衆議院議員 西田 薫 ブログ -139ページ目

卒業生の皆さんへ

この度の卒業、おめでとう。

また、お騒がせしてごめんなさい。


今回の僕のブログに対して、

原因は僕にあるにせよ、

方向が変わってきています。


僕に対するご意見は覚悟していますが、

このやり取りを見ている卒業生の皆さんを

結果的には、一番傷つけてしまっています。

本当にごめんなさい。





また、コメントを頂いている皆さんへ


ご意見は拝見させて頂いています。

その中の一つ、

新しくテーマを立ち上げてコメント拒否にしたらとの

ご意見がいいのではと自分では思い、

このテーマだけはコメント拒否設定にさせて頂きます。


取り急ぎ、お詫びとお祝いだけを新しいテーマで立ち上げました。

次の更新のテーマからはまたコメントを受けつける設定に

しますのでどうぞご理解ください。



残念な卒業式

本日10時より、私の母校でもあった(統廃合で名前間変わっていますが)
地元の高校の卒業式でした。



冒頭の国歌斉唱の際、不起立教員がいました。
生徒たちの前で、それも一番前の席で。



式の始まる前、校長先生に
「先日、他校で不起立の件が報道されていましたが、
まさか本日はそんな事はないでしょうね~」っと
会場に入る前に歩きながら話をしていました。


驚くことに校長曰く
「分かりません。 職務命令は出しましたが。」とのご回答…。


びっくりしました。「分かりません」って?
まるで他人事のように。





警察組織だったらどうでしょう。


凶悪犯が立てこもっている。
現場を指揮する上官に、部下は突入してもらえますか?との問いに
「分かりません」って答えるでしょうか?

校長って何なんでしょう。

長々と立派なご挨拶をされていました。

しかし、それを生徒たちにいう前に、
ご自身の学校の教員にしっかりと伝えてほしいです。


式典の中、来賓紹介として一番最初にご紹介頂きました。
いつもなら「卒業生の皆さん、卒業おめでとう~」っと
大きな声で一言話しますが、
本日は
「皆さん、ごめんなさい」。
「社会の常識、社会のルールを教えるのも学校なのに、
そのルールうを守れない教員がいることをお詫びします。
ほんとうにごめんなさい。」と…。


こんな挨拶したのは初めてです。




その呆れた不起立教員は、卒業証書授与の間も
横のクラス担任の教員とペチャクチャペチャクチャと笑いながら話してました。

座り続けた事に勝ち誇っていたのでしょうか…?

私は、ただただ純真無垢な子ども達に、お詫びの気持ちでいっぱいでした。
申し訳ない気持ちで、笑うことも出来ませんでした。
このような不謹慎で偏った思想を持った教員に、触れさせていたことに。
それも公教育の場に於いて。



教育の正常化、急務に取り組まなければと改めて思いました。


後援会日帰り旅行会

週末は府政報告を兼ねた後援会日帰り旅行会でした。


多くの皆さんにご参加いただき、感激と感謝しています。

ありがとうございました。



議員となって九年が過ぎようとしますが、

今回、初めての旅行会でした。



定員400名の予定でしたが、当初は不安で不安で…。



結果、バス13台、約650名の皆さんと、鳥取に行ってきました!



僕は砂丘をほとんど見る時間がなく、

でも皆さん楽しんで頂いたようで、事故・ケガなく

帰れたのが何よりです。



西田 薫のブログ

一番奥までいっぱいで壮大でした。

ただ、それでも入りきれず、結局、三会場に分かれてしまいました。




昼食会場では、あまり長々話しはするなよ~!っと

事前の役員会やバスの責任者会議で散々言われておりましたので、

珍しく、後援会長もいつもは長~い挨拶のところ

今回は驚くほど短かったです。


そのあとは、駆けつけて頂いた市長、そして市議会の先生より

ご挨拶を頂き、さあ、私の出番!

(スピーチを短くしないといけない)




司会をして頂いてた後援会役員会議長より

私を紹介。



「それではお待たせしました~。

西田薫よりご挨拶を致しますが、

どうぞ皆さん、食事はそのまま続けてください。



ちなみに食事はどうですか~?

充分ありますか~?

なんなり云ってくださいね~!


それではみなさん存分に食事を楽しんでください。

本日はありがとうございました~!」



っと…。



あれ…?

私の出番がない…。



私の横顔を見て、ようやく議長も気づき…。

「あっ、ごめん、ごめん。忘れてた。ではどうぞ~!」っと…。



事前の役員会であまり長くはスピーチするなと

云われていましたが、こんな形で省略されるかとは…、

っと話しはじめ、会場は大盛り上がり。

結果、あまり長くはお話しできませんでした。



各テーブルを廻らせて頂き、でも、皆さん全員には

ご挨拶できませんでした。



会場の関係で、これ以上増やすことが出来なくて、

多くの皆さんにお断りもさせていただいた事、

お詫び申し上げます。


また企画したいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。





本会議代表質問

今日から本会議は一般質問ですが、

昨日までは、各会派の代表質問でした。


悔しい事でしたが、自民党の質問はよかったと思います。


ただ、合わせて、それを維新の会の一部の議員が

よかったと評価してました。

その事が、手前味噌になりますが、

素晴らしい事だったと思っています。


人はとかく弱いものです。

また批判や否定は誰にでも出来ることです。


大きな組織にいると、例えば相手を批判することで

自らの組織の一致団結を図るということもあります。

(中国や韓国のように日本という仮想敵国を作るといった。)


また、その組織内に於いては、他を攻撃的に攻める事で

自らの存在をアピールしようという事も出来ます。


自分たちはすべて正しく、相手側は全て悪い。

というような胆略的な考えではなく、

たとえ敵方であっても、いいものはいい、

身内であっても、悪いものは悪いといえる

しっかりとした冷静な判断力が必要です。




とかく政治の世界は、常に対立しています。

批判することによって自らを正当化しようとする事が多い中、

昨日話していた維新の議員仲間は、

冷静に判断していました!


議会では過半数を頂いています。

だからこそ、より大きな心で対応しないといけないと思います。



いや~、いい仲間がいますよ!



死刑確定

山口県光市母子殺人事件、

以前、使っていたブログに、確か投稿していたと思い

久しぶりに読んでいました。



http://blogs.yahoo.co.jp/go2183west/archive/2008/04/20





そして判決の出た二日後の投稿です。

http://blogs.yahoo.co.jp/go2183west/archive/2008/04/22




あれから四年が過ぎていました…。


死刑が確定したものの、晴れやかな気持ちにはなれません…。

複雑です。

久しぶりの再会。

先週は久しぶりの友人との再会でした。

東京で生活していた時の大親友でした。

ともに参議院議員秘書として永田町に勤務していた仲間でした。


今は、福岡で地方議員をしていて、

今回は大阪に視察と云う事で、夜の自由時間に

食事に行きました。


六年ぶりぐらいでしたが、いい意味で全然変わってなくて

大いに盛り上がりました。



昔の彼は、秘書会の旅行会でも、カバンも持たず、

コンビニの袋に下着を入れて持ってきた時もありました。

いいカバンを持ってチャラチャラしたくないんですって

豪快に笑いながら語ってました。

まさしく九州男児で、漫画の男一匹ガキ大将の主人公のような男でした!



僕も十年間、永田町で過ごし、選挙に出る為に大阪へ帰るその前に

師匠の地元でもある福岡にも一週間挨拶回りに行き、

その最後の夜は、一足先に秘書を辞め地元に戻っていた彼と

語り明かそうと約束していました。

もう一人、友人を交え北九州の若松で食事をしての別れ際、

「西田さん、もう一軒付きあってもらっていいですか~」と、

切り出され車に乗り込みました。

北九州のクラブにでも行くのかな~って思っていたところ、

高速に乗りはじめ、そのうち、僕はウトウトと…。

フっと目を覚ますと、周りは真っ暗…。


「西田さん着きましたよ!」

時計を見ると夜中の二時。

「どこ?」と聞くと

「明治維新の始まった地です!」と…。


山口県長府の功山寺でした。

彼は続けざまに、

「雪が深々と積もるこの境内に続く階段を

高杉新作率いる80数名で駆け上り、三条実美に

今から維新を起こしますと挨拶に行き、

そこから維新が始まったんですよ~」と

半分寝ぼけてた僕に、熱く語ってくれました!


翌日には地元守口に帰り、守口市議会議員選挙への

準備を始めるところでしたが、

彼は

「明日から地元守口ですよね。」守口市政の大改革、

維新を起こしてください」と。

「福岡最後の日に、どうしても案内したかったんです」。


いっぺんに目が覚め、その言葉を噛みしめ、

ゆっくりと二人で階段を上りました。

ちょうどそれが、今から九年前の事でした。



事あるごとにその言葉を思い出していましたが、

先週はその話でも随分盛り上がりました。


今、維新と名の付く政治団体に属していますが、

彼との久しぶりの再会に、もう一度その初心を

忘れまいと、心新たに、また熱く語り明かしました。




幕末、明治維新と、その時代は多くの若者が

それこそ、命がけで日本の夜明けを信じ

全国を駆け巡っていました。


この国をどうしたいか、まさしく国家観です。

大切だと思います。


ほんと、いい刺激になりました。ありがとう!





祝日は大忙し。

前回の更新より、一週間経ってしまいました…。


先週の土曜日の建国記念日はバタバタの一日でした。

結局は全部こなせなくて…。


朝は、毎年恒例の建国祭が守口市内の神社で行われました。


二年前は雪でした。

「天皇陛下を政治利用し、外国人参政権・夫婦別姓を容認する

政権が誕生し、まるで日本の神々がお嘆きになっているようです」との

ご挨拶をさせて頂きましたが、

今回は、まるで政権交代を待ち望んでいるような晴天でした。



そのあとは、お世話になっている保育園の先生の

叙勲のパーティーで大阪市内に。

そののち、元スタッフくんの結婚式で神戸に。



叙勲のバーティーもとてもよかったです。

会場に入場される先生のBGMが美空ひばりさんの「人生一路」。

僕の大好きな曲です。

同級生のお母ちゃんがやっている居酒屋で、よくそのお母ちゃんに

リクエストして歌ってもらっている歌です。

余談ですが、またそのお母ちゃんがうまい!!

美空ひばりさんに匹敵するほどお上手な方です。


その曲での入場行進で、いきなり感動していました。

その先生はいつもにこやかで非常に温厚なお方です。

しかし信念は曲げず、しっかりされた内面をお持ちの素晴らしい先生です。

本当におめでとうございました。



また元スタッフくんの結婚式も感動を頂きました。

若人のテーブルにご一緒させて頂きました。

彼は、学生時代からアメフトをしており、今も仕事の傍ら

大学でアメフトの指導もしています。

その仲間のビデオメッセージがまたハチャメチャ…。

滑りまくっていましたが、新郎は大笑いしていましたのでよかったかも。



さらにそのあとはまた市内で会合が…。




今月からは各種団体の総会が続いています。

昨夜も、また週末も。



事務所では相変わらず旅行会の準備で大慌てです。

何とか無事に決行できますように。





心機一転

先日、成人式以来更新してないですね…とのご指摘を受け、

今年はマメに更新しようと思いきや、またまた反省です…。

心機一転誓ったのにな~。



さてこの間も、いろいろな事がありました。


先月、後輩が亡くなりました。

昨年末に、ブルーリボン(拉致被害者救う会のバッチ)を買いたいので

申し込んでください!と婚約者の方と事務所に来て

とりあえずは僕のバッチを渡したところ、非常に喜んでくれていました。

亡くなったとの訃報をその婚約者の方から受けまして

すぐに駆けつけました。

納棺にも立ち会わせて頂きました。

「彼は西田さんのこのバッチを嬉しそうにいつも持っていましたよ」と

泣きながら報告を受け、涙が止まりませんでした。

足が少し不自由でしたが、きっと天国では元気に走り廻っていると思います。


また、先週の二月一日は小・中学校時代の同級生の三回忌でした。

一人でお墓参りに行ったところ、多くの花が添えられていました。

同級生達がお参りに行っていたのだと思います。

豪快に振舞いながらも気のきくやさいい男でした。




一方で、嬉しい事もありました。

先週、維新の会の一期生の議員さんの結婚式がありました。

議員さんの結婚式って、昔はあまりなかったと思います。

といのも、議員と云えばそこそこ年齢を重ねている人が多かったですが

今は違いますね。特に府議会では若い人が多いです。

独身者も結構いますよ。


また今週末には、学生時代から事務所を手伝ってくれていた子の

結婚式です。

大学の中で行われます。

先日、婚約者の方も一緒に、三人で食事をしました。

結婚式、楽しみにしています。



また来月は、初めての後援会バス旅行会です。

鳥取に日帰りで行って来ます。

連日、役員さんが打ち合わせでバタバタして頂いてます。




いよいよ今月下旬からは二月議会です。

予算審議の大切な議会です。

またバタバタしますが、こまめに更新をしていきたいと思います。




成人式に思う事

週末は各団体の新年会のハシゴでした。

また、無事に?成人式も行われました。


ただ成人式では、残念ながら騒がしく、市長や議長のご挨拶の時には

ザワザワとしていたのが非常に残念でした…。


最前列には中学校の校長先生やら、会場の端には

市の教育委員会の人達がいましたが、

この状況を見てどう思われたのでしょうか。


もちろん学校教育だけに責任があるのではなく、

家庭教育も考えなければいけませんが、

人の話を聞くという、当たり前の行動すらしっかりと出来て

いない現状に、教育の課題も多くあると思います。



昨年、中学校の運動会で、開会式前の整列の時、先生曰く

「早く並んでくださ~い」

「しっかり走って整列してくださ~い」と叫んでいました。

まだ私のころは、先生は

「早く並べ!」

「走れ!早く整列しろ!」でした。

先生も生徒も皆、平等…。

叱る事もせず、礼儀も教わっていないからでしょうか…。




以前のブログにも書いた事がありますが、

同期の議員さんよりある本を紹介頂きました。


「あなたの夢は何ですか?私の夢は大人になるまで生きる事です。」


貧しい地域や紛争地域の写真を撮り、

そしてメッセージを添えているような本です。


マニラ郊外、ゴミの山、通称スモーキーマウンテン

(中でゴミが醗酵して煙が出ている為)に子どもたちが登り

金属片を捜しているようです。

それをお金に換え、両親や家族への食費に当ててるようです。

靴も買う事が出来ず、裸足の為、足をけがして破傷風等の

病気にかかってしまう子ども達も多いようです。


カメラマンはその山に登る10歳の女の子に上記題名である

「あなたの夢は何ですか?」との質問をしたようです。

するとその少女は

「私の夢は大人になるまで生きる事です」と答えたといいます。

多くの子ども達が病気で亡くなってしまうのです。


日本では、小学校の子ども達に夢を聞くと、たいがいは

職業的な夢を答えると思います。

野球選手、サッカー選手、ケーキ屋さん、花屋さん等々。


成人式を迎えれるかどうかの心配をしている子ども達は

ほとんどいません。

震災や病気という事も確かにありますが、当たり前のように

成人式を迎えられるこの現状に、感謝をし、

また世界のそういう環境に置かれて今なお生活している

子ども達の為にも、しっかりと歩んでもらいたいし、

してもらいたい。


こんなにも平和で裕福な国にも関わらす、そのありがたさも理解できていない。

国際社会を知らないのか…、

自虐史観ばかりで自国に誇りを持てていないのか…。



「私の夢は、将来、お父さんお母さんを楽にさせたい」

貧しいながらもそう云っていた、古き良き日本はありました。




教育の大切さを改めて実感した成人式でした。






本年もよろしくお願いします。

遅くなりましたが、あらためて新年おめでとうございます。


昨年は激動の一年でした。

東日本の大震災が発災し、その二週間後には私の二期目の選挙。

そのあとには市議会議員の選挙があり、

また、前市長が緊急入院され、七月にご逝去。

その五日後に守口市長選挙。

さらに11月27日には府知事、大阪市長のW選挙。


いろいろな事に悩み、そして決断をした一年でした。



これからが本番です。


大阪の大改革に向け、取り組んでまいりたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。





さて、水曜日(1月4日)の毎日新聞の朝刊。


3.11後の選択 幸せのかたち という欄に

「永田町」から石巻に戻った 秘書

という記事がありました。


私が以前、永田町で勤務していた時のまさしく事務所の先輩秘書です。

写真も掲載されていて、ヘルメットに作業着姿の先輩は

秘書当時とは全く違うお姿でした。

同じ事務所で勤務する以前の先輩は、大臣経験のある

経世会(竹下派)でも重鎮の代議士の先生の事務所におられました。

その先生が引退されて、私が勤めていた事務所に来られました。

私が秘書を退職するまでの九年間、ご指導頂いた人でした。

永田町に27年。中央官庁には多くの人脈を持っておられました。



この震災で、ご実家は完全に流され、お父様もお母様も

亡くされました。

震災の時、先輩は永田町の議員会館だったそうですが、

その夜から地元に戻りご両親を捜す毎日だったようです。


「国民の命を守るのが政治のはずだった。その中心にいた

自分たちは、どれだけ備えをしてきたといえるのか。


故郷に戻り、復旧の最前線に立とう。」 (記事抜粋)




新聞掲載の日に、先輩からメールを頂いていました。

そして本日、電話をして、久しぶりにお話をしました。


ご子息も航空自衛隊に入隊されたそうで、

国家に尽くせ!とお話しされ、ご子息も決断されたそうです。

先輩、とてもお元気そうでした。



「幸せのかたち」



西田くん、久しぶりに会いたいな~って云われ

無性に先輩に会いに行きたくなりました。


近々、宮城に行って来ます!