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GWも明け、夏の兆しが見え始めた今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか
いつも興味深いビデオを配信されている久保有政牧師が、毎週のインターネット教会の礼拝メッセージをスタートされています
今週のメッセージは、死後の世界は「天国」と「地獄」の2か所ではなく、「陰府/よみ」も含めた3か所であるという重要な内容となっています
以前のブログでも何度かシェアさせて頂いた内容となりますが、多くの方達と同じく最も大きな疑問の一つがこの課題でした
そんな残酷な事があるはずはない、、 神様の憐れみにより何等かのみわざがあるに違いないと漠然と信じていました
(また本人の心の内は神のみぞ知る事であり、意識不明の時に主がその者に現れるというお話もよく聞きます)
多くの未信者の方達が、亡くなられた直後に永遠の地獄へ落ちてしまうなどと、どうして信じる事が出来るでしょう
一体誰が、そのような事を心から納得出来るのでしょうか
愛なる神様が、そんな無慈悲 な事を絶対になさるはずがないと信じていました
そこで、この陰府(神道でいう黄泉)の教えを聞いた時、これこそが真実であると確信し、嬉しく思った事を覚えています
もしよろしければ一部抜粋の上シェアさせて頂きます
~日本のキリスト教会には、今も死後の世界に関する「大きな誤解」が蔓延している事を示しているのです。
多くの方は「陰府(黄泉)も地獄も同じようなものだ。だからセカンドチャンスなどない」と思い込んでいます。
そう思い込まされている、と言った方が良いかも知れません。
しかし、これは決して聖書の教えではないのです。
私は、死後のセカンドチャンスの福音が日本に広まらない限り、日本にキリスト教が広まることはないだろうと思っています。
ある日本人の方が、こう告白した事があります。
「私は宣教師から、イエスキリストを信じれば天国に行けるという福音を聞かされた。
私は信じようと思ったが、その前に宣教師にこう尋ねた。
『すでに世を去った私の先祖や親族は、イエスを信じる事なく世を去りました。
彼らはどうなるのですか?』と。
宣教師は顔を曇らせながら、『地獄でしょう』と答えた。
それで私は、イエスを信じるのをやめた」
「イエスを信じる機会もなく信仰に至らなかったという理由だけで地獄に落とす神であるというならば、そのような神は信じるに値しない。
私の先祖や親族が地獄に行っていて救われる機会すらないというなら、私だけが天国に行くわけにはいかない」
そう告白されていました。
これは多くの日本人の心情でしょう。
その気持ちは私にもよく分かります。
それは当然の思いです。
しかしこの宣教師の答えは、実は全く聖書の教えから外れたものなのです。
イエスを信じることなく世を去った先祖や親族は、今は陰府に行っています。
地獄ではありません。
その陰府と地獄の混同から始まって、全てが間違った答えになってしまっているのです。
ヨハネの黙示録20:14には、
陰府は
最後の審判の時に
全ての死者を出す、
そしてその後
空になった陰府は
地獄に捨てられる。
と書いてあるのです。
陰府が地獄に捨てられるのであれば、一体どうして陰府と地獄が同じでしょうか。
両者は全く違う場所です。
ところが西洋では、「陰府」と「地獄」は同じものだと誤解されてきたのです。
例えば17世紀にイギリスで英語に訳された聖書では、「陰府」これはヘブル語ではシェオールといい、ギリシャ語ではハデスと言いますが、「陰府」を全て「地獄」と訳してしまいました。
人間の死後の世界は、実際には「天国」と「陰府」と「地獄」の3つです。
ところが陰府は抜け落ちてしまって、天国と地獄の2つだけになってしまったのです。
ですから今もイギリスの教会の多くの人は、陰府という世界があることすら知りません。
天国と地獄の2つしかないのだと思っています。
アメリカの多くの人もそうです。
私は英語でもセカンドチャンスの事を書いてインターネットに公開していますが、それを読んでくださった著名なペルシャ系のオランダ人の牧師は、次のようなEメールをくださった事があります。
「ハデス/よみに関する解説及び死後の救いに関するウェブサイトを読みました。
素晴らしいですね。
いつの日か、この理解が世界に広まることを願ってやみません。
先日、先生のセカンドチャンス論を元に、神学校の私の生徒たちに教えました。
彼等は、驚嘆していましたよ。
このような内容を個人主義的な西洋で教えると、しばしば異端視されるものですが、私にとってはそうではありません。
私はセカンドチャンス論を、全面的に支持します」
そう書いてきてくれました。
同じようなメールは、メシアニックジュー運動の指導者の方やアメリカの牧師、宣教師、また日本の牧師の方からも頂いています。
セカンドチャンスの福音は、イエスの福音が日本に、又世界に広まるために突破口となるような大切な教えなのです。
もしあなたの口で
イエスを主と告白し
あなたの心で
神はイエスを死者の中から
蘇らせてくださったと信じるなら
あなたは救われる。
キリストは死んだ人にとっても
生きている人にとっても、
その主となるために
死んでまた生きられたのです。
ローマ人への手紙10:9、14:9
つまり陰府の死者のためにも、その主となるためにイエスは十字架の死を遂げて、また復活されたのだというのです。
聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主ですということはできませんとも言われています。
陰府において、「イエスは主です」と信仰を持って告白する人は、それは神の聖霊によるので、その人は救われるのです。
地上の人生の記憶は、陰府にまでも続くのです。
これが第2の死である。
命の書に名のしるされていないものはみな、
この火の池に投げ込まれた。
黙示録20:11~15
これはキリストの再臨後、キリストの「千年王国」の後に、神の御前で開かれる「最後の審判」の光景を描いた予言的な幻です。
すなわち、いわゆる「死後の裁き」の法廷です。
注目すべきはこの陰府の死者のための裁きの法廷に「命の書」が提出されているということです。
「命の書」とは何でしょうか。
それは回心者名簿です。
それに名が記されていれば「新天新地」に入れられます。
名が記されていなければ、「地獄/火の池」の滅びが決定されます。
未信者として死んで陰府に下った魂の最終的な行き先を決めるこの最後の審判の法廷に、つまりその第2ステージに命の書という回心者名簿が提出されているのは一体なぜでしょうか。
それはとりもなおさず、陰府の死者に回心者がいるからです。
もし1人もいないのならば、回心者名簿を提出する必要さえありません。
最後の審判の法廷など開かずに、地獄に直行させれば良いことです。
いや、陰府自体が不要となるでしょう。
地獄が決定されているのであれば、未信者は死後陰府に行かずに、地獄に直行させれば良いことです。
もし変な解釈を付け加えずに、素直に聖書の御言葉を読むならば、聖書はセカンドチャンスの福音をこのように語っているのです。
私たちは、この失われた福音を回復すべきです。
例えセカンドチャンスがあってもなくても、私たちが今生きている間に信仰を持つべきことに変わりはありません。
なぜならば私たちがこの地上で生きている時に信じれば、豊かな祝福された人生を歩むことができます。
そして死後は陰府黄泉へ行かず、天国の至福と安息の中に入ることができます。
しかしこの地上で信じないならば、陰府という暗い世界においてそれぞれの場所に留め置かれます。
そこでは「慰め」を受けることもあるでしょうが、「懲らしめ」を受けることもあります。
その陰府に長い間留め置かれて、自分の人生に対する反省の時と、または魂への神様からのお取り扱いの時を経験します。
(※「千年王国」の後に「最後の審判」があるとするならば、最低でも1,000年間は陰府で過ごさなければならないと考えられます この地上で救いを得るならば、天国へ「直行」となるのです)
あなたはこの地上で福音を聞いたなら、この地上で今信じるのが最善なのです。
そしてこの地上で生きている間に信じるならば、あなたの信仰への祝福は単にあなただけにはらないのです。
広くあなたの先祖や親族家族にも及びます。
聖書の中に、こう書かれています。
わたし(神)を愛し、
わたしの命令を守る者には
恵みを千代にまで施す。
出エジプト記20:6
これは決して、私たちが信じれば先祖も皆自動的に救われるということではありません。
しかし先祖に注がれる神様の深い御恵みは、彼らが陰府で信仰を持つことを大いに助けることでしょう。
ですからあなたが信仰に入ることは、単にあなただけのことではないのです。
あなたの先祖や親族の救いをも大いに助けます。
あなたへの神様の祝福は、単にあなただけではなくて、あなたの周囲の人々やあなたに連なる全ての人々に及んでいくのです。
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