「いってくるね」
家を出る前に、
息子の写真に声を掛ける。
「パパお仕事にいってくるって~」
妻も一緒に声を掛けてくれる。
その掛け合いが、私達にとっては、
息子がいてくれたという証。
例え1ヶ月でも生きてくれた証。
自分でもパパになれたということ、
息子がいてくれたことを胸にしまって頑張れる。
息子に声をかけ終わると、
今度は妻が「いってらっしゃい」と、
言ってくれて、
車に乗り込む頃には、
リハビリ中の歩行器で追いかけてくれて、
自分の姿が見える窓から、
手を振ってくれていた。
妻が入院してから2週間が経つ。
希望がたくさんあった前回の治療と違い、
先の見えない治療。
今は息子の写真にいってきますと言っても、
言ってくれる妻が、傍にいない。
妻がいないと、息子への言葉も、
空しく声が鳴り響くだけ。
妻がいないと息子がいたことさえ、
分からなくなってしまう。
妻が一緒に笑ったり悲しんだりしてくれるから、
息子は二人の間に、そこに存在してくれる。
息子が初めて家に帰って来てくれたのは、
天国に行ってから。
息子を初めて抱きしめたのも、
お風呂に入れてあげたのも、
3人で一緒に寝たのも、
みんなみんな、息子が天国に行ってから。
初めての3人での夜のドライブ、
妻は息子を抱きしめて、鼻歌を歌いながら、
自分に嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
本当に、嬉しかったんだと思う。
本当に、
本当に、待ち望んでいたんだよ。
今でもあの場面が、
妻の笑顔が、
忘れられない。
自分はあの時は泣いていた。
妻の笑顔に胸が苦しくて痛くて。
可哀想で。
息子が天国に行っていても、
一緒にドライブに行けたと、
嬉しそうな妻の姿が、
愛しくて可哀想で、堪らなかったから…。
どうしてママにしてあげれなかったんだろう。
ごめんね…。
もっと早く不妊治療をしていたら…、
今も息子はそこにいてくれて、
妻はママとして笑えていたのだろうか。
そんな自分は、
息子のことをまだ、
ゆっくり悲しむことすら出来ていない。
すぐに妻の再発予防の治療が始まったから。
妻を励ましながら、
一人でたまに泣いて、
また妻を励まして。
ある日、息子と同じ身長と同じ体重の、
メモリアルベアを取り寄せてみた。
悲しみが少しでも癒えるだろうか。
抱いてあげれなかった息子。
この子を抱いて想うことで、
幸せにしてあげれなかった息子を、
思い出してあげたかった。
これが息子の重さかと思うと、
自然と涙が出た。
それから、喋ってくれる哺乳瓶のおもちゃを、
傍に置いた。
ボタンを押すと、
「ゴクゴク、ゴクゴク、ゴクゴク、ママ~」
と喋ってくれる。
子供の喜ぶ声を聞けなかった私達にとっては、
これだけのことでも、
何だか嬉しかった。
でも、今は、
自分一人で聞いては、ただ悲しくなるだけ。
もし、妻がこのまま帰ってこなかったら、
自分は息子の写真を、
一体どう見るのだろう。
妻の病気を見つけてくれて、
先に天国に旅立ってしまった。
最愛の息子。
リトルヒーロー。
また、ママを助けてくれるかな…?
お前を助けられなかった、
パパのことを怒ってる…?
幸せにしてあげたかったよ…。
誰よりも。
新しい家の庭を眺めていると、
キャッキャッとはしゃぐ息子を想像する。
本当はそこで、
一緒に走るはずだったのにね。
向こうで生まれ変わって、
幸せになるんだよ。
大好きだよ。