今回は、この教えを前提にブログ発信しなければ意味がないのでは
とさえ思えるほど重要な課題について書かせて頂きたいと思います![]()
最初にぜひとも知って頂きたいのは
これは決して新しい教えなどではなく、もちろん異端の教えでもなく、これこそが元々の、本来の聖書の教えであるという事です。
昨今では、この世で信じられてきたこと全てが「真実であるとは限らない」と気付かされる事が多いのではないでしょうか、、
それどころか、実際は「欺瞞でいっぱいに満ちている」と知る度に、それらに決して騙されてはならないと強く感じています。
この一部の西洋キリスト教の大いなる「間違い/勘違い」を正し、真実を宣べ伝える事はとても重要だと思わされます。
何よりも、この西洋キリスト教による「誤解」により広められた「誤った」教えが、、
日本の人々の救いに「歯止め」が掛かってしまっている大きな要因の一つだとしたならば、決して黙っている訳にはいかないと、意を決して何度かこの課題を取り上げさせて頂いています![]()
もしも、この教えにどうしてもご納得いかないと思われる方がいらっしゃいましたら
どうかこの記事は何卒スキップして頂けましたなら幸いです![]()
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※なお、このブログで「よみ」は、日本でもなじみの深い「黄泉」という漢字で統一させて頂きたいと思います。
日本国内では、下記のような声をよく聞きます。
「自分の亡くなった家族が、いま「地獄」で苦しんでいると思うと、とても辛い。
自分だけが救われるのは、申し訳ない 」 、、
日本にクリスチャン人口が増えない一つの理由は、死後の世界観に関する誤解により、他者への思いやりが深いがゆえつまずいてしまう、という事が大きいような気もします、、
福音を受け入れずになくなった方達は、決して地獄などにはおられません![]()
「この世で」福音を受け入れた人々は、神のご臨在する「天の御国」へ召されますが![]()
この世で福音を受け入れる事なく亡くなった人々は、「黄泉」へ一度降ることになります。
黄泉の世界は、天国にも似た(アブラハムの懐のような)「慰め」の場所や、
地獄にも似た「苦しみ」の場所等の4つの様々な区間に分かれている(エノク書)と言われています。
ただ、ある意味で(「苦しみ」の場所に降った人達にとっては特に)この世でいう所の「留置場」に入れられてしまうのと同様の状態であるとも言われています。
それも「何千年」という、とてつもなく長い期間です
そして「最後の審判」である最終の行き先が決定する「白いみ座の裁き」まで、黄泉にてこの世での自分の行いなどを振り返る機会や、回心するチャンスが与えられると言われています。
そのような段階を経ること無く、「直行
」で天の御国の祝福にあずかるという事は、何と幸いな事でしょうか ![]()
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だからこそ、今この世においての「プロローグ/テスト期間中」
に、真の救いである「福音」を信じる事が何より大切なのです![]()
「クリスチャン人口1%」と呪文のように唱えられている日本人が
、、
また「全世界のノンクリスチャン」の人々が、「福音を受け入れなかった」という理由だけで、、
死後には「有無を言わさず」、悲惨な「永遠の地獄」へ落ちるなどとは、ずっと信じる事は出来ませんでした![]()
日本国民の99%が、「火」と「硫黄」と「蛆」がつきる事のない、とてつもなく恐ろしい地獄(地獄は、黄泉と違って慰めなどの場所が無い)で永遠に苦しむなど、とても考えられないからです![]()
そんなホラーのような悲しい事は、到底信じられるものではありません (:.;゚;Д;゚;.:)
「神は一人も滅びることを望まず」という聖句があります。
だからこそ、「最後の最後」の審判にて最終的な罪の言い渡しをされるまで、主は救いの手を差し伸べ続けるのだという事を信じます![]()
十字架の後、イエスキリストは復活される直前にも、「黄泉に降られ」、旧約時代に亡くなった者達へ福音を述べ伝えられました。
そしてそれは後の時代にも、同様のことが成就されるのだと信じます![]()
聖書では数多くの「ひな型」があり、「歴史が繰り返される」事がいくつも記されているからです。
さらに注目して頂きたいのは、では一体何のために白い御座において「最後の審判」なるものが執り行われる必要があるのか
ということなのです。
聖書には、「この最終の裁きにより、火の池である地獄へ落とされる者もいる」と記されています。
もしも万が一、「この世で福音を受け取らなかった者達」=「全員地獄」
であるとするならば、、
あえて「最後の審判」を催す必要など、どこにもないのです![]()
憐れみ深い神は、一度地獄へ落とした者達を引きずり出して
まで
最後のとどめを射す
などという事は決してなさらないと思うからです。
神はとてつもなく恵み深い方であるという事を、忘れてはなりません (∩。•o•。)っ.゚☆。・
人々が、黄泉に降られた後も、
「全人類のために死んでくださった、罪なき神のひとり子イエスキリストを信じる」事により、
どんな罪も贖い清められ、永遠の救いへと導いてくださるのです![]()
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もしかすると、「セカンドチャンス」という響き?が一部反感を買われてしまう理由の一つなのかも知れません。
それは決して、ゲームやクイズの「敗者復活戦」のような軽いものなどではないのです。
もしも最初から今までずっと、聖書の神の本来の教えである事実が正しく広まっていたならば、セカンドチャンスなる言葉自体が聞かれる事はなかったかも知れません。
ただ、地獄へ落とされる事を「第二の死/セカンド・デス」と言うのであれば、
救われる為の「第二の恵み/セカンド・チャンス」という言葉があるのも不思議ではないのかも知れません![]()
死とよみも、
その中にいた死者を出し、
彼らはそれぞれ
自分の行いに応じて裁かれた。
死もよみも
火の池に投げ込まれた。
この火の池が
第二の死である。
その名が命の書に
記されていない者は、
火の池に投げ込まれた。
ヨハネの黙示録20:13-15
私たちは、これらの真実を人々に伝える必要があるのです![]()
さらには、黄泉の「苦しみ」の区間に降りた人々は、「そこで」悔い改め、福音を素直に受け入れることは、この世において受け入れるよりも「さらに難しくなる」可能性があると考えられます。
最後まで受け入れる事が出来ずに、むしろ「神を呪いながら地獄へ落される者」
も多いと言います。
残念ながら、聖書で語られるように「二度目の死」に遭遇し、「永遠の裁き」に合う者達も存在するのです![]()
だからこそ、皆「この世で」いち早く救われるのがベスト
であるという事は間違いありません。
そしてたとえ「黄泉」の「慰め」の場所にいる人達とさえも、長い期間、再会することは叶いません![]()
そんな家族や、友人知人、先祖達の救いの為に、救われた者達が熱心に祈り求める事が出来るという事は、とても大きいのではないでしょうか![]()
主イエスを信じなさい。
そうすればあなたも、
あなたの家族も救われます。
使徒16:31
今現在でも、先進国においてクリスチャンが著しく少ないのは「イスラエル」と「日本」であると言われています![]()
だからこそ、ずっと理解出来ず不可解に思っていました、、そんな「神の民」として選ばれたといっても過言ではない国民のほとんどが、「地獄行き、、
」とはとても考えられず、それが神の御心とは、とても信じがたいものだったからです。
必ずそこには「神様の壮大なるプラン」である何かが隠されているはずだと、ずっと信じて疑いませんでした![]()
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そのような者達にとっては、この教えを知る事により、心から感謝にあふれ、喜ぶ事が出来ることは間違いありませんヾ(´︶`*)ノ![]()
たとえどの時期に、どのような形であるとしても、神の民である多くの者達が救われ
天国に導かれる事を心より強く信じています ( ; ᵕ ; )![]()
☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜
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こんなに違う!東方教会と西洋キリスト教の死後観
日本にいると、「東方教会のキリスト教」に触れる機会はほとんどないと思いますので、内容はあまり知られていないのではないでしょうか。
「東方教会」と「西洋キリスト教会」の最も大きな違いは、「死後観」に関する違いです。
はっきり言って、ものすごく違います。
一体どうして同じキリスト教なのに、こんなにも違うのか?と戸惑うほどです。
聖書に何度も出てくる「よみ/黄泉」、これはギリシャ語で「ハデス」、ヘブル語で「シェオール」と言いますが、西洋キリスト教会では、黄泉の世界は地獄と「同一」とみなされてしまっているのです。
それを思うと私などは、西洋キリスト教が日本で広まらないのは当然だろうと思ってしまいます。
東方教会では、「黄泉」と「地獄」ははっきりと区別されています。
キリストを信じて生きたクリスチャンは、死後ただちに霊的な天国に挙げられる。
一方、未信者は死後ただちに、黄泉(ハデス)に降る。
黄泉は、地獄(ゲヘナ/ヘル)とは別の世界である。
黄泉にいた者の内、「悔い改めの実を結ばなかった者」は、「最後の審判」の後に、最終的に「地獄」へ入れられる。
しかし、「悔い改めと信仰の実を結んだ者」は、そののち「神の国」に迎え入れられる。
だから、黄泉にいる魂に光が与えられ、悔い改めて信仰を持てるよう、地上の者たちが「祈る」ことは、神によって良しとされる事である。
神の恵みと愛は、黄泉に行った未信者の魂に対しても途切れず注がれていると信じられています。
聖書が言っている事を、単純にそのまま信じているわけです。
これらは、「未信者の死後に希望はない」という西洋キリスト教となんと違うことでしょうか。
一体どちらが聖書の教えなのか、皆さんも真剣に検討していただきたいのです。
西洋キリスト教の宣教師の多くは、実は母国の教会で「使徒信条」を、「主は死にて葬られ、地獄(ヘル)に降り」と告白してきた人々なのです。
聖書は、「主イエスは十字架の死後、黄泉/ハデス/シェオールに降った」と述べます。
この混同は、一体いつから始まったのでしょうか?
実は、四世紀にラテン語聖書が「黄泉と地獄を同じ言葉で訳してしまう」という致命的な間違いを犯しました。
また、今も欧米で使っている人が多いKJVという英語訳があります、これもルカの福音書16章では地獄(ヘル)と誤った訳をしてしまいました。
しかし言語のギリシャ語では、ハデス(黄泉)の苦しみの場所という区画の事であったのです。
死後観の誤りは、正さなければなりません。
それは人にとって、最も大切な部分だからです。
今は亡きあなたの親族も家族も、また福音を一度も聞くことなく死んだ日本人の先祖たちも、私たちの祈りによって救われる可能性があります。
神は愛であり、公平で正しい義なる方です。
ですから、救われるためのチャンスを必ず全ての魂にお与えになります。
イエス様は、「全ての造られた者に福音を宣べ伝えよ」と言われましたね。
福音を地上で一度も聞くことがなく去った魂に対して、イエス様が無関心でいることなどあり得ないのです。
イエス様は、どんなに彼らのことを気にかけておられることでしょう。
神はそういう方でありますので、どうぞ失望なさらないでください。
福音を1度も聞くことなく、また信じることなく去った今はなきあなたの先祖や親族、家族、友人の方々も全員、神との愛の中にあります。















































































