突然なのですが、、「携挙」なるものははたして実際に起こり得るのでしょうか?アセアセご存じの方は、みな一度は不思議に思われた事があると思います。

 

※これらの記事が案の定あせる下書きに入ったままになっておりましたので、よろしければ2回に分けてブログ記事にさせて頂きたいと思いますm(*_ _)m 

 

 

それは、日々私たちが過ごしている日常では、少し非科学的に感じてしまう現象なのかも知れません。

 

とはいえ聖書は常に真実を語っており、それらは確実に実現されると多くの者が信じていますチョコ

 

 

何故ならばすべての預言は、ことごとく成就されているからです。

 

 

「ソドムとゴモラ」や「ノアの箱舟」の時代にも、神は罪深い人類をまさに「摩訶不思議な超常現象」を用いて滅ぼされたお話は有名ですね。

 

想像を絶するほどの「罪」と「腐敗」で満ちていた世界に、神の裁きがくだされたのです。

 

その際にも神は義人達を、この世に「災害が下される直前」に取り去られるように守ってくださいました天使

 

 

ソドムとゴモラの廃墟跡地には「塩の成分」が含まれた土が発見されたと言われ、また「ノアの箱舟の残骸」もトルコのアララト山に埋もれているのが発掘されています。

 

「進化の過程における化石」は、(無数になければおかしいにも関わらず偽物ばかりで)実際には一つも発見されていないようですがうーん、、

 

一方で「ノアの箱舟時代の化石」が多数発掘されているという事は、進化論は間違いであり、ノアの箱舟は真実であるという良い証拠なのではひらめき電球

 

また、アリゾナのグランドキャニオンなど世界中に現存する「地層」においても、短期間の内に「大洪水」が起きた歴史を私たちが目にすることが出来る、最大なる証であるとも言われています。

 

 

お話が大分それてしまいましたが 猫あたま、、今まさにこの現代においても罪と腐敗が蔓延しており、日々のニュースでも目を覆いたくなるような事件が多発しているようですねガーン

 

「携挙」は、確かに人間にとっては壮大過ぎてあり得ない出来事のように感じてしまうかも知れませんが、、よく考えてみますと、人知をはるかに超えた「天地/人類創造」を成された神様にとっては、いとも容易いことなのかも知れませんキラキラ気づき

 


実際に、復活された「イエスキリスト」と、旧約時代の「エノク」と「エリヤ」も、群衆の観ている目の前で、天にそのまま引き上げられたと聖書にはっきりと記されていますねキラキラ

 

 

この終わりの時代に、今までの人類史上あり得ないと思える方法で、神が裁きと救いをもたらせるのだと信じてやみませんお願い

 

それがいつになるのかは、神のみぞ知ることだと聖書にあります。数年以内なのか、数十年なのか、あるいは100年以内の事なのでしょうか、、

 

ただ確かに言えることは、一人ひとり個人の終末は確実に数十年以内には訪れると思われるので、たとえ携挙がいつであったとしても、私たちは同じ信仰を持ち続けるべきだと思うのですカギ

 

 

イエスキリストご昇天後の時代、たとえ奇跡の数々は封印されたとしても、神は、ただ「聖書に延べ伝えられている福音により信じる人々」を探し求めておられるのではないでしょうかくろす

 

 

「あなたはわたしを見たので

信じたのか。

 

見ないで信ずる者は、

さいわいである」。

 

 

ヨハネによる福音書 20:29

 

 

神がお約束された事は、必ず成就されるのです

(∩^o^)⊃━☆゚.*・。

 

 

信仰とは、

望んでいる事柄を確信し、

 

見えない事実を確認することです。

 

 

ヘブライ人への手紙 11:1

 

 

 

 

 

 

もしもよろしければ、ご参考の一つとしてぜひ一度ご覧くださいね ( ´∀`)bグッ!

 

 

RAPTURE | In The Twinkling Of An Eye 
携挙/瞬きをする間に

 

 

 

それはすぐに起こります、瞬く間に。

 

民間旅客機の操縦席では、パイロットが操縦桿を握っている。

 

そして一瞬の内に、彼は姿を消した。

「携挙」され、取り去られた。

 

高速道路を、会計士が長い一日を終えて家路についている。

そして、彼女は取り去られた。

 

 

 

 

世界の指導者や政治家たちは、想像を絶する事態が展開しているのを目の当たりにした。

 

携挙は予告もなく、容赦もなく、別れを告げる時間もなく訪れる。

 

世界は、何が起こったのか理解できないだろう。

世界は準備ができていないだろう。

 

そして残された人々は混乱し、恐怖に怯え、答えを探し求めるだろう。

 

 

 

 

携挙は必ず訪れる。

そして、それは突然のことだ。

 

「携挙」は、「大患難」が始まる前に起こる。

 

この出来事において、イエスはご自身の民を救い出し、世界に迫りくる怒りの時から彼らを守るでしょう。

 

 

「携挙」の際、イエスは雲に乗って来られ、空中で忠実な信者たちを捕らえて連れ去るだろう。

 

 

「再臨」の際は、イエスは地上に来られる。

 

彼はオリーブ山に足を踏み入れ、神の敵を滅ぼし、地上に「千年王国」を築くでしょう。

 

 

 

 

携挙の際、イエスの再臨は喜びと祝祭によって迎えられる。

 

栄光に満ちた出現に言及する聖句は、神の敵、特に「反キリスト」を偽預言者に何が起こるかに焦点を当てている。

 

 

反キリストが権力を握る前に、携挙がまず起こるだろう。

 

反キリストはおそらく、世界中で何百万人もの人々が突然

消滅することによって生じる「混乱」を利用して、世界に登場しようとするでしょう。

 

 

 

 

また多くの人々は、世界の指導者たちが、人々の失踪は「宇宙人による誘拐や侵略」の結果であると主張することで、「携挙があったという説を否定」しようとする可能性が非常に高いと考えている。

 

メディア業界の多くの指導者たちは、悪魔的な力に促されてこの話を広めている可能性がある。

 

 

彼らは、「反キリスト」が権力を握るための舞台を整えていることに気づいていない。

 

 

新しいカリスマ的で、一見賢明で慈悲深い世界の指導者が支配し、関係者全員の利益と保護のために戒厳令を課すことを可能にするだろう。

 

 

 

 

ハリウッドは、エイリアンが突然襲撃して関係者を連れ去ったと発表される日が来ることを、私たちに準備させてきた。

 

 

その物語は、何十年にもわたって綿密に作り上げられてきた。

 

 

大衆は、その嘘を信じるだろう。

 

悪魔的な勢力によって何十年にもわたって育てられてきた邪悪な指導者たちは、このエイリアンの「偽装工作」を利用して恐怖を煽るだろう。

 

 

 

 

高度な技術と悪魔的な力は、脅威の幻想を増幅させるだろう。

 

預言に記されている苦難の出来事、水の汚染、空から降る火、疫病などは、目に見えない異星人の敵のせいにすることが出来る。

 

 

これは、「聖書が真実」であり、「神が苦難の裁きを通して人類を神に立ち返らせようとしている」という真実を、覆い隠してしまうだろう。

 

 

 

 

黙示録の災害

 

ヨハネの黙示録に記されている災厄は、「悪人たちの悪行に対する報い」として、神が定めた正義のシステムの一部です。

 

 

始める前に言っておきたいのですが、この情報によって恐れる必要はありません。

 

 

むしろ黙示録は、祝福を伴う書物であることを覚えておいてください。

 

 

 この預言の言葉を

朗読する者と、これを聞いて、

 

その中に書かれていることを

守る者たちとは、さいわいである。

 

時が近づいているからである。

 

 

黙示録1:3

 

 

 

 

さて、ヨハネの黙示録に記されている災いの第一段階には「七つの封印」が含まれ、第二段階には「7つのラッパ」の災厄が含まれる。そして最後の段階は「七つの鉢」という用語です。

 

 

苦難の時代にあっても、信仰を貫こうとする人々がいるのがわかるでしょう。

 

それは「新しい世界の指導者」に服従することを、拒む者たちだ。

 

 

 

 

多くの人は、何が起こっているのかを理解できないだろう。

 

 

その時には、

人々は死を求めても与えられず、

 

死にたいと願っても、

死は逃げて行くのである。

 

 

ヨハネの黙示録9:6

 

 

世界の政治システムは崩壊し、権力と富を失ったことへの嘆きが広がるだろう。

 

聖書によれば、「神を呪い、救いを求めて神に頼ることを拒む人々が現れるだろう」とさえ記されている。

 

 

 

 

ハルマゲドンという大戦の幕開け

 

 

悪霊たちは奇跡を起こしながら、世界各地の王たちのもとへ出向き、「神との戦い」に加わるように彼らを促した。

 

多くの人々は疫病の恐ろしさゆえに、依然として神を呪うだろう。

 

患難時代は、神の裁きを地上にもたらす。

 

しかし、キリストにある者は救われる。

 

 

 

 

永遠を考えると

 

もし今夜が地球上で過ごす最後の夜だとしたら、あなたはどのように過ごしますか?

 

 

しかし、携挙とは一体何なのでしょうか?

携挙という言葉には、いくつかの定義がある。

 

まず、「人を別の場所や存在領域へと運ぶもの」と定義できる。

 

 

携挙とは「イエスキリストが地上に戻り、信者たちを天国へ連れて行き、永遠の命を与える瞬間」のことです。

 

それは文字通り、「信者たちを地上から運び出す」ことになるでしょう。

 

 

 

 

すなわち、主ご自身が

天使のかしらの声と

 

神のラッパの鳴り響くうちに、

合図の声で、

天から下ってこられる。

 

その時、

キリストにあって死んだ人々が、

まず最初によみがえり、 

 

それから生き残っているわたしたちが、

彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、

 

空中で主に会い、こうして、

いつも主と共にいるであろう。

 

 

テサロニケ人への手紙第一4:16-17

 

 

イエスは私たちのために場所を用意し、戻って来て私たちを迎え入れると告げました。

 

 

 

 

黙示録

 

「見よ、彼は白い馬に乗ってやって来る」

 

それは聖書の言葉です。

 

キリストは「正義の裁き主」として、そして「世界の唯一の真の救い主」として再臨する。

 

ヨハネの黙示録の最後の章で、全世界にイエスキリストからこの警告が与えられます。

 

 

見よ、わたしはすぐに来る。

 

わたしは、報いを携えて来て、

それぞれの行いに応じて報いる。

 

わたしはアルファであり、

オメガである。

 

最初の者にして、最後の者。

 

初めであり、終わりである。

 

 

ヨハネの黙示録 22:12-13

 

 

 

 

その時は、世が思っているよりも近い。

そして唯一適切な対応は、義をもって生きることである。

 

何世代にもわたり、生活は慣れ親しんだパターンで続いてきた。

 

ノアの時代のように、世界は安定し、予測可能であるように見えた。

 

自分たちの生活、社会、そして運命さえも完全にコントロールしていると信じていた。

 

 

人々は、しばしば「聖書の終末の警告」を無視してきた。

 

また、それらは「私たちの時代とはかけ離れた時代のもの」だと信じる者もいた。

 

しかし、聖書は常に明確であった。

 

 

神は日を定めた。

ご自身の主権によって、時と季節を定めた。

 

 

 

 

そしてある日、静かに、誰にも知らされずに公の発表や人々の認識によって、「歴史の最終章」が始まります。

 

神の言葉に耳を傾け、世界の出来事を注意深く見守ってきた人々は、それをはっきりと見るでしょう。

 

「兆候」はここにあります。

それらは、もはや地平線の遠い影ではありません。

 

ますます激しくなる「産みの苦しみ」のようなものです。

 

 

心を整え、キリストに目を向ける者は、この世が自分たちの故郷ではないことを覚えており、自分たちは旅人であり、通り過ぎる異邦人です。

 

そして大きな「欺瞞」の時代にあっても、彼らは警戒を怠りません。

 

彼らは心を守り、敵の策略に抵抗します。

 

 

 

 

イエスは言われた。

 

「惑わされないように気をつけなさい。

 

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、

 

『わたしがそれだ』とか、

『時が近づいた』とか言うが、

 

ついて行ってはならない。

 

 

ルカによる福音書21:8

 

 

そして今日、その「警告」はかつてないほど強く響き渡っています。

 

何故でしょうか?

それはサタンが、「獲物」を狙っているからです。

 

魂を釣り上げ、巧みに餌を投げ込んでいるのです。

 

 

彼は時が迫っていることを知っており、人々の心を盲目にするために奔走しています。

 

 

 

 

また大地震があり、

あちこちに疫病やききんが起り、

 

いろいろ恐ろしいことや

天からの物すごい前兆があるであろう。

 

 

ルカによる福音書21:11

 

 

そして、自然界に兆候が現れ始めます。

 

 

 また日と月と星とに、

しるしが現れるであろう。

 

そして、地上では、諸国民が悩み、

海と大波とのとどろきにおじ惑い、 

 

人々は世界に起ろうとする事を思い、

恐怖と不安で気絶するであろう。

 

もろもろの天体が

揺り動かされるからである。 

 

そのとき、

大いなる力と栄光とをもって、

 

人の子が雲に乗って来るのを、

人々は見るであろう。

 

これらの事が起りはじめたら、

身を起し頭をもたげなさい。

 

あなたがたの救が

近づいているのだから」。

 

 

ルカによる福音書21:25-27

 

 

 

 

地球がうめき声をあげる。

空が轟音を立てる。

自然災害は、その規模と頻度を増している。

 

火山が目覚める。

そして、天空そのものが揺れ動いているように見える。

日食、赤い月、空の奇妙な動き。

 

これらは無作為ではない。

それらは偶然ではない。

それらは兆候だ。

 

 

裁判官がドアの前にいます。

それでも世界は眠っている。

 

 

 

 

しかし、見る目のある者にとっては、これらの印は丘の上の篝火のようなものだ。

 

その時代は、終わりを迎えつつある。

 

聖書は悪が増大し、多くの人々の愛が冷えていくことを警告している。

 

 

そして私たちは、この事態が恐ろしいほどのスピードで展開していくのを目の当たりにしている。

 

 

「善」のために開発された技術が、「悪」のために利用されている。

道徳が嘲笑される。

 

「暗闇は光」、そして「光は暗闇」と呼ばれる。

 

 

もし生き残る為の代償が、あなたの「魂」だったとしたら?

 

 

 

 

「狭い門から入りなさい。

 

滅びに通じる門は広く、

その道も広々として、

 

そこから入る者が多い。

 

しかし、

命に通じる門はなんと狭く、

その道も細いことか。

 

それを見いだす者は少ない。」

 

 

マタイによる福音書7:13-14

 

 

聖書は私たちに、ほとんどの人が聞きたくないことを伝えています。

 

大多数の人は、「広い道」を選ぶだろう。

 

大多数の人は、「その刻印」を受け入れるだろう。


 

 

 

 

「反キリスト」は、「怪物」として現れるわけではない。

彼は、(偽)救世主として現れるだろう。

 

彼らに解決策、新しい世界秩序、新しい金融システム、混沌から秩序をもたらす刻印を提供するだろう。

 

それは「彼らの安全、安心のため、そして社会のためだ」と説明するだろう。

 

そして拒む者、欺瞞を見抜く者を狩り立てるだろう。

 

 

彼はいと高き方に敵対して語り

いと高き方の聖者らを悩ます。

 

彼は時と法を変えようとたくらむ。

 

聖者らは彼の手に渡され

一時期、二時期、半時期がたつ。

 

 

ダニエル書7:25

 

 

 

 

 

 

わたしはまた、多くの座を見た。

 

その上には座っている者たちがおり、

彼らには裁くことが許されていた。

 

わたしはまた、イエスの証しと

神の言葉のために、

首をはねられた者たちの魂を見た。

 

この者たちは、

あの獣もその像も拝まず、

額や手に獣の刻印を受けなかった。

 

彼らは生き返って、

キリストと共に千年の間統治した。

 

 

黙示録20:4

 

 

 

 

「反キリスト」は、その名前が示す通り、「イエスキリストに攻撃的に反対する者」となるでしょう。

 

彼は「イエスキリストが象徴するものすべて」、「聖なるものすべて」、「真実であるものすべて」を破壊しようとするだろう。

 

しかし、私たちが理解しなければならない最後の真実があります。

 

 

「反キリスト」はどれほど強力に見えようとも、

どれほど多くの人々が彼に従っていようとも、

どれほど彼の刻印を受け容れるよう強い圧力がかかろうとも、

 

最終的には敗北します。

 

 

イエスキリストは、最終的に勝利します。

 

 

 

 

預言的カウントダウン

 

さて、この迫害の増加は福音の急速な広がりを示しています。

 

これは「携挙の直前」に起こると予想されます。
 

 

信者が反対に直面すると、彼らの信仰はしばしば「強まり」、証はより「力強く」なります。

 

 

この広範な迫害は聖書の預言を成就し、まさに終わりの時代にいるという印となります。

 

 

また、「欺瞞」の規模は驚くべきものです。

 

「自称メシア」の多くは、時には数千人にも及ぶ大勢の聴衆を集めています。

 

 

今日のデジタル時代においても、偽りの教えの拡散はソーシャルメディアという強力な味方を得ています。

 

 

 

 

無法と道徳の退廃

 

イエスは、「無法が増加する時が来る」と警告しました。

 

その答えは、世界中の多くの都市を変容させている衝撃的な傾向にあります。

 

 

多くの場所や都市部では、危険地帯と化している地域がますます増えています。

 

 

不法がはびこるので、

多くの人の愛が冷える。 

 

しかし、

最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 

 

そして、御国のこの福音は

あらゆる民への証しとして、

全世界に宣べ伝えられる。

 

それから、終わりが来る。」

 

 

マタイによる福音書24:12-14

 

 

 

 

自然災害と気候変動による混乱

 

地球全体が激動の渦中にあり、「自然災害」が驚くべき速さで発生しているようだ。

 

近年、記録された自然災害の発生頻度は急激に増加している。

 

 

だから、

目をさましていなさい。

 

いつの日に

あなたがたの主がこられるのか、

 

あなたがたには、

わからないからである。

 

 

マタイによる福音書24:42

 

 

神は存在する。

そして神は、すべてを支配しているのだ。

 

これらすべてを述べると、これは人々を怖がらせるためのメッセージだと思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。

 

聖書には、「主を畏れることは、知恵の初めである」とあります。

 

 

イエスは、下記のように仰いました。

 

 

 体は殺しても、

魂を殺すことのできない者どもを

恐れるな。

 

むしろ、魂も体も

地獄で滅ぼすことのできる方を

恐れなさい。

 

 

マタイの福音書 10:28

 

 

私はあなたを、ただ怖がらせたいのではありません。

あなたを励ましたいのです。

 

あなたを深く愛する神がおられ、その神はあなたのために御子を遣わし、あなたが神を信じるならば救いを与えると約束しておられることを伝えたいのです。

 

 

RAPTURE | In The Twinkling Of An Eye 
携挙/瞬きをする間に

 

 

 

☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜

 

 

 

熊本での地震にて被害に遭われた方々、またそのご家族に、心よりお見舞いを申し上げます。

どうか一日も早い復興となりますように、皆様の心が癒されますように。そして人々が救いに導かれますように、心よりお祈り申し上げます。

 

 

いつもご訪問いただきまして、ありがとうございますお願い

 

皆さまの中にも「可愛がっていたペットとは天国で又会えるのでしょうか?」、という疑問を耳にされた方も多いと思いますキョロキョロ
 

これは、ペットを飼われた経験がある方は特に、一度は考えた事があるテーマおすましペガサスなのかも知れません

 

 

下記の聖句では、新しい御国において、

 

イエスキリストの御名によって、父に願い求めるものは全て聞き入れられるラブとありますキラキラ

 

 

天の御国においては、心に思い描いた事(神の御心に沿った)を強く願い求めた際にはお願い、、

 

慈しみ深い神によって必ず叶えられると信じるならば、これほどすばらしい事はありませんハート

 

 

 

しかし、わたしは

再びあなたがたと会うであろう。

 

そして、あなたがたの心は

喜びに満たされるであろう。

 

その喜びをあなたがたから

取り去る者はいない。 

 

その日には、あなたがたが

わたしに問うことは、何もないであろう。

 

 

よくよくあなたがたに言っておく。

 

あなたがたが

父に求めるものはなんでも、

 

わたしの名によって下さるであろう。

 

 

ヨハネによる福音書16:22-23

 

 

 

もし宜しければ、前回に引き続き一つのご参考として、聖書の指針さんの動画から一部抜粋させて頂きます (ノ*>∀<)ノ♡

 

 

 
 
ペットロスの悲しみと聖書から考える姿勢
 
ペットは天国に行くのでしょうか?
 
亡くなった犬、猫、大切にしていた動物たちともう1度会えるのでしょうか?
 
長い時間を一緒に過ごし、家族のように愛し、最後の日まで見守った人にとっては胸の奥に刺さる問いです。
 
名前を呼べば来てくれた存在がもう来ない。
いつもの場所に姿がない。
 
食器も、首輪も、写真も見る度に涙が出る。
この悲しみは本当に深いものです。
 
 
 
 
聖書は、動物について何も語っていないわけではありません。
 
一方で、全てを細かく説明しているわけでもありません。
 
 
動物は良い被造物
しかし人間とは同じではない
 
まず聖書は動物を、「神が創られた良いもの」として語っています。
 
 
神は
 
地の獣を種類にしたがい、
家畜を種類にしたがい、
また地に這うすべての物を
 
種類にしたがって造られた。
 
神は見て、良しとされた。 
 
 
創世紀1章25節
 
 
つまり動物は、偶然に存在しているものではありません。
※何百万年もかけて「偶然に進化した」ものではないのですあせる
 
 
犬も、猫も、鳥も、馬も、あらゆる生き物は神の御手の中で創られました。
 
また聖書は、神が被造物を気にかけておられることも語ります。
 
イエス様は、空の鳥を見なさいと語られました。
 
 
空の鳥を見るがよい。
 
まくことも、刈ることもせず、
倉に取りいれることもしない。
 
それだのに、あなたがたの天の父は
彼らを養っていて下さる。
 
 
マタイの福音書6:26
 
 
 
 
このように、神は動物を軽んじておられません。
 
一方で聖書は、人間と動物を同じ存在としては扱っていません。
 
 
神はまた言われた、
 
「われわれのかたちに、
われわれにかたどって人を造り、
 
これに海の魚と、空の鳥と、
家畜と、地のすべての獣と、
 
地のすべての這うものとを
治めさせよう」。
 
 
神は自分のかたちに
人を創造された。
 
すなわち、神のかたちに創造し、
男と女とに創造された。
 
 
創世紀1章26節~27節
 
 
「神の形」とは、神を知り神と交わり神の前に責任を持って生きる存在として創られたということです。
 
人間は、神を礼拝するために作られました。
善悪を考え、愛し、選び、悔い改め、信じる存在として創られています。
 
ここに動物との根本的な違いがあります。
 
もちろん動物にも感情があり、1匹1匹に個性があります。
ペットと暮らしたことがある人なら、それはよくわかるはずです。
 
喜ぶ姿、怖がる姿、甘える姿、飼主を待つ姿。
その姿に心を動かされるのは自然なことです。
 
ただし聖書は動物について人間と同じように罪を悔い改め、救い主を信じ、新しく生まれる存在だとは語っていません。
 
 
ですからペットについて考える時には、2つのことを同時に大切にする必要があります。
 
動物は神が作られた良い被造物であり、神に覚えられている存在です。
 
しかし聖書は動物の死後について、「人間の救いと同じ形」では説明していません。
 
だからこそ私たちは聖書がはっきり語っていることと、神に委ねるべきことを分けて考える必要があるのです。
 
 
 
 
聖書は未来の地上の王国に動物がいると語っている
 
では未来の世界に、動物はいるのでしょうか?
 
聖書がはっきり語っているのは、キリストが再び来られた後、「地上に実現する王国には動物がいる」ということです。
 
 
その日には、
 
狼と子羊がいっしょに休み、
ひょうと子やぎは大の仲良しになります。
 
子牛や丸々と太った家畜が
ライオンの間にいても心配はなく、
 
小さい子どもが
その群れを追って行きます。
 
牛は熊の間に入り込んで草を食べ、
その子らはじゃれ合い、
ライオンは牛のように草を食べます。
 
幼子が毒蛇の間をはい回ってもかまれず、
子どもは平気でまむしの巣に手を入れます。
 
主の聖なる山のどこででも、
傷つけたり危害を加えたりするものは
一つもありません。
 
水が海を満たすように、
主を知る知識が地にあふれるからです。
 

 

イザヤ11章6節~9節
 
 
これは、ただの素敵なイメージではありません。
 
神がやがてこの地上に、本当の平和と回復をもたらされることを示しています。
 
 
 
 
キリストが王として治められる時代に、自然界の秩序が大きく回復されるということです。
 
この王国は、「千年王国」と呼ばれます。
 
千年王国とはキリストの再臨後、この地上に実現する王国のことです。
 
黙示録20章には「千年」という期間が語られています。
 
※「主にとって千年は一日のようである」と一つの聖句にありますが、千年王国に関しては「100歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に満たない者は呪われた者とされる」とあるように、ここでいう千年は、文字通りの1,000年であると言われていますひらめき電球
 
 
ここで大切なのは、聖書が未来をふわっとした霊的な世界だけとして描いていないことです。
 
地上に王国があり、支配があり、平和があり、動物がいます。
 
 
神が創られる未来の地上の王国には、動物が存在します。
 
 
そこでは、今の世界にある恐れや争いが取り除かれ、平和が回復されます。
 
 
新天地に動物はいるのか?
 
ではその後に来る「新天新地」には、動物がいるのでしょうか?
 
 
 
 
ここで聖書が語っていることと、語っていないことを分けて考える必要があります。
 
 
 
黙示録21章には「新しい天と新しい地」が出てきます。
 
そこでは、もはや死もなく悲しみも叫びも苦しみもありません。
 
罪によって壊された世界が完全に過ぎ去り、神が人と共に住まわれる永遠の世界です。
 
ただし黙示録21章と22章は、新天新地に動物がいるかどうかを明確には語っていません。
 
ですから新天新地には、必ず動物がいると断言することはできません。
 
一方で新天地には、絶対に動物はいないとも言えません。
 
なぜなら神は創造の初めに動物を作り、それを良しとされたからです。
 
 
 
 
ですから新天新地の動物については、断定ではなく信頼を持って受け止めるのが聖書的です。
 
神が創られる永遠の世界には、欠けがありません。
神の判断には、誤りがありません。
 
 
神の民はその時主のなさった全てに、完全に満足します。
 
 
結論:亡くなったペットと天国で再会できるのか
 
聖書は、あなたが飼っていた特定のペットが天国で必ず待っているとは語っていません。
 
しかし同時に、天国で会えるはずがないと決めつける必要もありません。
 
聖書は、亡くなったペットとは絶対に会えないとも語っていないからです。
 
 
主は岩であって、
そのみわざは全く、
 
その道はみな正しい。
 
主は真実なる神であって、
偽りなく、
 
義であって、正である。
 
 
申命記32章4節
 
 
 
 
神の判断は完全です。
 
人間には分からないことがあっても、神には全てが分かっています。
 
私たちが愛した小さな命についても、神は知らないままではありません。
 
 
いま私が知っていることは、
おぼろげで、ぼんやりしています。
 
しかしその時には、
 
いま神様が私の心を
見通しておられるのと同じように、
 
すべてが
はっきりわかるでしょう。
 
 
第1コリント13章12節
 
 
 
 
今の私たちには、永遠の世界の全ては見えていません。
 
けれども主の御前に立つ時、今は分からないことも 明らかになります。
 
そして神の判断を知る時、神の民は完全に満足します。
 
 
神は創造主です。
 
 
そして神は、ご自分が創られたものを軽んじる方ではありません。
 
 
 
 
ですから私たちが家族のように愛した小さな命を、主が意味のないものとして扱われるとは思えません。
 
 
もし主が私たちの愛したペットと御国で再会させてくださるなら、それは本当に大きな慰めです。
 
そしてたとえ私たちの想像とは違う形であったとしても、主は必ず私たちの涙を拭い完全な慰めと平安を与えてくださいます。
 
 
 
主は私たちの想像をはるかに超えた、完全に愛と正しさに満ちたお方です。
 
だからこそ、ペットのことも私たち自身の永遠の希望も、主イエスキリストに委ねるのです。
 

 

 

ここ最近は地震や台風などが頻発しているようですので、どうかくれぐれもお気を付けくださいね 。゚゚(´□`。)°゚。

 

 

前回に紹介させて頂いた詩編ワーシップの歌詞に関しまして、もしもお一人でも勘違いされてしまう方がおられたら悲しいので、念のために (´。•ㅅ•。`)♡

 

 

何びとたりとも不治の病で亡くなる事があるという事も、そして不老不死というものがこの世に存在しないことも、ご承知の通りだと思うのですが、、うさぎのぬいぐるみ

 

詩篇103の「全ての病を癒し」、「いのちを贖われた」等の内容は、この世においてではなく、新しい世界、つまり後の天上での事なのです、、

 

などと申し上げたなら、今度は何か怪しいスピリチュアル話なのかと、誤解されてしまいそうですが (* > <)⁾⁾

 

 

歌詞冒頭の、「私の心は」ではなく「私の魂は」主を褒め称える十字架 というところがポイントではないでしょうかキラキラ


信じる者はみな「二度目」の死に会うことはなく、「いのち」に移っており飛び出すハートこの世のものとは異なる新しい「復活の体」が与えられるという事なのですラブ


そしてそれは、まさに死から蘇られたイエス様の「復活(栄光)の体」に似たものキラキラであるとも言われています。
 


それは例えば、どのような体であるかと申しますと、

 

「鍵で閉じられたドアをすり抜けて」入って来られる体でありながらも、


「飲み食いをする事」も可能であり、


また、弟子たちが十字架上でのイエス様の傷を触ったように「触れること」も可能なものであるという事です
 

ヾ(*´∀`*)ノ ۶•*¨*•.¸¸♪

 

※またイエス様が皆の前で空中に挙げられたように、そして携挙の時に信者が挙げられるように、空を飛べるような体であるかも知れませんね昇天ハート

 


 

これらの話をしている時、

突然イエスが現れ、
みんなの真ん中に立たれたのです。


彼らは幽霊を見ているのだと勘違いし、
ぶるぶる震えました。


「なぜそんなに驚くのですか。
どうしてそんなに疑うのですか。


さあ、この手を、この足を、
よくごらんなさい。

わたしにまちがいないでしょう。
さあ、さわってみなさい。

これでも幽霊でしょうか。

幽霊だったら、
体などないはずです。」


イエスはそう言いながら、

手を差し出して釘の跡を見せ、
また、足の傷もお示しになりました。


弟子たちは、うれしいけれども、
まだ半信半疑です。

心を決めかねて、
ぼう然としていました。

それでイエスは、
「何か食べ物がありますか」
とお尋ねになりました。


焼き魚を一切れ差し上げると、
イエスはみんなの見ている前で
召し上がりました。

 
ルカの福音書24:36~42
 
 
 
実は、先日のブログで追記しようかと迷っていた所あせる言いたい事がそのまま動画にされたようなものがアップされたので遅くなりましたがシェアさせて頂きたいと思います((* •ω•)。´ハート
 
 
 
 
死んだ後、私たちの体はどうなるのか?
聖書が語る「栄光の体」と復活の希望
 
 
皆さんは死んだ後、私たちの体はどうなるのかと考えたことはないでしょうか?

私たちは普段、死について深く考えないようにしているかもしれません。
 
死んだら、体はただ土に帰って終わりなのでしょうか?
永遠に魂だけの存在になるのでしょうか?
 
それとも聖書は、もっと具体的でもっと力強い希望を語っているのでしょうか?
 
 
 
 
聖書は、「今の体が最終系ではない」と教えています。
 
それでは、栄光の体とは一体どのような体なのでしょうか?
 
今の体は、地上で生きるために与えられた体です。
 
食べなければ弱り、眠らなければ倒れ、病気になり、傷つき、年齢と共に衰えていきます。
 
どれだけ健康に気をつけても、死の現実から完全に逃れることはできません。
 
 
 
 
例えば深海に住む魚には、深海に適した体があります。
空を飛ぶ鳥には、空に適した体があります。
 
同じように、今の私たちの体は「地上で生きるための体」です。
 
一方神が約束しておられる復活の体は、永遠の世界、新しい天と新しい地、そしてキリストと共に生きる世界に適した体なのです。
 
 
神は私達の魂だけを救い、体を捨てられるのではありません。
 
神はやがて私達に朽ちない体、栄光の体、復活の体を与えて下さるのです。


彼は、万物をご自身に
従わせうる力の働きによって、


わたしたちの卑しいからだを、

ご自身の栄光のからだと

同じかたちに
変えて下さるであろう。



ピリピ人への手紙3章21節
 
 
神は、私たちを幽霊のような存在にするのではありません。
 
それでは栄光の体とは、どのような体なのでしょうか?
 
 
 
 
復活の体には、今の体との連続性があります。
 
つまり、あなたはあなたであり続けます。
神は、全く別人を作るのではありません。
 
一方で、今の体とは決定的に違う性質も持ちます。
 
朽ちる体が朽ちない体に、弱い体が強い体に、卑しい体が栄光ある体に変えられるのです。
 
 
 
 
つまり天上で生きるのに適した、死ぬことのない体です。
罪に支配されず、病に縛られず、老いに向かうこともありません。
 
現在の体は、どれだけ鍛えてもいつか衰えます。
どれだけ美しく整えても、永遠には保てません。
 
しかし、復活の体は違います。
神の命に満ち、キリストの栄光に似た体として与えられます。
 
 
もちろんイエス様は神であり、私たちは神になるわけではありません。
 
ただし信じる者は、キリストの栄光の体と同じ姿に変えられると聖書は語っています。
 
 
 
 
 
聖書が語る「復活の希望」は、非常に具体的です。
 
人は死んだら、消えてなくなるのではありません。
魂だけの存在として、永遠に漂うのでもありません。
 
 
この希望は、今の人生にも大きな意味を持ちます
 
キリストの復活は、死が最後の勝者でないことを示しています。
 
 
 

「わたしはよみがえりであり、
命である。

わたしを信じる者は、
たとい死んでも生きる。
 
また、生きていて、
わたしを信じる者は、
いつまでも死なない。

あなたはこれを信じるか」。
 
 
ヨハネによる福音書11:25~26
 
 
 
死は、キリストにある者から、最終的な希望を奪うことはできません。
 
墓も、病いも、老いも、罪の影響も、最後にはキリストの勝利の前に破れ去ります。