新聞掲載の「義妹」の事 | まさまさのブログ

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9年間の闘病生活を送り9年前に亡くなった娘のことを何かの形で残して置きたく始めました!
今は高齢になり私の毎日の生活がほとんどになりましたが今まで生きて来た経験からコメントさせていただいています。ピンクリボンも続けています。よろしくお願いいたします。

今日は節分でした。

豆まきは住みましたか?

 

今夕の食事は鰯、恵方巻(東北東を向いて)お蕎麦を

頂きました。

お蕎麦は昔の方は立春の前は大晦日に当たり

年越しそばを食べたと聞いています。

鬼は鰯の臭いが嫌いで、柊は痛いから寄り付かないからと

言うはれています。

邪気を払えて元気な1年になることを願っています・

 

 

先日インスタグラムに新聞記事を掲載しました。

「義妹」の事を載せたら100人の方が見て下さり

驚きました。

やはり乳がんについて興味があることを知りました。

時間がある方はそのまま書きますので読んで見てください。

 

夫と10歳違いの義妹が昨年7月に亡くなった。

73歳だった。

それまで元気そうだったから突然の死に愕然とした。

明るく話し上手だった。

私はとても仲良くしており残念でならない。

義妹は20年前乳がんにかかり手術をした。

直後は落ち込んでいたが段々と元気になった。

毎日1万歩も歩けるようになった。

ところが昨年に入り突然立ち上がれなくなり病院に

入院した。

腰椎骨折を起こしていることが分った。

以前罹った乳がんが腰椎に転移したようだった。

病状の悪化で肺に水がたまりひどい痛みを訴えていた。

新型コロナウイルス禍で面会に行けなかった私に彼女は

メールで「生きるって、辛いね」と漏らしていた。

私は乳がんの早期発見、早期治療を啓発する

ピンクリボン活動をしている。それだけに彼女へ乳がの

怖さをもっと話しておけばと悔やんだ。

それまでの8年間民生委員として高齢者の家を回り信頼されていた。

我が家にもちょくちょく顔を見せていた。今でも

「お姉さん来たよ」と玄関を開けて入ってくるような

気がする。