「結婚体質」が売れ残る 結婚に向く人・向かない人(3) | かなこの「恋はときどき」

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 現代の日本では、8、9割の夫婦は「恋愛結婚」で誕生している。自ら相手を探して「自由恋愛」をし、「両性の合意のもとに」する結婚である。もとは「自由な意思に基づく結婚こそが最も幸せである」という、欧米の民主主義の価値観が下敷きにある。明治時代に「輸入」され、戦後に「常識」として根付いた。

 

 だがこの「恋愛結婚至上主義」は、恋愛体質の人にとっても、結婚体質の人にとっても不幸なシステムと言える。

 

「恋愛体質」の人同士の場合、恋愛は得意なので結婚相手を見つけることも可能だ。だが結婚後、お互いが恋愛相手としては良かったのに、生活する相手としては向かないことに気づくカップルも少なくないだろう。我慢を続けられず、離婚する夫婦も多いのではないか。

 

 逆に「結婚体質」の人の場合、そもそも恋愛向きではないために自由恋愛市場で「売れ残り」になってしまう。本人も結婚をしたいし、周囲から見てもこれほど結婚に向く人はいないという人材にもかかわらず、結婚できないまま、仕方なく独身でいる、という事態が起きる。まさに「適材適所」の逆、人材の不適正配分である。

 

 ちなみに、地方のお役所でも盛んな「官製お見合い」は、まさしくこの「人材の不適正配分」を是正するための措置だと思う。行政は、富の不適正配分は、金持ちから税金として吸い上げて低所得者に環流させる。同様の発想で、結婚についても、恋愛体質グループから人材を吸い上げて結婚体質の人たちに流そう、というのではないか。彼らの考えを読み解くと……

 

 「恋愛体質の人には、次世代の人材を再生産する(=産み育てる)『人材供給装置』としての『家庭』を作ることは期待できない。結婚後も『恋愛体質』が抜けず、子供を作りたがらないし、作ったとしても放置しがちだからだ。出産しないセックスなんて無駄だ。資源(卵子や精子)の非効率活用だ。出生率も人口も減っている中、まっとうな次世代の人材を育成するためには、『結婚向き』にもかかわらず恋愛体質でないがゆえに今結婚できていない『結婚体質』の人たちをこそ応援すべきではないか。『結婚体質』の人たちを結婚させれば、効率的に資源が活用できる(=積極的に出産・子育てしてくれる)。ゆえに、少子高齢化対策として、『結婚体質』の人向けに出会いの場を作る結婚支援政策が必要だ」……こんなもくろみのプロジェクトではないか、と私は推測している。

 

(この項続く)

(元沢賀南子執筆)