教育って別に教えることだけが教育ではないと思うなーと気付かされたのがお兄ちゃんが高3だった時。
実質3年間お世話になった数学の先生に高3の夏、「君は数学の本質が分かってきたね」と褒めてもらったそうです。
元々得意だった数学。お兄ちゃんは嬉しそうでした(表情には出さなかったけれど)。
正直その先生は教え方もそんなに上手?ではなく、声がとにかく小さいので内容も聞こえない。(私も実際聞いたけど本当に何を言っているか分からなかった…)
授業についてはお兄ちゃん本人も文句は言っていたけれど、何だかんだと超難関大の数学にも答えてもらえる貴重な存在だったようです。(あとは自力でなんとかしないとという危機感があった模様)
卒業式にご挨拶させていただいた際も、その話をすると、本人が頑張っていましたから…と。
その時、教育の目的は高得点を取らせたり、競わせて上を目指させたりすることだけではないなと気付かされました。
生徒本人がどうしたら自信が持てるのかを探る。
生徒の本質を肯定してあげること。
ちょっとした成長を一緒に喜んであげること。
今の学校の先生にそれだけの余裕があるのかは疑問ですが(特に公立)。
公立中の学校改革で脚光を浴びた麹町中が改革転換を検討中のようです。
麹町中には元々千代田区という土地柄教育熱心な親御さんも多いでしょうし、底上げするというよりは生徒あっての改革だったような気もします。できるようになるまでテストを繰り返し、その結果でしょうか、内申も緩いため、恐らくできる生徒は学校での学習はそこそこに受験勉強に集中できたと思います。
しかし、工藤校長が退任してからは風向きが変わったようです。
例えば、数年前に高校受験で話題になった某レスラーのお子さん。彼も麹町中でしたが、ちょうど新校長になり内申を取るのに苦戦していましたね。
脚光を浴びることで、あわよくばと色々な生徒が集まってきたでしょうし、いよいよ管理することが必要になってきたかな⁉︎
そもそも基準を明確化することは、現場を運営する側としては非常にラクですよね。
生徒にリストバンド型のウェアラブル端末をつけさせ、脈拍データから集中度を把握する試みをしている、とある公立中学校がニュースになりました。
集中力が切れている生徒がいれば、先生が気づきチェックする。
課題が終わっていれば、新たに課題を与える。
システムを利用する先生も、最初は疑心暗鬼だったが、子どもの気持ちに気づくことで自分の授業を客観的に評価できると前向きに考えているようでした。
そこに疑問を呈したのが、教育ジャーナリストのおおたとしまささん。
ミシェル・フーコーの「パノプティコン効果」を思い出させます。常に監視されている状態に置かれることによって、直接的に叱られたりしなくても無意識のうちに社会規範に従順に育てられてしまったひとたちは、社会の矛盾にも気づけなくなってしまう。https://t.co/Gc8zlTzqzL
— おおたとしまさ (@toshimasaota) 2023年7月14日
結局のところ、ウエアラブル端末は一体誰のためのものなのでしょうか。極論、定期テストも内申もです。
教育現場が授業や課程を円滑に進めることに重きを置きすぎるあまり、それが果たして子どものためになるのでしょうか?
別に世間から脚光を浴びるほどの改革をしなくてもいいから、子どもの人生に潤いを与える一言をくれるだけでいい。
教育現場に期待することが、それだけじゃダメですかね?