男性が手料理に愛情を感じるカラクリ | お肌と心を整えるセルフケア

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前回の記事



に引き続き


気になる事が出てきました。



手料理=愛情?



このすり込みはいつから始まったのか?




辿ってみると


昭和初期からなのだそうです。



サラリーマン専業主婦世帯が増えた頃

愛妻弁当を持ち歩く習慣があった。



お昼に同僚とお弁当を見せ合いっこ



男子がカブトムシとか

ポケモンシールとか

キン肉マン消しゴムとか


見せ合いっこするのと

変わらない光景ですね。




愛妻弁当から派生して


手料理=愛情


というカラクリが

生まれたのかもしれませんね。






料理研究家の

結城貢さんが「料理は愛情!」と

言ってテレビで活躍されていました。



やっぱり男性なんだよね。




母性愛神話

三歳児神話

料理愛神話




同じ時期に発生している

イデオロギー




手の込んだ料理だから愛情があるのか?


ここについて疑問が残ります。





◇食について考えてみましょう



食は、身体を作るもので

生きるために必要なものです。




動物としては自分が満たされれば

良いのだけれど




食べ物を自分以外の個体に

分け与える行為は

昆虫類、鳥類や哺乳類などに見られます。




恐竜も食物分配をしていたのではないか?という研究が進んでいるようです。

次男からの情報




食物分配というのは

利他的行動です。



利他的行動とは、

自分の時間、労力、お金などを

負いながら他者に利益を与える行動



つまり、自己犠牲の事ですね。





私たちも哺乳類


哺乳類は母乳という形で

自分の体の一部から


他人(赤ちゃん)の食事を作り出す

機能があります。




自分の身を削って分け与えるのは

何も人間だけの話ではありません。





利他的行動、自己犠牲=愛情


という捉え方もありそうですね。




アンパンマンも同じ!

自分の顔を分け与えて食べさせる。




因みに、血縁関係以外の個体に

食物分配を行うのは



人と、ボノボ(チンパンジーに似て非なる者)だけなんです。




人間社会は食物分配以外にも

利他的行動はよく見られます。




寄付やボランティアは分かりやすい例ですが


その他にも日常的にもありふれている。




ただし、自己犠牲という言葉は

こんなふうに使われることもありますよね。



こんなに自分を犠牲にして、あなたのためにやってあげてるのよ!!!




と言うのは、利他的行動から外れます。



相手をコントロールするために

自己犠牲を使うことは

区別されるものです。





食を自分以外の個体に

分け与える行為自体が

利他的行動なわけで



それがバナナであっても

惣菜でも外食でも手料理でも同じ

なんですよね。



利他的行動=愛だとするなら

どれも同じ食を分け与える行為には

変わりなく、愛と取れるように思います。




お弁当の話に戻りますが

自分は食べないのに

お弁当を作って渡す行為は



時間、労力を使っている

利他的行動、自己犠牲と言えますが



利他的行動にかける時間や手数が

多ければ多いほど愛が多くて



時間や手数が少ないと愛が少ない




これが人間のやっかいなすり込みなんですよね。





でもこの行動の先には、

コントロールとはまた別で(人による)

実は目的がある。




愛情というふわふわしたベールで

包んでおいた方が

良いのかもしれないけれど




食物分配という自己犠牲の先には


子供に対してなら

子孫を残すことが目的ですが



夫にとなると

自分が生き延びるための

行動でもあるんですよね。




血縁関係以外の個体に利他的行動を

行う目的は



社会性を保ち協力関係を

継続させるためなんです。



これは与える側だけじゃなく

受け取る側もなんです。




ただボケッと受け取ってる場合じゃないですね!




協力関係を継続していくために

利他的行動を受け取る側があって

初めて成り立つのですから




だからといって

労いましょうとか

感謝しましょう

と言うのもちょっと違う




当たり前ではないと分かっていれば

自然と有難いと思うものだしね




人間の世界だけで物事を捉えると

かなり幻想的な偏りが生じやすいと

感じています。



人間は高等動物で

他の動物とは別なんだ!

人間の料理とは崇高なものなんだ!



みたいな勘違いも起こりやすい。


美味しいものは美味しいので

おかしいと言ってるわけではありません。




もともとの動物としての

行動の役割を見ることで



客観的に見られるなと思っています。





今度はそれをあえて

人間の視点に戻って見てみましょう。




手料理が愛情ならば


料理中に食べる人のことを

頭に思い浮かべながら

作っている人っているのでしょうか?



包丁でザクザク切ってる間

夫のことを考えているのだとしたら

ゾクっとしませんか?ガーン




相手が体調が悪い時は

小さめに切ろうとか

柔らかくしようとか


考えることはありますが




食べる人のことを考えてる時って

私は食材を買う時なんですよね。




あ、コレ好きだよね。

昨日はお肉だったから

今日はお魚にしようかな?

組み合わせる野菜は何にしようかな?



選んでいるときは

自分が食べたいものもだし

家族が食べたがるものや好きなものや

割り合いなんかを考える



でも、作ってるときは


ひとつひとつに集中してるし

もしくは瞑想状態に入ってます。




これを作ると決めてからでないと

迷走しますからね。




相手を思い浮かべでみじん切りにする時も

なきにしもあらず。笑




みなさんはどうですか?



料理中、相手への愛情を込めながら

作っている方ってどのくらい

いらっしゃるのだろう?



 

美味しくなぁれラブラブ

みたいな呪文とかw←7歳の娘はやってるけど私はない




全くそれどころじゃないし


時間との勝負


味の辛い薄い

火の通り具合


味見なんて自分が美味しいと

感じるかどうかです。



そして、買い物で選んでいる時


これは作るとしても惣菜だとしても

外食にしてもそうですが


自分や家族の事を考えているんですよね。




男性が幻想を抱いている


手料理だから愛情がこもる




それ本当???


と疑問しかないのでした。




まぁ手料理は奥さんの

限りある人生の時間や労力を

使った自己犠牲の上に


差し出されたものなので




それを愛だと捉えられるのでしょう。




要は、愛情とは想いをのせた行動

という事なのでしょうね。



だとしたら手料理だけが愛情として

トップに立つのはおかしな話です。



視野が狭い。




もう一歩、二歩、三歩下がって

見る目を養いたいものです。



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補足


◇利他的行動は自分で決められる


自己犠牲の範囲は


自分自身で決められます。



そこはとても重要に思います。




世間の風潮や一般常識という


曖昧なものに左右されるよりも




一度自分で


どこまではイヤじゃなくて


どこからはイヤ!なのか?




明確にした上での利他的行動は


愛情として伝わるようにも思います。


 


最後まで読んでいただき

ありがとうございました。