高市政権になってからの「数の力」による政権運営に、民主主義の危機感を抱いている。

 戦後の日本は、「平和と民主主義」を守るべき日本国憲法を制定した。言うまでもないが、憲法は権力者が守るべき最高の法規であり、国民の権利を保障している。一方、法律は国民が守るべき義務の法規である。憲法の三大原則は、「基本的人権の尊重・国民主権・平和主義」である。憲法九条は、「戦争の放棄」を明記している。この解釈は長い間議論されてきたが、現在では、個別的自衛権を否定しないとの解釈が容認されている。2015年の安保改正法案において、限定的集団的自衛権を認める法改正をした。私自身は、個別的自衛権の範囲を越えるべきではないとの考え方であり、自衛隊の存在を認めている。憲法を改正して自衛隊を明記する必要性を感じない。被爆国である日本は、非核三原則を厳守すべきである。殺傷能力のある武器輸出の解禁には懸念を抱いている。ともかく、日本を戦争できる国にしてはならない。近隣諸国に軍事的脅威を与えることは、平和を脅かす危険性がある。

 人間が人間らしく生きる社会、個人の幸福と平和な社会を地道に追及することが、戦後の民主主義の在り方ではないか。国家のために国民が存在するのではない事を認識すべきだ。

 人類史上、「覇権」や「組織的な権力闘争」は、文明と都市の誕生によって成立したと考えられている。日本の歴史において、1万年以上にわたる「縄文時代」は、小規模な衝突はあったが、大きな争い(戦争)がなかったと言われる。平和な時代が1万年以上続いたことに驚きを感じている。縄文人は、気候変動や環境の変化に柔軟に適応しながら、道具、居住形態、社会システムを高度に発展させていた。縄文時代の大きな特徴は、1万年以上大きな戦乱がなく平和な時代が続いたとされる点にある。そのため、他者を支配したり富を過剰に蓄えたりするのではなく、自然の恵みを分かち合い、自らの意志で技術と欲望をコントロールする調和を重んじる「足るを知る心」や「友愛の心」が精神的な基盤にあったと考えられている。

 我々現代人は、平和を考える上で、縄文人から精神的な側面を学ぶ必要があるのではないか。人間の物質的な欲望を内省的に抑制し、自利と利他の心のバランスの必要性を感じる。