実しているようにみえるけど、行動の背景には常に不安
そして、なにより、今後について
「とくになにもしたいことがない」
そもそも何者かになりたい欲もない(ようにみえる)
これ、本人、困るだろうなあと、思って…
古典的なエリクソンのモラトリアムは、しんどかったと思うけど
でもなにかしら焦燥感というか、自分は「一人前にならなきゃ」みたいな進む方向はちゃんとある感じがする、時代的にぬるいこと言ってたら〇ぬ、みたいなこともあったとおもうし
モラトリアム人間は...なんか楽しそう?..(そんなことないのかな?)っていうかたぶん考えなくてよかったんですよね?時代的にバブル期だし、なんにも心配しなくてよかったんだもんなーいいなーこの時代の人たち~(笑)(笑)(この解釈であってるのか?)
長女みたいな現代の第3のモラトリアムの子たち
自分は何者なのか、どうしたいのか決めてなくても「不安」のモチベで「遅れをとらないように」真面目に頑張ってきた結果大学行けちゃうし、就職もできちゃったし
長女が言うには
「でも、仕事いけなくなるとかほど深刻に悩むことはたぶんなくて、『どうせ悩んでても行けちゃうんでしょ』って冷めた目で自分を見ている自分もいる」
だそうで
これ、大人が軽々しく
「いつかやりたいことが見つかるよ」
っていうのもなんか違うよな、と思って
ここで私の疑問は
果たして
第3のモラトリアムにゴールはあるのか?
ということ
アイデンティティの達成がゴールじゃないかもしれないんじゃないだろうか?
アイデンティティ達成できるといいね~
も、違うんじゃないか???
こうなったら「良い」って思うこと自体もしかしたら違う???
難しい...
ちょっと話は変わりますが
ママ友で双子で特性アリ元不登校の子供がいる人がいて、彼女に以前聞いた話がすごく印象に残っていて、なんかこの話題とリンクするところがある気がしていて
友「勉強は得意だったから、言われるままに真面目にやってきて、すごいね、って言われるところに就職して...でもたぶんやりたくてやってたわけじゃないんだろうね」
友「結婚して、妊娠したと思ったら双子で、『あ、双子の子育て大変だから仕事辞められる、ラッキー』って思って仕事辞めて」
友「子育てはね、もちろん愛情もあるよ、子供たちもすごい好き。子供は持ててよかったと思う、でもそれ以上に使命っていうか『やるべきこと』がある感覚が良かった、自分で決めなくていいから?」
友「子供大きくなっちゃってまた仕事しなきゃなって思ってたら、子供たちに特性が見つかって」
友「子供、『あー、特性ある子の子育て大変だしね、仕事できないなーラッキー』って思ってる自分がいて」
友「で、また、子供たちが大きくなって、ちょっと手が離れてきて、今度は不登校になったでしょ?」
友「また、不登校大変だから仕事できないな、ちょっとラッキーって思ってる自分もいて(笑)」
友「ありがたいことに自営の知り合いが、子供の事情も理解してくれて、週2、半日でいいから家業を手伝ってって言ってくれてて、雇ってもらって十分すぎるほどの時給を貰ってて」
友「こんな状況で文句言ってたらいけないのは分かってるんだけど」
友「そんなぬるい仕事でも『めんどくさいな、なんか行きたくないなあ』って思うの」
友「こんな自分、どうなんだろう?って思うんだよね…」
私から見ると愛情深いおかあさんで♬
子育ても、不登校対応も、仕事もめっちゃちゃんとやってる彼女
めちゃめちゃいい人で♬大好きで✨✨でも、本人の気持はこんな感じみたいで
モラトリアム感あるなあと思って(笑)
恵まれた状態にいながらも、本人十分やってながらも
悪くない状況なのも知ったうえでなんだか
ちょっと現状に満足してない
でも、このままでも生きて行ける
このまま生きてゆく選択をするのも全然アリな感じ
でもちょっと不安で不満...
長女の将来はこんな感じになるのかなあ?と思ってみたり...
こういう人たちがもし変わるとしたら
それは、たぶん自分自身が強く変わりたいと思ったときで
「幸せになる『勇気』」
と、あるように
それは結構胆力のいるものな気はしています
だから別に変わることを選択しないのもまた選択で...
うーん、結局どうするかとかどうしたらいいかは本人だけが決められるってことかな...と、あ、でも、長女はそこも「決められない」わけだから...ぐるぐる
いつまでもループ…
私の希望は「彼らはどんな選択をしてゆくんだろう?」と、友達や長女のこれからを興味深く追いかけさせて欲しい💕