トライアスロンに向いているサインを読み解く [中学編] | 運の良い人・まる◎さんの感動日記

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まだまだへっぽこトライアスリートなのだが、

つくづく俺はトライアスロンに向いているなぁ、と思えるサインがいくつもある。









もともと向いていない人種はこの世界に来ない。

というか、来ても続かない。


で、俺のどこが向いているのか?






たいした話ではないのだが。


俺は、何かを食べながら歩くのが好きなのである。


中学生くらいの頃から、それを自覚した。








一番最初は、藤田田(ふじたでん)という初代日本マクドナルドの社長が書いた本を読んでからだ。
中学一年生の時に、親父の書斎に置いてあった藤田田の本を見つけ、こっそり拝借して読んだのだ。


「頭の悪い奴は損をする」という、人をくったタイトルの本だ。



俺は、その頃からくそ生意気な小僧で、頭が悪い奴が大嫌いだった。
勉強をしない奴、考えれば判るのに、考えようとしない奴。
もっと世の中や人間関係を良くする方法があるはずなのに、その努力をしない奴。
進歩をするための努力をしない奴。
そういう大人が世の中を悪くする、と思っていたガキだった。
ませたガキだった。




なぜなら、15歳の時に父と母と別れ、自力で生活をしなくてはならない環境にいたからだった。
誰にも頼らずに、自分の力でこの世の中を渡り歩かなければならない。
それを、15歳の俺は痛感していた。




考えろ。
考えろ。
学べ。
そして、決断しろ。



そういう連続だった。





藤田田の本は痛快に面白かった。
いわゆるビジネス書なのだが、15歳の俺はむさぼるように読んだ。

銀座のユダヤ人と、当時呼ばれていた藤田田が、
なぜ日本マクドナルドの社長になるようことになったのか?



今でも、くっきりと覚えている。
藤田田は、ハンバーガーを食べるという食生活をもって、
日本人を金髪にする。
しかも、男も女も脚が長くて、普通に道行く若者をモデルのような美しい体型にする。
と、その本の中で書いてあったのだ !!


なんだ、そりゃ??
と思った。


商売のためではなく、日本を変える、
それどころか、日本の民族の体型そのもの、容姿そのものを、
世界に通用するレベルにするために
ハンバーガーという食生活をこの日本に定着させるのだ。

と、その本は言い切っていた。



DNAは、そんな変わらない。
そんなの、無理だろ。学校の理科では、そんなことを教えてないよ。

と、思った。

でも、このおっさん、いったいどういうこと言おうとしてんのか?
と、新鮮な驚きで、この本の後をむさぼるように読んだ。




肉を食う。
ということが、日本人の食生活の中には、今までない。
肉を食べていないワケではないが、デイリーに食べてはいない。



欧米米人は、毎日肉を食う。
それは狩猟民族だからだ。
しかも、歩きながら、肉を食う。



そういう習慣ができない限り、日本人は欧米人のようにはなれない。
それを簡単にできるのが、ハンバーガーという食べ物をデイリーに定着させることだ。という。


日本人を欧米人と同等に戦力でも渡り合えるように、ハンバーガーという歩きながら
食べることのできるフードスタイルを日本に定着させるのだ。

ハンバーガーはファッショナブルな食べ物だ。
味もスタイルも今までの日本の食文化にない、まったく新しい食べ物だ。
だから、片手で食べられる。
歩きながらでも食べられる。
日本には、おにぎりという素晴らしい形態の保存食であり携帯食がある。
それと似ているが、ファッションという観点からこっちが新しくてかっこいい。
しかも、歩きながら肉を食えるのだ。


それが、マクドナルドだ。




この本を読んだ時、俺は、まだニキビ面のがきんちょで、岩手県の片田舎にいた。
いつか東京に出て行ったら真っ先にマクドナルドのハンバーガーを食べよう。
そして、それを堂々と道を歩きながら喰ってやろう。
と強く思った。




そして。
念願のマクドナルドのハンバーガーを食べた。


実は
あまりにも期待が大きかったので、それほどうまくはなかった。




でも。


歩きながら何かを食べる。
という行動様式だけは、自分の中にしみこんでいった。






トライアスロンをするはるか前からだ。

夜、あまり周りに人がいない時にはコンビニで、肉まんやサンドイッチやおにぎりを買う。
駅から自宅までのたったの10分程度の間を、それらを食べながら歩く。




なぜ、そんなことをする??


それは、歩いている時間がもったいないからだ。




エネルギー補給のための食事。

大切な人と語り合い、食べるということを通じて生きることを楽しむための食事。

その2つを自然に使い分けている。




それは、俺の場合は完全に異なるものになっていた。





通常は、闘争のためのエネルギーチャージの食事。

いつでも闘争に移るための準備のチャージの食事。

それでいい。





それが、実は、好きなのである。



自称、グルメであると同時に、超、闘争的。
いちでも闘う準備をするためにチャージをする。
しかも、それが苦ににならない。
むしろ、歩きながら食べるのが好きなのだ。


そういう食事をするのが、俺、という人間なのである。