全く忙しく日々を過ごしております。

6月に入ってからのカウントでも
数カ国をまたにかけて色々活動している日々。

ジュネーブへ友人の引っ越しを手伝いにいったら
成り行きでフランスにお住まいのご家族のお宅でお食事を頂いたり、
南ドイツはシュトゥットゥガルトへ
新しい友人と旧友に会いにいったり、
そんな6月の前半。

それだけでも週末にゆっくりしてない分
結構体力的にはきつい部分もあるけど、
実は6月後半はもっと大変。

この間の土曜日はバーゼルまで行って、
この先しばらく会えなくなっちゃうモニカちゃんとブラブラ。
日曜はロブ君とリギへ赴き丸丸一日ハイキング。

日焼けと筋肉痛でぐだぐだな中、
月曜は4時に起き5時に家を出て
スウェーデンはヨーテボリへ出張。
5カ国から5つの大学・研究所が寄り集まって
とあるプロジェクトについて
あーでもないこーでもないと議論するハードコアな二日間。
(これについては思うことがたくさんあるのでまた詳しく書こうかと。)

週の半ばは少しゆっくり出来て、
明日は朝から空港へ向かい
スペインはバルセロナへ飛びます。
これは金曜一日有給とって、週末からめての休暇。
会議でバルセロナに来ている旧友と共にの週末。

これから8月末にかけても
スイスを拠点に、
ドイツ、ベルギー、アメリカ、ドイツ、
日本、イタリア、スウェーデン、、、
と移動が既に立て込んでいて、
なんでまたこんなことになってしまったのと自問自答中です笑


実は、ちょっとした節目に今いて、
だからこそのこんな感じなんやけど、
楽しみつつ、緊張感も保ちつつ、
なにより気をつけて過ごそうと思います。


とりあえず、生存報告までに。

最後おまけに写真を。
スイス中央部のリギにて。
 
標準5時間かけて登る1400mの高低差を
3時間で登ってしまった後の天辺でのランチ。
ロブ君作のミートローフ、
僕作の根セロリのフライ、
鶏手羽元のグリル(一晩洋ナシ、ジンジャー、セージでマリネしたやつ)。
最高のピクニックでございました。
ご覧の通りの晴天で、
その後二人はひどい日焼けに今も苦しんでるけど笑

連日の悪天候の西ヨーロッパです。
チューリッヒも例外でなく天気最悪。

たまーに、思い出したように晴れるんですが、
でも過去3週間でまともに晴れた日は
多分1.5日分位しかないんじゃないかと。
最低気温も5℃以下の日もざらでね。

もうこのまま夏は来ないんじゃないかと。。。
週末はジュネーブにいたのですが、
ジュネーブはまだもう少し暖かかったなあ…。

――――――――――――――――――――――――

さて、
トルコでの暴動のニュースは
日本でもちらちらとは報道されているようです。
オリンピック誘致の話にすり替えられてて
違和感ありありではありますが。

イスタンブールのタクシム周辺にて
保守的な現政権に対する市民のデモ。

フェイスブック等々で
個人の声がこれまでになく聞こえやすい時代で、
一般的な報道機関では言及されない様な話も
届いていたりはします。

その中で一番危機意識をトルコ市民が感じているのは
政府は市民の声を無視し、
もみ消そうとしているのではないかという点だとか。
トルコ国内では暴動についての取材も報道もなく、
とても大事になっているのに
テレビをつけてもどうでも良いニュースばかりと。

それに危機感を感じて
ネットを通じて他国の人に現状を伝える人々。

もちろん内容は一般的なニュースには載らないものです。
国の警察が無実の国民に
放水銃や催涙ガスを至近距離で放って
傷つけている写真なんかもあってね。
自由と権利を守りたいだけの我々市民を
助けてほしい、支持してほしいと呼び掛ける。

そりゃ彼らに同調してこちらも憤りを感じます。


でもでも、
公認機関の報道に疑問を挟むと同じ次元で、
個人の発信する情報にも疑問は生じる訳で。

「それって本当なの?」ってね。


日本人の僕がこの両極端の情報に触れて
なにより最初に考えさせられるのは
政治的問題について国民が行動を起こす事そのもの。

もちろん暴力・破壊がその手段になるべきではないけど、
それでも表明したい意見があるということは、
なかなか日本では今の時代無いことですよね。

仮に日本でもそのような意見を表明場があったとしても
予定調和的なデモという形だったりして。

最初から議論の到達点を想定して上で
話しあいを持つ日本の文化を根っこにしたら
何かをきっかけに国民の意見が急に沸騰するということは
やはりあまりないでしょう。

もちろん2011年の大災害と
それに続く放射性物質の拡散の問題は
今もとても大事な問題やし、
とてもたくさんの人々が明日の日本を思って
根気強い活動をしていることは
想像しながらこれを書いてはいるのですが。

――――――――――――――――――――――――

ロバートと話していて
いつもなかなか折り合いのつかない話があります。

それは政治に参加する一市民の姿勢のあり方について。

近代以降大変複雑な歴史を持つドイツの人間の彼は、
政治的な事について意見があるならば
それは声をあげて表明すべきだと言います。
曖昧な気分で自分の意見を割りきらないと
周りに流されてしまうから。
周りの意見よりも何よりまず自分の意見が大事。

もちろんそれはそれで納得します。

でもやっぱり日本的考えは違っていて、
周りの人々が何を考えているかを
そもそもの前提として
その上に自分の意見(思い)を乗せるといった感じですよね。
世論というものがそもそもあって
それを軸に自分の立場を決める。

こと日本人にとってこれってややもするネガティブにも聞こえるけど、
僕はこのシステムはとても良いシステムでもあると思っているのです。
だって、そもそもの軸さえ大きく狂わなきゃ
大変革は起きなくても堅実に社会を作れるから。


先日、ポーランドから帰ってきてしばらくたった頃、
ロブ君と僕がいつものごとく議論をしてたのですが、
僕は彼に対して
「西欧式の意思表明は、
 社会の世論が極端な方向に傾いた時に
 それのカウンターバランスが無くなり得るんじゃないの?
 例えばナチスドイツの犯した過ちもその一例ではないの?
 皆が一斉に強い意見を唱えてしまう場合のリスクがあるはずで、
 うちら一緒にポーランドでアウシュビッツに行って、見てきたよね。」
と意見。

そしたら彼は
「いや、民衆の大半が曖昧な意見しか持てていなかったからこそ
 ごく一部の少数が発言力をもってしまって
 あのような極端な方向に行った訳であって、
 決して一般市民の広い強い意志ではなかったんだよ。
 誰もあんな非人道的な行為を積極的には支持しないよ。
 我々ドイツ人はその経験があるからこそ
 今の時代ではむしろ意見を
 はっきり個人レベルで表明するようになったんだよ。」
と。
 
それを聞いて僕は目からウロコ。
確かにそうなのかもしれないとね。

例えばなんとなく社会不安のはびこる現代日本で、
ネット右翼の意見がやたらと強く聞こえたりする時、
なんとなくその感情に流されてしまいそうな危うさを
感じるのは多分僕だけじゃないと思うのです。
意見の多様性、言論の自由はもちろん損なわれてはいけないけど、
それは倫理的な規範が共有され守られている限りの話しで。


――――――――――――――――――――――――

さて、今回のトルコの暴動。

信頼できる情報なんていうものはそもそもないと
個人個人が分かってしまっている時代に
現場で声をからして傷ついている彼らから
どう自分が影響を受けるのか。

自分自身に今回言い聞かせるのは
「自分で考えろ」
という事。

あんまりにも当たり前かもしれないけど、
自分の興味が尽きない限り手に入れられるだけの情報を手に入れ、
それをその情報の信頼性から何からを吟味し、
自分の解釈を持つこと。
そしてそれを伝える必要があれば臆せず伝えること。
そしてそして人の言うことをに耳を傾けること。

そもそもの教養だとか、
好き嫌いだとか、
解釈をゆがめる可能性のある要素は
各個人がそれぞれに違う形で持っているけど、
それも含め各自の解釈であってね。
それぞれを尊重し合った
双方向のコミュニケーションが重要になると思うのです。

マスメディア対一般市民の一方通行の構図が
もはや崩れつつあるのは明白で、
その過渡期に個人個人がより個人の自覚を強め
個人の自由・権利をうたうのならば、
個人同士の対話のあり方を見つめ直す事が大事なような
そんな気持ちがするのですな。



自分の興味と解釈両方に責任を持って、
人との対話をしていくことが
無国籍人になりつつある自分に
自分で課すこれからの課題。

興味と解釈に責任をもつとは
人を無為に傷つけないということ。
Do No Harmっていう倫理の基本を忘れず。
時代と土地の文脈でHarmの定義が変わることも忘れず。ね。


 
この写真はアウシュビッツの線路。
負の遺産からこそ学ばなければなりません。
気持ちが落ち着かなくて、
どうにも更新が滞っていますね。
元気には過ごしているのですが。

この2週間は仕事もしつつ
ちょっと心境の整理もしつつ、
ちょっとウィーンに行ったりもしつつ、
6月と7月の各種移動のスケジュール組みもしつつ、
過ごしておりました。

ちなみに7月末まで各週末
目いっぱい予定が入っております。
これは大変。

予定の入ってる国をカウントしたら
スイス、ドイツ、スペイン、
再びドイツ、ベルギー、スウェーデン、アメリカ
とそんな移動の夏となります。

持つか自分?と疑問笑

そうそう、1か月前のワルシャワでの様子を
まりえちゃんがアップしてくれました。
どうぞご参照ください↓
写真いっぱいの素敵な記事ですねー

皆でご飯をした夜はロブ君と共に盛大に酔っぱらいまして、
写真にもそんな雰囲気が滲んでいるような笑
ちなみにこの夜初めましてでご一緒したゆかちゃんとは
今日チューリッヒでランチを一緒にしたり。
世界は小さくなる一方です。

前置きが既に長いですが、
去年の南半球への旅行の記録を続けますよ。
ここまでの歩みはこちら何かをご参照↓
マオリ遊び

――――――――――――――――――――――

2012年7月25日 夜(続き)

マオリの遊びを楽しんで、
この日の夕食の準備を見学した後は
ちょっとしたステージへ移動して
マオリ歌謡ショーとなりました。

とても伝統的な歌と舞踊から始まり大興奮。
やはり島で独特の文化の発展を遂げたためか、
他の文化と似て非なる要素がたくさんあって、
それが今も完全ではないのかもしれないけど
保存され継承されていることが素晴らしい。

ニュージーランドにいて感じたのは
マオリの伝統へ本当に大きなリスペクトがあること。
それが故にニュージーランドが大変好きになりました。

まあショーの後半は
西洋音楽ベースのポップな歌謡ショーとなって
なんだか苦笑してしまったりもしたけれどね笑
でも世界中の老若男女が集まるから
やっぱりそう言う分かりやすいものを入れてこその
サービスなのでしょうね。

 


さて、30分程のショーの後は、
ようやっとご飯でございます。
真冬の森の中、5℃程度の寒さの中のツアーやったから
暖かいご飯がありがたい。

皆で大きな食堂に移動してハンギのビュッフェでございます。

 

味付け自体は塩をしている程度で、
そこにグレイビーをかけていただきます。
地中の窯には木も一緒に入れて燻してもあって、
それでとてもスモーキーでもありつつ。

 

素朴な美味しさ。

食事も落ち着いたらしばらく自由にうろうろ歓談。
その間にマオリのスタッフと話したところ、
昔はやはり日常的に肉を口にしていた訳ではなく、
他の動物性のタンパク質(たとえば虫)を
ハンギにしていたんだとか。

ここまでの時間を過ごし驚いたのは、
入村からマオリ遊び、食事の準備、
ショー、その後の食事に至るまで
全部おんなじスタッフのメンバーが
その場その場で役割をかえて行ってたこと。
皆さん本当にプロフェッショナル。

みんなそれぞれにくつろいだ時間をすごし、
パーティの締めは皆で合唱(キャンプファイヤー的ノリね)。

そしてバスに分乗、帰途につきます。



で、終わりだと思うでしょ?

ところがどっこい。


帰りのバスまでサービス精神旺盛のマオリツアー。
運転手のおじさんが、
「ツアーの解散場所まで20分くらいあるからね。
 これからがほんとのパーティだよー!
 さあ誰か前に出てきて歌って。」
なんて言って。

最初は酋長にご指名。
(こちら 酋長指名の件 )
でもイギリス人の若者の酋長は
がんばったんやけどだいぶとスベッてしまって。
まあね、世界中の老若男女を前に
なにを歌えばいいかなんてそれは難しいよね、
なんて同情しつつ。

続いてドライバー。
「じゃあ次の人行こうか。
 なんかこのバスに
 スイスに住んでる日本人
 なんていう変わったのがいるらしいけど?
 ハイ、前出てー。」
と仰る。



どこでその情報を仕入れたのか、
全くもって疑問、
っていう以前にただ焦る僕。
だってイギリス酋長のスベる姿を見た直後やし。。。

でもここで嫌がって前に出るタイミングを外して
場を白けさせるのが一番NGということで、
3秒の逡巡の後颯爽と歩み出た僕。

でも何歌うさ?
と頭若干真っ白。

そこへドライバーがなナイス助け舟。
「日本ならスキヤキとか?」

ということで、
スキヤキこと上を向いて歩こうを
2コーラスノリノリで歌って参りました。

 

無事拍手も頂き、
結局なんだか楽しんでしまいましたとさ。
やっぱ関西人の血がね、濃いみたい。


そんな楽しいマオリツアー。
宿にもどってからおかみさんに
バスで歌いましたでー、スーパー楽しかったーって報告したら
「一般の日本の人は
 あのツアーの欧米的テンションにやられて
 皆ぐったり疲れて帰ってくるけど
 やっぱり外国で暮らしてる人は違いますね」
なんてお褒め(?)頂いたりね笑

と、そんな盛りだくさんのマオリナイト。
ロトルアへ行かれる際には是非。