Going my way ~大島→江ノ島泳断チャレンジ~ -181ページ目

クルー奮闘記 まこと(田口誠)

いよいよ大島に向けて出発する日がきた。


今週は仕事と準備で忙しい毎日。
買出し行ったり、当日の併走スケジュールを立てたりと・・・
どんな結末が待っているのか、そんな事を考えながら眠りにつく。


朝3時半起床。

買出ししたものを忘れないように、荷物の最終チェックをして、
さあ出発だ!!

みねさんからメールが来る。
「がんばろう」メールかと思い見ると、
「バンド(シャークシールドを固定するのに必要)を買った?」とメールが・・・
えっ?買ってないの?
みねさんは前日の午後お休みをしていたのでお願いをしたのに(涙


4時半に景山をピックアップ。

ドンキホーテへ直行。5時までだ。
バンドがない。とりあえず何も無いのは困るから紐を買っていこう。
いきなりドタバタだ(笑)
先が思いやられる。


5時COCCへ到着。

まささん、みねさん、あつしが準備を始めていた。
景山にマッスルを迎えに行ってもらい、私は準備を始める。
やっぱり紐ではダメだった。まささんにタイアップを借りることにした。テープも。
あとで倍返しが条件で(笑)
カヌーの積込みを終え、出発。


6時出発予定だったが15分遅れ。

そして江ノ島に差しかかろうとしたところで、コンパスが無いことに気付く。
みねさーーん!!(コンパス担当)

ショップへ戻るとAEDとファーストエイドキッドが窓のところに。
ヤバイ!!まだ忘れ物があった。
「もう忘れ物はないよな?」
全員で考える・・・・

仕切りなおして出発だ!この時点で30分送れ・・・
いつもの段取りの悪さだが今日はしっかりと済ませたかった。


7時30分横浜ベイサイドマリーナ到着。

船長さんクルーそして現地集合のまっしーさん、たま、ひでまさ、カメラマンさんが出迎えてくれた。
待たせてしまった。すいません。。
すぐに船への積込みを開始し、積込みは順調に終わった。

いよいよ出港。

でも一人いない・・・・・

みねさんだ!

いつもの事だがトイレに行っていた(笑)
なんだかマイペースというか、緊張感がないというか、
それがまたみねさんらしい。


11時岡田港到着。

荷物を降ろしていると、前日から大島へ来ているかずやさんが到着。
ついにここまで来た!!
長かったような短かったような。



私はこのチャレンジに向けてずっと一緒にトレーニングを積んできた。
最初は本当にやるのかと半信半疑でしたが、飲みの席だろうが言った事をやるのがかずやさんだ。

10km・20km・30km・40km・50kmと行ってきた。
20kmをやった時にこれ以上は一人では無理だと思った。
本番を考えた時、もちろん一人で出来るわけもないし、何より集中力を結構使う。
カヌーは必ず横に見える位置にいなくてはならない。
これが結構大変だった。よく怒られたことを思いだす(笑)
30kmの時には、たまと二人でやる予定だった。
だが前日飲み過ぎで起きてこない。これも一人でやる事となった。
そして40km。結局これも一人でやってしまった。
俺一人でもいけるんじゃないの?と思った。
でも途中で何回か意識が飛んでいた(笑)
何よりかずやさんの「命」を預からなくてはならない。
こんな状態では二人とも無事ではすまない。
そんな経験のもと、今回のスケジュールを立てた。
50kmは本番を想定して行った。
併走クルーが全員そろってやっと練習ができた。
思えば、この1回しか全員でというか他のクルーは練習をしていない。
今思えば、ちょっと怖い(笑)


日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト


→大島編に続く


泳断の影響

日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト-2009081312310002.jpg
今日は朝からすっきりしない天気。
風は気持ちいいが、夏はもうどこかに行ってしまったかの様な雲行き。


いつもそうなのだが、終わってしばらくは体がひどい事になる。

まず辛いのは
1飯が食えない。
口の中が傷だらけでひたすら痛い。フヤケを通り過ぎるとだいたいこうなる。
味覚はまだ完全に戻らない。

2お腹の調子が悪い
ずっと、だらだらとお腹をくだす。
内臓疲労の影響とみる。トイレが近い。

3背中が痛い
筋肉痛と言うか、筋肉と関節が固まってしまい、ひたすら痛い。
痛みは指先までくる。

4足の甲が痛い
長時間キックを打つと、軽い捻挫状態になる。

5心拍数が早い
 興奮状態が冷めない為か、疲労の為か分からないが、いつもより心拍数が早く、そして強い。
 寝ようとするときも「トクトクトク・・」と聞こえ、あまり気分が良くない。


あー、早く焼き肉を食べに行きたい!!
そして、日常に戻りたい。
※写真は大島前、最後に食べた焼き肉。

クルー奮闘記 まっしー(漆原/UruC)





日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト
 




これはマジでヤバいと思った。



月も沈み、真っ暗な海の上、わずかに光るフラッシュライトが2つ、

一也と伴走カヌーのライトだ。

俺は行く先を先導するクルーザーに乗っていたのだが、

あまりに一也の進み具合がおかしいので様子を見に近づいたら、

その2つのライトは向かい風と潮のせいで全く前に進んでいなかった。



しかし、一也は泳ぎ続けているのだ。



すでにスタートしてから20時間以上が経っている。

こんな状況が続き、体力が尽き果て、潮に流され万が一どちらかがはぐれたら

この暗闇の中ではクルーザーをもってしても発見はほぼ不可能だ。

すなわちそれは最悪の場合、『死』を意味する。

この光景を見て俺はそんなことを考え

これから何か取り返しのつかないことが起こるのではないかと

妙な焦燥感を覚えていた。



-*-*-*-*-*-*-*-



今回、プロジェクトのHPやチラシの制作、

カメラ撮影を担当したまっしーです。

本名は漆原(うるしはら)といいまして、

UruCという名で創作活動をしてたりします。



一也とは大学の同級生。今は普通のサラリーマン。

俺は一也やその他のクルーとは違い、見た目も中身も完全なインドア派。

一也が凸だったら俺は明らかに凹だろう。

だから今でもなんだかんだでこうやってうまいこと付き合いが続いているのかもしれない。



一也からはこの大島以外にもいろいろなクリエイティブ系のことを頼まれる。でも俺はとりあえず断ることにしている。

それでも頼んでくるのならこいつは「本気」だから受けてやろう、

なんて『上から』な意図ではなく、

本当に無理なお願いが多いからだ。

もちろん俺のスキルが未熟だから、という理由もあるが。



でも結局「やる」ハメになる。

それは自分でもわかってる。

もちろん一也もわかってる。



そんな連続で最終的に今回はカメラマンとして船に乗ることになった。

前日の夜、俺が1人で部屋でカメラの手入れをしていると一也が入ってきた。

そしてガッチリと握手を交わす。

その時、本当に今更ながら、明日とんでもないことに

挑戦するんだという実感がこみ上げてきて、期待と不安が入り交じる

妙な心境になって少しグッときてしまった。

そして何か名残惜しい感じがして、それが逆に気にかかっていたのも事実。

明日は何も事故がなければいいのだが。





そして当日。

スタート直後は少しペースが遅かったがその後持ち直し、

予定よりは少し遅いながらも着実に距離を延ばしていった。



それにしても船の揺れは激しい。

波と風の影響で船が45度くらい傾く。

こんな状況で撮影なんてできたもんじゃねーよ、

とか思いつつシャッターをきる。



そうすると、一也が写っていない海だけの写真が撮れたりする。



ブレも当たり前。

何が写っているのわからない。

誰だかわからない。

こうなったら数打ちゃ当たる式でとにかく撮りまくることにした。



ちなみに酔い止め薬の『アネロンニスキャップ』、これはすごい。

これのおかげで船酔い知らずで22時間過ごせた。

しかし、そのおかげでマサさんに

「まっしー意外と船に強いんだよ!新たな発見!」

と言われ、船酔いに強い印象を与えてしまった。

次は何だ?!

俺にどんな過酷な使命を与える気なのだ?!

とりあえずまた「断る」準備をしておこう。





日が暮れ、雲ひとつない空には奇麗な月が浮かんでいた。

ブログでも書いたが、本当に月明かりが海に反射して

方角的にもバッチリ一也がその上を泳いでいた。

光量が足りなくて写真には撮れなかったのが残念。



そして問題は冒頭のその月が沈んでからだ。

海に関しては素人同然なので、あんなところを泳いでいるのを

目の当たりにしただけでビビってしまった。

そして前日の夜の出来事を思い出し、

繰り返すが、マジでヤバい予感がしていた。

もし泳ぎきったとしても浜辺で倒れてしまうんじゃないか、とか

これだけ無理したことによって身体に大きな代償を負うのではないか、とか。

とにかく無事でいてくれ!

最後の方はそればっかり考えていた。本当に。



だからだね。

ゴールした後、一也に抱きついて号泣してしまったのは。

お前はほんとにすげーよ!

なんでそんな元気なんだよ!

心配させやがってこの野郎!



「本当に良かった!!」



こう言ってはなんだけど、

ゴールできたことよりも無事だったことの方が嬉しかったんだ。



目の前で大切な人を失うかもしれない恐怖、覚悟。

できれば経験したくはないものだ。

ゴール後、やっちゃんが

「一也が夜の海を泳いでいる姿は見たくない」

と言ったのもわかる。

不謹慎かもしれないが、戦争中は終始このような状況だったのかも、

と思ったりした。

嫌なものである。





俺個人としては今回のチャレンジは子供にうんぬんとかいうよりも、

何か『命』のドラマか映画を観ているようだった。



自然に対する人の『命』とは何なのか。

自然に対して人ができることは何なのか。



小児がんだって不可抗力、いわば自然のようなものだ。

やはりそれに対して自分たちができることは何なのか。



ありのままを受け入れること。「覚悟」か。

それもそうだろう。

でも今回一也が示してくれたのは、

「もうダメだ」と思ってからの復活劇、諦めない気持ち。

一也にとってはその原動力は妻であり愛娘だった。



人それぞれ大切にしているものがあるだろう。

自分の『命』を賭けても守りたいものがあるだろう。

「もうダメだ」と思ってから救ってくれるのは『それ』だ。

一也がアフターパーティーでも言っていたが、



「妻や娘のために泳いだのに、最後は逆に救われた。」



今回のチャレンジはこの一言に集約されている気がした。

人は1人では生きていけない。

このチャレンジも1人では出来ない。

みんなが支え合って生きている。

そしてそれらすべてが『大切なもの』だ。



『大切なもの』は普段意識することはないが、

気づくと自分のまわりにはたくさんある。

そして極限の状況になると『それら』の大切さがわかる。



決して失いたくない、

しかし自然相手にはどうにもならない、

そういうものだ。



今回のチャレンジはそんなことを感じさせてくれた。

良い思い出になったよ。

ありがとう。





ところで、俺も早く父親になりてーなー。










 






日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト

 





茅ヶ崎市HPに掲載いただきました

とても嬉しいです。

茅ヶ崎市のHPにて紹介頂きました。


深夜にも関わらずかけつけてくださった

服部市長様に感謝です。


本当にありがとうございました!


http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/newsection/hishokouhou/himekuri/200908/20090830.html

ありがとうございました!

ブログを読んで下さっている皆さま


応援頂きありがとうございました!

また、最後のご報告が遅れ、申し訳ございませんでした。

ご心配おかけしました。


黒潮(支流)の急流、サメ、ダツ、クラゲ、暗闇の海。
様々なものと向かい合い、膨れだす恐怖心をひたすら抑え続ける22時間でした。

特に最後の3時間は、北東の風が吹き始め、全く前に進む事が出来なくなりました。


目の前には湘南の街並みの光が見えるのに、前に進めない。
押し戻される。

本当に悔しくて、辛くて、断念の文字も頭をよぎりました。


そんな極限状態の中で色々な事が、走馬灯の様に流れていきました。


子供たちに伝えたい事はなんだったか?
見せたい背中はどの様な姿だったか?


最後に僕の中に残った想いはゴールすることよりも、
「あきらめない事」でした。


ゴールさせてくれるか、否かは自然が決めること。
僕が出来る事は「朝まででも泳ぐ!絶対に諦めない」という事だと
覚悟を決めたのです。


家族のこと、小児がんの子供たちのこと、
支えてくれたクルーの笑顔を思い出し、
ゴールも、周りの海の状況も全く見ずひたすら泳ぎ続けました。

思い出した笑顔が、僕を笑顔にさせてくれ、力をもらいました。

結果的に、ゴールが近付いたとき、本当に嬉しかったです。


日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト


このチャレンジは終了しましたが、これからも茅ヶ崎の海を拠点に、
子供たちに夢や希望を伝えていく活動を続けていきたいと思います。

ご支援ありがとうございました。

詳細レポートは追って報告させて頂きます。

まずは取り急ぎ、ご報告まで。


日本人初 大島→茅ヶ崎(60Km)泳断プロジェクト


以上、今後ともよろしくお願いいたします。