村岡ダブルフルウルトラランニング、100キロの部完走記~100キロのうち、30キロは歩いた!? | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

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医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

今日は日曜日です。

連休が多かった9月最後の日曜日でもありました。

「金沢守クリニック」は休診です。私は兵庫県美方郡香美町村岡区で開催された村岡ダブルフルウルトラランニング、100キロの部に出場しています。

結果は12時間24分42秒というお粗末なものでした。それでも100キロ一般男子の中で75位と、想像していたよりはまともな順位でした。暑さの影響で、記録は全体に低調だったようです。

昨夜はハチ北にある「みはらしや」という旅館に宿泊しています。部屋は昭和初期の香りが色濃く漂っており、風呂は勿論の事、トイレも共有でした。

朝食は3時から準備して下さいましたし、4時前には旅館のマイクロバスでメイン会場である村岡中学校まで送り届けてくれました。その為、今日は2時半に起床しています。

しかし、1泊2食で8.500円は少々高いと感じざるを得ませんでした。

私は前日受付をしていませんでしたので、会場に着いたら直ぐに受付を済ませています。

村岡ウルトラでは、RSタグを両足に付けなければなりません。ゼッケンは勿論前後ろに付けなければならないので、荷物預けを済ませたら、もうスタートまで余り時間の余裕がなくなっています。

スタート前にFBで交流のあるK先生にお目に掛かる機会がありました。K先生は2週間前に開催された丹後ウルトラに出場したばかりなので、村岡は88キロの部にエントリーしたとの事でした。

ちなみにK先生が聞いた話では村岡より丹後の方がきついとの事でした。

そうこうしている内に、スタート時価5時が近くなり、号砲がなっています。まだ暗い時間帯のスタートでしたが、道路は提灯などで照らされており、ライトはなくても大丈夫でした。

天候が悪いのも辛いですが、今日の村岡、夕方になり多少日が翳ったものの、日中はピーカンで最高気温も30℃近くまで上がっています。

こんな天候の時に、エイドステーションで最も必要になるのは水浴び用の水ですが、大会本部は当初、水をさほど大量に準備していなかったようです。

途中からエイドでしっかり水浴びをする事が出来るようになりました。

村岡ダブルフルウルトラランニングには100キロ以外に88キロ、66キロ、44キロ、そしてウォーキングの部があります。

100キロと88キロが同時にスタートし、66キロと44キロが同時にスタートします。スタート地点は異なりますが、ゴールは全て村岡小学校なので、終盤は様々な部門のランナーがコースに混在します。

100キロの部にはさほど沢山の女性ランナーはいなかったのですが、88、66、44キロの部には実に多くの女性ランナーが出場していました。

エイドステーションのトイレには女性ランナーが長蛇の列をなしている光景をよく見掛けました。こちらも簡易トイレの数を増やすなどの改善策が望まれます。

私は約1年ぶり、正確に言えば11ヶ月ぶりに100キロウルトラに出場したのですが、ウルトラのための練習を行いませんでしたし、村岡対策も全く行いませんでした。

昨年、四万十川ウルトラで好成績を残した事で、ウルトラを甘くみていたと思います。

四万十川ウルトラにも多少のアップダウンはありましたが、歩いて登らなければならないような坂はありませんでした。今にして思えば楽勝なコースでした。

しわいマラソンも中々タフなコースで、私は一昨年の大会で数回坂を歩いて登らざるを得ませんでしたが、村岡と比べたら、これもとるに足らないものでした。

村岡ウルトラの坂はほぼ登山でした。傾斜もきつかったし、距離も非常に長かったです。100キロの内、30キロぐらいは登り坂だった気がします。

最高標高地点である蘇武岳だけが、クローズアップされ勝ちですが、出場者達が最も苦しむのは、きっとラスト10キロに存在する激坂だと思います。

登りがあれば、当然下りもあります。私の脚には既に強い筋肉痛を認めており、駅の階段で苦しんでいます。明日になったら、どんな事になってるのか怖いです。

出場者の中にはレース途中に大腿四頭筋が限界に達し、下りも歩いている人をかなり見掛けました。

私はこれまで宮古島、しまなみ、四万十川といった比較的フラットな100キロウルトラにしか出場した事がありませんでした。

きついと思っていたしわいでさえ、村岡に比べたら、全然きつくない事は衝撃でした。

幾らしんどいと言っても、12時間を超える事はないと思って、帰りの算段を組んでいたので、山口に戻る時間も大幅に遅くなってしまいました。

又、大会事務局が準備して下さるバスや、路線バスを利用していたら、今日中に山口に戻れなくなるので、村岡から八鹿駅までタクシーに乗りました。1万円以上掛かりましたが、背に腹は変えられません。

村岡へのリベンジは勿論の事、野辺山や丹後、飛騨高山などにもゆくゆくは調整したいと考えています。

ウルトラや超ウルトラを完走するためにはある程度のフィジカルは勿論必要でしょう。

しかし、フィジカル以上にメンタルの占める割合が非常に大きいと、今日のレースを終えて、強く感じています。

今日、私が最後まで走り、且つ歩く事が出来たのは、途中で走るのを止めて、手ぶらで山口に帰れない一心でした。

土曜日の午後を休診にしてまで出場したレースでは、異様な根性が発揮されるなと思う今夜の私です。