本能寺の変の真実を霊視に関するコメント相談 光秀、家康、天海の伝える言霊とは
明智光秀、本能寺の変、天海伝説の真相を霊視シリーズのコメントで、ある歴史的な人物のエネルギーイメージが入っている相談がありましたので、その事について霊視返答したいと思います。
(コメント相談です)
私はまるっきり歴史にうとくて、この説も全く知らなかったんですが、私の上司は歴史好きが多く最近この説を耳にしたばかりでした。ありがとうございます。私にとってタイムリーな、このゴルさんの霊視を上司に伝えていたところ、一つ疑問があるそうなのです。秀吉の「悪巧み」が本能寺の変ならば(簡単な言葉で表現してすみません)どうして徳川時代に移った後に、だれもその点を「実はね・・・」と
語り告がれなかったのでしょうか?誰かしらはいて、歴史書に残っていいてもいいのじゃないかか?と。どの時代にも「噂好きのおしゃべりさんは」居ると思うんですが「秀吉の悪巧み」は薄っすらでも語り継がれなかったのでしょうか?徳川から漏れたりしなかったのでしょうか?非常に硬いガードがあったんですかね?
ぜひこの疑問の霊視もお願いできれば非常に嬉しいです。
(コメント相談より)
実は私も歴史は全く詳しくなく、霊視相談を受けての本能寺の変?光秀天海説?でしたので、この上司の方の質問はとても興味深いと私も思います。ゴルさんの霊視自体が信憑性に欠けるというのが一番の問題でもあると思いますが(汗)普通に考えたら、私の霊視的な本能寺の変の真相を知っているはずの天海と家康、そしてその方々に関連した方々が何故に、自分たちの手で江戸幕府と言う天下を取った後に、明智光秀の濡れ衣や汚名返上をしなかったのか?
本当に興味深い疑問であると思います。
ではその真相について霊視的なイメージを通じてそのまま聞いてみたいと思います。
光秀さんのイメージは
「天下取りとは、過去の肩書きや過去の栄誉栄光という過去の記憶を振りかざして我が身を守り固めるものではない。戦国の世とは元々何一つない輩が集って一つの国となし、天が選びし天下人なる勇者によって天の導きべく時代へと歩むもの。我が拙(つたな)き人生を、未来永劫とせしめる時、その未来へもまた我がやり残した拙(つたな)き瞬間が繰り返されるもの。我が身はあの日あのとき我が身の意志によって、この世(3次元)の骸(むくろ)となし。我が不変の魂のみがその心を若者の魂に伝えたもの。我が不変の魂の伝えし心。それは我れが骸となっても成し得なかった夢、仏の世界なり。我が骸(身体)の言葉を借りるならば、未来永劫の尊き命の尊厳。平和なり。人は鬼畜にあらず。子は親をしたい、親はこのために生をなす。一つの小さき囲炉裏を囲み、家族をなす。
そんな小さきこの世に生れし人としての温もりを誰が奪う必要があろうものか。天下人(信長、秀吉)たりとも、決していかように(我が都合で)出来るものでもない。天の記すべき道も、そして天の示すべき導きもそこにあらぬ事を知るべき事。」とイメージは伝えて来ます。(今回は気合いを入れて深く入って霊視してみました。)
あくまでも私の霊視的な通訳ではですが
光秀さんは
「何の力もなかった私を天は信長様に導いてくれた。信長はすべての事が可能に出来る天から選ばれし人物。」
と言っています。しかし、信長の世界には光秀の望む心の世界はなかったようです。光秀の天下統一とは、食べ物もない貧乏な農民が、温かい囲炉裏を囲み、子供と家族が笑って団らんするそんな温かい世界。何もなくてもいい。そこに心を囲む瞬間があれば。そんな瞬間を大切にする尊き一つ一つの命を守る事。平和な世こそが我が望むべし贅沢なり。すべて光秀の心を通訳したものです。光秀が仏の世界に目覚めたのは、武士としての世界には限界がある事を知ったからのようです。本能寺の変と言う武士の都合的な策略は、光秀にとってはどうでもいい事だったようです。本能寺の変以降の汚名返上や濡れ衣を果たす事自体が、更なる罪なき命を奪う事に繋がる事を、武士の世界に限界を感じ、仏の世界を理想として居た光秀は経験として知っていたようです。
では、光秀の意志を引き継いだ天海はどう考えて居たのでしょうか?
「我が恩師光秀公の意志に沿って我が人生の成り行きを決める事。我が人生のせせらぎと言える安住の地がそこにあるならば、天の意向にその身を委ねるものなり。我が武士としての輩(やから)はその地に捨て我が記憶も天海の門を叩きべし時に輩(やから)と一緒に天に葬りし。ただ生涯一度だけ、3つの杯を交わす時のみぞ、我が血肉として天より許しを得たものなり。恩師光秀公の手紙のみ未来へ許されるべき記憶なり。」そんなイメージを伝えて来ます。
私の通訳ではですが
天海の意志は絶対だったようです。少しの感情も少しの後悔も残さずに天海の門を叩き光秀の意志とも言える
「平和の世」のためにその生涯をまっとうしたようです。一度だけ、3つの杯を持って、「生涯のたった一時の我がまま」と、天海としてではなく、一つの命を持って生れた自分を振り返ったようです。
天海曰く
「天の意向がそこにあるならば、いつかは雲の間から光が差す事もあるであろう。我は天海(光秀の意志を継ぐもの)。天でもなく人でもない。天の意向がそこにあるならば過去の時間(光秀の濡れ衣)を未来に繋げる事こそ戦乱の世と変らぬ儚き事けり。」光秀も天海も揺るぎない心を持って、尊き命の安住の地、平和の世を望んで居たようです。
では家康はどうだったのでしょうか?
家康はやはり光秀公の敵討ちを強く考え、光秀の濡れ衣や汚名を返上したかったようです。しかし本能寺の変から18年も経って、天下人となった家康がいざ光秀の汚名返上を行った時に、どれだけの命がその代償となるのでしょうか?
家康曰く
「我が恩師光秀公の亡骸を我がすべての財を成し得ても弔う(とむらう)事を出来ぬ悲しみは、民、民衆の心となって未来への永劫の力としてお返しする事をお許しくだされ。民や民衆、そして家族となる命と引き換えにではなく
心る温情を持って、我が魂と一緒に葬る事をお許しくだされ。」というイメージを伝えて来ます。家康は、本能寺の変の首謀者の家族を、それなりの地に置く事で、それぞれの先祖の怨念の弔いとしたようです。そして家康は家康として好んだ地に、ある光秀に繋がる思い出(記し)なるものを歴史の記憶として置いているようです。
光秀、天海、そして家康の心は戦乱の世の繰り返しとなろうであろう心の欲(損得)よりも命の絆ありし所に、真の平和の世を築きあげたようです。どんな小さな命のカケラでも、この世にいでし魂のカケラに一つの意味を持つ事を3つの魂はその生涯を通じて強く伝えて来ます。
最後に
コメント相談への質問の意味は、今を生きるそれぞれが感じて、というイメージを伝えて来ます。
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