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前回の投稿で、「卵巣嚢腫が見つかったシンガポールの健康診断で、乳がん検診のマンモでも再検査となった。健康診断を受けた日系クリニックから紹介を受けた乳腺外科クリニックに定期的に通った。シンガポール人医師による英語での診察だった。のう胞(シスト)があり、その定期チェックだった。これから10年後に乳がん手術を受けるとことになる」と書いたが、本日はこれについて。2002年秋から03年春にかけての話だ。

紹介を受けた乳腺外科クリニックは、私が卵巣嚢腫手術を受けたマウントエリザベス病院内のテナントクリニック。フロアには乳腺外科クリニックがズラッと並んでいる1つだ。クリニックの乳腺外科医は、患者獲得のために自分の経歴などをアピール。「凄い競争!」という印象を受けた(シンガポールの医療システムについては、シンガポールでの入院・手術①を参照)

今から15年前の出来事。健康診断での乳がん検診方法(マンモ・エコー・触診)や、「要精密検査」理由など全く覚えていない。当時、私は30代。マンモを撮影すると画像が真っ白で診断不可・要精密検査になる経験をしていたので、「またか」といった程度の感覚だった。

2002年当時、「日本人・東洋人は欧米人に比べて乳腺密度が高く、欧米で主流のマンモによる乳がん検診は、日本人、特に若い世代の日本人には不向き!」ということを私は知らなかった。私が知ったのは乳がんの告知あたりだ。

話をシンガポールの乳腺外科クリニックに戻して。マンモ(X線撮影)は、乳腺外科クリニックが入居するマウントエリザベス病院内のエックス線(レントゲン)専門クリニックで撮影した。その場で撮影画像(フイルム画像)とその専門クリニック所属の画像診断医による診断書を受け取った。診断書については、依頼医師の乳腺外科主治医と私宛に同じものが2通あった。同じものを主治医と私が保管するシステムだ。卵巣嚢腫手術の術前血液検査や病理検査も同様だった(詳細は前回の投稿を参照)。

乳腺外科医はその画像及び診断書をもとに自身でも診断。必要に応じて乳腺外科医自らがエコー検査を行い診断していた。初診時には、のう胞が1つだけ発見され、3ヶ月後に検診となった。3か月後には、のう胞が6つ発見され、「これは大丈夫。念のため半年後に検診」となった。乳がんサバイバーの今ならよく分かる。怪しい個所1つの方が危険だ!

15年前の診察内容をここまで明確に覚えている理由は......。診察後に毎回、乳腺外科医の診断書が私に手渡され、今もその診断書が手元にあるからだ。胸の絵が書かれた所定の紙に、疑わしいのう胞(シスト)がある位置・大きさ全てと、それに関する医師の診断が記載されている。欧米式だと理解した。

乳がん罹患後に、カナダ在住の病院仲間が、「カナダでは、診察後に必ず診察内容・診断内容が書かれた書面を貰う。それを見て質問することもある」と話してくれたが、その時に、このシンガポールでの体験を思い出した。

次に、マンモのフイルム画像。初診の診察後、乳腺外科クリニックの受付で、「はい、これがあなたのマンモ画像。次の診察時にはまた持ってきてね」と言われ、意味が分からなかった。「画像は患者に帰属したので私が保管。通院する度に持参。もし、他の乳腺外科医の診断を訊きたければ、この画像を持参して」がクリニックのスタンスだった。「なるほど!合理的!日本みたいに何度もレントゲンを撮る必要がない!」と感心した。「マレーシア・ジョホールバル在住。自分の車ではなく、バスで来る時もあるから、大きなフィルムを毎回持参するのは面倒。預かっておいて」と頼んだ。

日本本帰国時には、今までの経緯を書いたレポートが当然のように出てきて、「今のところ、のう胞だけで心配ないが、今後異変があれば、このエコー及びマンモ画像とレポートが重要になるからちゃんと保管するように」とまで医師から言われた。

余談だが、この乳腺外科医とは診察の度に話が盛り上がった記憶がある。検診に通うのが苦痛ではなかった。私は日本人の中でははっきりとモノを言う方なので、外国人には比較的受け入れやすいところがあるからかな?と自分では推測している。

このマンモ及びエコーフイルム画像は、乳がん発覚時にもまだ手元にあった。千葉から福岡に引っ越す時に見つけて、「あー!これを乳がん手術の執刀主治医に診てもらいたかったな....」と思った記憶がある。そして、その時に破棄した。この時ののう胞と今の乳がんとは関係がないと思うが、シンガポールの最終定期診察時に見つかった6つの「のう胞」の内、2つは乳がんの病巣位置にあった。因果関係があるか否か。ちょっと興味がある。

本帰国後、シンガポールの婦人科医と乳腺外科医からもらった診断書及び画像を持って念のため都内の大学病院を受診。「えー?日本の大学病院って??プライバシーないの?えー??シンガポールとは全く違う!マジ??」と、2003年の日本の最先端医療現場の現実に愕然とした。このあたりは後日。

今日のオマケはマレーシア・ジョホールバルの自宅からの眺め。遠くの対岸に見えるのはシンガポール。写真では殆ど見えないが。



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