クルー奮闘記 まっしー(漆原/UruC)
これはマジでヤバいと思った。
月も沈み、真っ暗な海の上、わずかに光るフラッシュライトが2つ、
一也と伴走カヌーのライトだ。
俺は行く先を先導するクルーザーに乗っていたのだが、
あまりに一也の進み具合がおかしいので様子を見に近づいたら、
その2つのライトは向かい風と潮のせいで全く前に進んでいなかった。
しかし、一也は泳ぎ続けているのだ。
すでにスタートしてから20時間以上が経っている。
こんな状況が続き、体力が尽き果て、潮に流され万が一どちらかがはぐれたら
この暗闇の中ではクルーザーをもってしても発見はほぼ不可能だ。
すなわちそれは最悪の場合、『死』を意味する。
この光景を見て俺はそんなことを考え
これから何か取り返しのつかないことが起こるのではないかと
妙な焦燥感を覚えていた。
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今回、プロジェクトのHPやチラシの制作、
カメラ撮影を担当したまっしーです。
本名は漆原(うるしはら)といいまして、
UruCという名で創作活動をしてたりします。
一也とは大学の同級生。今は普通のサラリーマン。
俺は一也やその他のクルーとは違い、見た目も中身も完全なインドア派。
一也が凸だったら俺は明らかに凹だろう。
だから今でもなんだかんだでこうやってうまいこと付き合いが続いているのかもしれない。
一也からはこの大島以外にもいろいろなクリエイティブ系のことを頼まれる。でも俺はとりあえず断ることにしている。
それでも頼んでくるのならこいつは「本気」だから受けてやろう、
なんて『上から』な意図ではなく、
本当に無理なお願いが多いからだ。
もちろん俺のスキルが未熟だから、という理由もあるが。
でも結局「やる」ハメになる。
それは自分でもわかってる。
もちろん一也もわかってる。
そんな連続で最終的に今回はカメラマンとして船に乗ることになった。
前日の夜、俺が1人で部屋でカメラの手入れをしていると一也が入ってきた。
そしてガッチリと握手を交わす。
その時、本当に今更ながら、明日とんでもないことに
挑戦するんだという実感がこみ上げてきて、期待と不安が入り交じる
妙な心境になって少しグッときてしまった。
そして何か名残惜しい感じがして、それが逆に気にかかっていたのも事実。
明日は何も事故がなければいいのだが。
そして当日。
スタート直後は少しペースが遅かったがその後持ち直し、
予定よりは少し遅いながらも着実に距離を延ばしていった。
それにしても船の揺れは激しい。
波と風の影響で船が45度くらい傾く。
こんな状況で撮影なんてできたもんじゃねーよ、
とか思いつつシャッターをきる。
そうすると、一也が写っていない海だけの写真が撮れたりする。
ブレも当たり前。
何が写っているのわからない。
誰だかわからない。
こうなったら数打ちゃ当たる式でとにかく撮りまくることにした。
ちなみに酔い止め薬の『アネロンニスキャップ』、これはすごい。
これのおかげで船酔い知らずで22時間過ごせた。
しかし、そのおかげでマサさんに
「まっしー意外と船に強いんだよ!新たな発見!」
と言われ、船酔いに強い印象を与えてしまった。
次は何だ?!
俺にどんな過酷な使命を与える気なのだ?!
とりあえずまた「断る」準備をしておこう。
日が暮れ、雲ひとつない空には奇麗な月が浮かんでいた。
ブログでも書いたが、本当に月明かりが海に反射して
方角的にもバッチリ一也がその上を泳いでいた。
光量が足りなくて写真には撮れなかったのが残念。
そして問題は冒頭のその月が沈んでからだ。
海に関しては素人同然なので、あんなところを泳いでいるのを
目の当たりにしただけでビビってしまった。
そして前日の夜の出来事を思い出し、
繰り返すが、マジでヤバい予感がしていた。
もし泳ぎきったとしても浜辺で倒れてしまうんじゃないか、とか
これだけ無理したことによって身体に大きな代償を負うのではないか、とか。
とにかく無事でいてくれ!
最後の方はそればっかり考えていた。本当に。
だからだね。
ゴールした後、一也に抱きついて号泣してしまったのは。
お前はほんとにすげーよ!
なんでそんな元気なんだよ!
心配させやがってこの野郎!
「本当に良かった!!」
こう言ってはなんだけど、
ゴールできたことよりも無事だったことの方が嬉しかったんだ。
目の前で大切な人を失うかもしれない恐怖、覚悟。
できれば経験したくはないものだ。
ゴール後、やっちゃんが
「一也が夜の海を泳いでいる姿は見たくない」
と言ったのもわかる。
不謹慎かもしれないが、戦争中は終始このような状況だったのかも、
と思ったりした。
嫌なものである。
俺個人としては今回のチャレンジは子供にうんぬんとかいうよりも、
何か『命』のドラマか映画を観ているようだった。
自然に対する人の『命』とは何なのか。
自然に対して人ができることは何なのか。
小児がんだって不可抗力、いわば自然のようなものだ。
やはりそれに対して自分たちができることは何なのか。
ありのままを受け入れること。「覚悟」か。
それもそうだろう。
でも今回一也が示してくれたのは、
「もうダメだ」と思ってからの復活劇、諦めない気持ち。
一也にとってはその原動力は妻であり愛娘だった。
人それぞれ大切にしているものがあるだろう。
自分の『命』を賭けても守りたいものがあるだろう。
「もうダメだ」と思ってから救ってくれるのは『それ』だ。
一也がアフターパーティーでも言っていたが、
「妻や娘のために泳いだのに、最後は逆に救われた。」
今回のチャレンジはこの一言に集約されている気がした。
人は1人では生きていけない。
このチャレンジも1人では出来ない。
みんなが支え合って生きている。
そしてそれらすべてが『大切なもの』だ。
『大切なもの』は普段意識することはないが、
気づくと自分のまわりにはたくさんある。
そして極限の状況になると『それら』の大切さがわかる。
決して失いたくない、
しかし自然相手にはどうにもならない、
そういうものだ。
今回のチャレンジはそんなことを感じさせてくれた。
良い思い出になったよ。
ありがとう。
ところで、俺も早く父親になりてーなー。