【寂師さびし】になったキッカケ
骨を磨いて
老いを経つ
骨磨きは人磨き
健康のその先へお連れする
寂師(さびし)むろぞの剣心です。
寂師になったきっかけ
私は四人兄妹の末っ子として育ちました。
両親や兄妹から、たくさんの愛情を受け、やりたいことはやらせてもらえる環境でした。
母は体があまり強くなく、体調を崩して横になることもしばしば。
私を身ごもったとき、医師から「産むのは危険」と言われ、周囲からも反対されたそうです。
それでも母は私を産むことを選びました。
あの時の判断が違えば、私はこの世にいません。
母の覚悟に、感謝しかありません。
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父は私が二十歳のときに亡くなりました。
その時、兄妹はすでに家庭を持っており、家には母と私の二人だけ。
高校卒業後、地方の職業訓練校に進み、卒業して実家に戻りましたが、職にはつかずアルバイト暮らし。
今でいうフリーターです。
それでも母は何も言いませんでした。
「好きなことをすればいい」と思っていたのか、
「早く就職したほうがいい」と思っていたのか、
本当の気持ちは、聞いたことがないので分かりません。
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そんなとき、伯母が仕事を勧めてくれました。
正直、乗り気ではなかったのですが、その話を受けることに。
時代はバブル期。やる気のない私でも雇ってくれる時代でした。
入社して間もなく、横浜へ出向することになり、実家を出ました。
高校卒業後に地方で一人暮らし、戻ってきて、また横浜へ。
横浜でパートナーと出会い、結婚。
出向が終わって地元に戻り、実家近くに家を借り、妻と拾い猫との生活が始まりました。
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仕事には相変わらず身が入りませんでしたが、年数が経つうちに任されることも増えました。
やがて子どもが生まれ、生活費のために辞められない状態に。
実は子どものころから、特に夢はありませんでした。
ただ「サラリーマンにはなりたくない」とだけは思っていたのです。
会社勤めになってからも何度も辞めようとし、退職願いも書きましたが、受理されないまま続けていました。
辞めたい理由も、「これがやりたい」というより、ただ漠然としたものでした。
母はそんな私の状態に気付いていたと思いますが、それでも何も言いませんでした。
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私は少し年の離れた末っ子で、子どもの頃から心配ばかりかけてきました。
好き勝手に決めて、好き勝手に生き、結婚も事後報告。
近くに住んでいたのに、実家に帰るのは年に数回ほど。
気づけば勤続17〜18年。
その間に母の体調は悪化し、腎臓病・心臓病・認知症を発症。
そして入院することになりました。
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病室で、母は多くの管につながれ、枕元には酸素量や血圧、心電図のモニターが並んでいました。
見舞うたびに弱っていき、会話も難しくなっていきます。
それでも私は、今までの分を取り戻すように母に話しかけました。
返事はなく、独り言のような会話。
仕事のこと、悪友のこと、孫のこと…。
母の手をさすり、髪をとかし、むくんだ足をさすってあげる。
すると、不思議と母の表情が和らぐように見えたのです。
ふわっと、あるいはニッコリと。
その場の空気が心地よく、私自身も穏やかな気持ちになりました。
時間がゆっくり流れていくような感覚でした。
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そのとき思いました。
これだ。
こういうことがしたい。
これなら、人生をかけられる。
これが「寂師」として、寂(サビ)を取り除く活動をしようと思ったきっかけです。
その後、介護の世界に関わったことで、私は強く思うようになりました。
「人生で後悔だけは絶対したくない」
そして、同じようにみんなにも後悔しない生き方をしてほしいと願うようになったのです。
やりたいことをやらないまま過ごすと、それは必ず後悔になります。
その後悔は「良い人生だった」と思えない原因にもなります。
後悔しないためには、思っていること、やりたいことを行動に移すこと。
そのためには、動ける体、健康な体が欠かせません。
そして――健康をサポートできるのが、「寂取り」なのです。
それから、マッサージや整体の勉強を初め、大手サロンの技術トレーナー、セラピスト養成学校の講師
を経験し、大阪にサロンをオープンすることとなりました。
2025年8月現在は京都府八幡市で「寂心(さびごころ)」を開業
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