昨日、一つの区切りをつげることになった。高齢の4人で、月・1程度で麻雀をして来た。この集まりを終わることにした。Tさんが90歳になり、区切りをつげるタイミングと判断し合意した。42年間の麻雀仲間として続いてきただけに淋しさを感じるが、適切な判断ではないか。始めがあれば終わりがあるのが人間だ。
近年、若者と高齢者の間で麻雀の人気が再燃していると聞く。麻雀が部活動になっている学校があるとも。昭和の不健康な麻雀から、高齢者の交流健康麻雀と若者のクリーンな知的エンタメとしての麻雀に変化しているようだ。麻雀が脳の活性化とコミュニケーションツールとして、再評価されてきている。麻雀が「ノーレート」のゲームとして定着しているのが現状だと。私のような昭和世代は、レートとしての麻雀であった。人間関係のコミュニケーションツールであったことも事実である。私にとっては、人間関係の潤滑油的要素が強かった。
私たち4人は、三島南高校で勤務した教員仲間だ。教員の世界の中で麻雀が盛んな時代であった。私が三島南高校へ赴任したのが昭和57(1982)年だった。2年後との記憶だが、9歳年下のY君(地理)が転任してきた。最年長のTさん(商業)と5歳年上のTさん(国語)の4人+2人で麻雀をするようになった。三島の雀荘やT宅が主な場所だった。忘年会の二次会では、徹夜麻雀が普通だった。温泉に行っても温泉に入っていなかった。
平成になってから、「六遊(りくゆう)会」を発足した。年度末に韮山の民宿(一句石)を定宿にして、6人で麻雀をする会だ。4人プラスMさん(体育)とHさん(商業)の6人がメンバーだ。この会は20年を越えたが、Mさんの死去により解散した。Mさんの早死には残念な気持ちでしかない。彼は長い間高校野球に携わってきた。受け継いで野球部の監督をした後輩のN君(商業)は、校長になり静岡県高野連の会長を務めたと聞いた。
その後、4人での麻雀が続いたが、Tさんが歩道の階段から落ち生死にかかわる大怪我をしたことを知った。本人から12年前のことだと聞いている。5年間の休止の後に、復活することになった。幹事のY君は、非常勤講師として勤務している。彼は今年70歳になり、来年度で退職するとのことだ。5歳年上のTさんも体力的に厳しくなっている。
この7年間、朝9時から夕方の5時を目途に半荘6回の麻雀をして来た。私自身も疲れを感じていたことは確かだ。年齢による身体の衰えは避けることはできないが、楽しみの一つとして継続してきた。幹事からの連絡で、今回は12時からの開催になった。半荘4回の後に、今後のことを話し合った。「今回で終わろう」との結論になった。
ラインメールで、幹事のY君に「長い間お疲れさまでした。ありがとうございました」と送った。彼から「こちらこそ、いままでありがとうございました。雀荘フジから始まって、T宅、一句石、T・Y宅と42年間にわたり、何度麻雀をやったことか」と返信があった。
今後のお互いの健康を願っている。<仲間との別れの寂しさ感じおり友の健康を願うばかり>