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3回に分けて投稿したシンガポールでの手術・入院(興味がある方は「海外医療体験談」カテゴリーを参照)。「まだ続くの?」という感はあるがお付き合いを!今日は術後に貰った手術報告レポートについて。

全身麻酔の副反応「嘔吐・吐き気」に苦しんだ2003年のシンガポールでの手術・入院。それから10年後のシリコン・インプラント乳房再建手術前の麻酔科医との面談で、シンガポールでなぜこれほど嘔吐・吐き気に苦しんだかが分かった。

その麻酔科医によると
・女性
・女性生殖器及び頭頸部の手術(女性ホルモンが関係しているらしく、乳房も吐き気・嘔吐が出やすい部位らしい)
・腹腔鏡手術(手術時にお腹に空気を入れたり、胃などの内臓を持ち上げたりするため)
・タバコを吸わない人
・年齢が若い
が全身麻酔後に吐き気・嘔吐が出やすい条件とのこと。そして「私のシンガポールでの卵巣嚢腫腹腔鏡手術は全ての条件に当てはまる。吐き気・嘔吐が出やすい」と説明してくれた。もちろん、その時の体調・麻酔に使う薬剤・麻酔時間・もともとの体質といった要因もある。

話は再び2003年のシンガポール。退院後初めての主治医の産婦人科クリニックでの診察時。術後の病理結果の説明を受けた。当時の私は30代後半。しかも入院・手術、それどころか点滴も初めてで、医療知識に乏しかったこともあり、病理結果の持つ意味を全く理解していなかった。

主治医が病理結果を見て「チョコレート嚢腫で良性でした!」とホッとした表情を浮かべたことに驚いたぐらいだ。「病理結果が出るまでは安心できない」という、今では当たり前のことが分かっていなかった。

続いて、主治医は自身が作成したレポートを見せながら、再度、手術の説明をしてくれた。病巣が映った術前写真と病巣を取り除いた術後写真。医療知識が乏しかった私ですらよく分かった。自分の卵巣・子宮などを初めて見た!

主治医は産婦人科クリニックの医師だったため、術前の血液検査や術後の病理検査は他の専門クリニックに依頼していた。それらの検査に関する結果レポートは、主治医及び私宛に2通同じものが作成され、主治医と私が同じ結果レポートを保管するシステムだった。病理結果レポートには、取り出した腫瘍の病理写真も添付されていた(今でも色褪せていない)。

主治医は、これらの全てをまとめたを手術に関する報告レポートファイルを作成(当時はまだ紙媒体)。術後直後あたりに日本本帰国が決まったので、「日本に帰国したら、必要に応じてこのレポートを日本の医師に見せるように」と私に手渡してくれた(作成費用は不明。全て夫の会社がかけていた海外傷害保険で支払われた)。今でもこのレポートは手元にある。術中に撮影された患部の写真は色褪せていない。主治医のレポートは英語(写真のキャプションのみ日本語付き)で、病理結果は英語と中国語だ。

実は、卵巣嚢腫が見つかったシンガポール健康診断で、乳がん検診のマンモでも再検査となった。健康診断を受けた日系クリニックから紹介を受けた乳腺外科クリニックに定期的に通った。シンガポール人医師による英語での診察だった。のう胞(シスト)があり、その定期チェックだった。これから10年後に乳がん手術を受けるとことになる。これについては後日。

2012年12月に受けた乳がん手術。限られた時間でそれなりに明確に説明を受けたが、2003年のシンガポールの経験に比べれば、やはり劣る。国民一人当たりの医師の数の違いなど制度的な面によるところが大きいとは思うが、それだけではないと思う。2003年ですらシンガポールでは医師と患者が対等で話しやすい雰囲気だった。

まだインド・チェンナイに住んでいたら、多分、このレポートを持って健診としてMotoko先生を訪ねていたと思う。

今日のオマケは、マレーシア・ジョホールバル在住時によく行っていた朝マーケットでエビを買う私。2003年の手術直前の頃の私だ。ゴルフ焼けで黒い!場所は汚いがここのエビはプリプリで美味しかった!

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