高校で単位証明書を貰ってから、先ほど、郵便局に行って前期の分だけ出願を済ませてきました。
もちろん出願先は阪大法法。事実上、前期一本勝負に近いっすね。
(後期は正直言ってセンターが糞すぎてアテにならない。きっと満点取らないとダメなレベルだろう・・・。)
本当は後期もまとめて出願する予定だったのですが、先生が単位証明書を1つしか発行していなかったため、前期分しか出せませんでした。
なので、明日学校にもう一度貰いに行って、後期出願を完了させて、一段落・・・といった感じです。
過去問演習は、順調です。
英語は、今日は2001年度の問題をやりましたが、20分余りました。
個人的にこの年は全体的に簡単でした。
センター英語より時間余るってどういうことw
多分、自由英作文を終えるのが早すぎるんだと思います。
時間配分は、大問1が20分、大問2が25分、大問3が10分、大問4が15分って感じですからね。
大問4の和文英訳は確かに難しいんですけど、やっぱ京大の形式と似てるんで、そこはかなり慣れてます。
ただ、今やってるのは「時間内に終わる練習」です。答案の質とか全然気にかけてない。
なので、このペースで適当にやると、間違いなく目標点(8割)は超えません。
まぁ、阪大英語を時間内に終わるコツは結構つかめてきたので、あとは、8割をいかにして超えるか戦略を立てたいと思います。
大問1の和訳や大問2の和訳・説明問題などは、粗い解答だとあれよあれよと減点されてしまいますからね。
京大の演習してきましたから、和訳には自信があるんですが、それでも解答と自分のを見比べると、やっぱり精度が低いんですよね。
「8割超えるにはまだまだだなぁ~」と思い知らされます。
入試の世界ってのは厳しいもんで、「手ごたえは満点」でようやく8割ですからね。
あと、赤本とか25ヵ年、20ヵ年シリーズとかの和訳をボロカスに言ってる人多いですけど、個人的にはスッキリまとまってて良いと思うんですがねぇ・・・。
ただ、批判されがちなのは「日本語的に完璧でない」とか、「誤植が多い」とかですが、和訳そのものは「入試で点を確実に取れる訳」だと思います。
和文英訳なども「美しくない」と叩かれてますけど、僕的には受験生が書ける訳と、英語的に美しい訳とのバランスが上手く取れてると思います。
(正直著者は、もっと上手い訳を書こうと思えば書けるのでしょうが、わざと受験生に合わせてるように思えますね。)
明日高校に単位の証明書を貰ってきてそれを添えて郵便局に願書を出せば、正式に出願ということになります。
なので、予定としては明日から明後日にはもう出願も完了していることだと思います。
志望大学・学部は前の記事で書いた通りです。
で、現在は、
-英語-
・阪大英語20ヵ年1日1年分
・Z会直前演習
・単語・イディオム総復習
・長文問題集の復習(これからやる予定)
-数学-
・プラチカ一日20題
・Z会直前演習
-国語-
・得点奪取現代文1日1題
・得点奪取古文1日1題
・Z会直前演習
みたいな感じで1日の勉強をやっています。
見て分かるとおり、入試直前にしては、絶対量がまだまだ少ないです。
特に国語は、現代文は最低1日2題はやりたいところ。実際の入試と同じ量になるから。
いっつも「これから増やしてこう」「明日から増やそう」と思って、まだまだこの量以上を突破できてないのが現状・・・。
根本的な面で甘えが生じてしまっているので、相当な覚悟がいりますね・・・。
マジで明日から頑張ろう(殴
ただ、阪大英語については結構順調に行ってます。
かなり時間に厳しく演習をしていますので、大体全てを70~80分程度で解き終わるペースです。
やっぱりコツは「後半3番4番でどれだけ時間を短縮するか」ですね。
特に自由英作文なんてものは、まともに時間かけるようなもんでもない。
自由な論説なんて、良くしようと思えばいくらでも良くできますからね。
「どの辺で妥協するか」が大事になってきますね。
思うに、自由英作文っていうのは、中々不自由なものだと思うんですよね。
純粋な小論文は「日本語は出来て当たり前」っていう前提に採点されるから、内容や論理展開に集中できる。
対して、英語で書く小論文や作文などは、「英語」という科目の試験である以上、適切な英語表現が使われているかを第一に見なければならない。
そういうわけで、英語が完璧に使いこなされてるのにつけこんでまで内容にイチャモンをつけることは出来ない(よほど論理が破綻してない限り)ですし、逆に内容的に良くても英語がダメだったら減点しないといけない。
こういう制約があるがために、結局点数が取れるのは「内容的に当たり障りのない、無難な文章」になるわけです。
冒険をする作文は許されない。
僕はこのブログなんかでも、日本語で書くにしろ英語で書くにしろ、初めて使うような表現をあえて入れてみることに喜びを感じる人間なもんですから、こういう制度は結構辛い。
ただ、こういう制約自体に批判するわけではないですし、ある種仕方が無いと思います。
それに、英語や他の外国語の運用という観点に限って言えば、内容云々よりも、まずは正しい英語が書ける方が大事ですからね。
いくら頭の中でのイメージで完璧なスマッシュやパッシングショットが打てても、それを自分のラケットで適宜実践する術を持たなければ何の意味も無いのと同じことです。
元々説得力のある英文というのは、文法的に間違いが無い英文ですからね。
話し言葉というのは瞬間瞬間が大事ですから文法間違いを恐れず積極的に話すべきだと思うのですが、書き言葉においては文法ミスは恥とすべきであり、出来る限り間違いのない英文を書くべきである。
これが僕の英語を学ぶ上での持論ですね。この方針でいつも僕は勉強しています。
まぁ、いずれにせよ、英文を書くというのは、楽しいですけど、その分難しいことです。
なので、予定としては明日から明後日にはもう出願も完了していることだと思います。
志望大学・学部は前の記事で書いた通りです。
で、現在は、
-英語-
・阪大英語20ヵ年1日1年分
・Z会直前演習
・単語・イディオム総復習
・長文問題集の復習(これからやる予定)
-数学-
・プラチカ一日20題
・Z会直前演習
-国語-
・得点奪取現代文1日1題
・得点奪取古文1日1題
・Z会直前演習
みたいな感じで1日の勉強をやっています。
見て分かるとおり、入試直前にしては、絶対量がまだまだ少ないです。
特に国語は、現代文は最低1日2題はやりたいところ。実際の入試と同じ量になるから。
いっつも「これから増やしてこう」「明日から増やそう」と思って、まだまだこの量以上を突破できてないのが現状・・・。
根本的な面で甘えが生じてしまっているので、相当な覚悟がいりますね・・・。
マジで明日から頑張ろう(殴
ただ、阪大英語については結構順調に行ってます。
かなり時間に厳しく演習をしていますので、大体全てを70~80分程度で解き終わるペースです。
やっぱりコツは「後半3番4番でどれだけ時間を短縮するか」ですね。
特に自由英作文なんてものは、まともに時間かけるようなもんでもない。
自由な論説なんて、良くしようと思えばいくらでも良くできますからね。
「どの辺で妥協するか」が大事になってきますね。
思うに、自由英作文っていうのは、中々不自由なものだと思うんですよね。
純粋な小論文は「日本語は出来て当たり前」っていう前提に採点されるから、内容や論理展開に集中できる。
対して、英語で書く小論文や作文などは、「英語」という科目の試験である以上、適切な英語表現が使われているかを第一に見なければならない。
そういうわけで、英語が完璧に使いこなされてるのにつけこんでまで内容にイチャモンをつけることは出来ない(よほど論理が破綻してない限り)ですし、逆に内容的に良くても英語がダメだったら減点しないといけない。
こういう制約があるがために、結局点数が取れるのは「内容的に当たり障りのない、無難な文章」になるわけです。
冒険をする作文は許されない。
僕はこのブログなんかでも、日本語で書くにしろ英語で書くにしろ、初めて使うような表現をあえて入れてみることに喜びを感じる人間なもんですから、こういう制度は結構辛い。
ただ、こういう制約自体に批判するわけではないですし、ある種仕方が無いと思います。
それに、英語や他の外国語の運用という観点に限って言えば、内容云々よりも、まずは正しい英語が書ける方が大事ですからね。
いくら頭の中でのイメージで完璧なスマッシュやパッシングショットが打てても、それを自分のラケットで適宜実践する術を持たなければ何の意味も無いのと同じことです。
元々説得力のある英文というのは、文法的に間違いが無い英文ですからね。
話し言葉というのは瞬間瞬間が大事ですから文法間違いを恐れず積極的に話すべきだと思うのですが、書き言葉においては文法ミスは恥とすべきであり、出来る限り間違いのない英文を書くべきである。
これが僕の英語を学ぶ上での持論ですね。この方針でいつも僕は勉強しています。
まぁ、いずれにせよ、英文を書くというのは、楽しいですけど、その分難しいことです。
前期日程:大阪大学 法学部 法学科
後期日程:大阪大学 経済学部 経済・経営学科
以上に決定致しました。
もう願書も書き終え、受験料も払いましたので、あとは出願するだけです。
あれほど阪大経済と抜かしていた人間が何を血迷ったか、阪大法に出願することに。
正直言って法学も経済学もどっちも勉強したい。
千葉大みたいに「法経学部」なんてものがあれば最高なのにw
ただ、センター得点率を見ていただければ分かるんですが、阪大法学部の方が実質的なボーダーは低いです。
あと、得点率分布も去年の分布とはエライ違いで、僕のカスな得点率でも真ん中より上です。要するに、二次試験で60人ほど抜けば何とかなるということ。
まぁセンター程度で取れない人間が、60人なんてそう簡単に抜けるわけないですが、普通に考えて阪大法の二次試験で二桁に入れるほどの実力が無ければ、多分阪大経済でもB配点で取ってくれないだろうし。
実質的に法でも経済でもどっちの試験でも厳しい情勢に立たされているということは変わらないですね。
二次で勝てば官軍、負ければ・・・ってことです。
まぁ、ハタから見れば「無謀な受験」ですが、俺は絶対成功させてやるぜ!
英語:120/150点
数学:110/150点
国語:85/150点
まぁこんだけ取れば受かるでしょう。
数学は最悪0完でも1完でもいいので、とにかく部分点稼ぎ。
(理想は2完だが・・・。)
ここが、京大との大きな違いですね。
阪大合格者の方のメッセージを読んでいると、「0完にも関わらず7割取れた」っていう方がいらっしゃったので、少し安心しました。
京大だったら0完=良くて3割。普通は1割程度 ですからね。
まぁ部分点稼ぎとは言っても、取れる問題ではあくまで完答主義にこだわりますけどね。
一時期京大志望になって良かったのは、「完答に拘るようになった」ことですかね。
何やかんや言って差がつくのは「取れる問題で完答できるかどうか」だと思いますからね。
国語については、客観式問題でどれだけ取れるかで差が出ますね。
記述に関しては、京大の採点よりは甘い(と思いたい)ので、目標点も高めに。
(ただ、国語に関しては75切っても仕方ないな~っていうのはありますね。)
英語は8割超えに執着します。
過去問解いた感じでは、大問1と大問2ではほぼ失点することが無く、多分8,9割は安定して取れるので、問題は自由英作文と和文英訳。
この2つで7割取れないと厳しいですね。特に、自由英作文なんてのは結構稼ぎドコロなので、満点狙いたいと思います。
阪大英語で一番怖いのは時間配分。3,4分の遅れが命取りになる恐ろしい試験です。
まぁ阪大英語と阪大数学は、志望校だったので、結構対策はしてましたが、阪大国語がちょっと怖いですねぇ。
まぁ、いずれにせよ、試験なんてのはそんなに上手くいくもんでも無いですから(センターで改めて痛感した)、6,7割の力でも合格できるような勉強をこれからしていきたいと思います。
頑張るぞ!
僕の日課は、毎日平日の夕方に地方で放送される水戸黄門の再放送を見ることです。
現在放送されているのは第22部あたりで、西村晃さんが黄門役、あおい輝彦さんが助さん役、伊吹吾郎さんが格さん役といった感じです。
僕はもともと日本史が好きですが、時代劇はあまり見ません。
しかしながら、この水戸黄門だけは、割と昔から見てきました。
水戸黄門こと水戸光圀公は、史実に基づけば歴史書「大日本史」編纂のために全国各地を歩いて旅をした伝えられていますが、ドラマ「水戸黄門」ではそのような描写は一切無く、全国各地を食べ歩きしながら悪を懲らしめるというストーリーになっています。
彼は、「畏れ多くも先の副将軍」ということで、相当なご身分でありますが、それをあえて隠して「ちりめん問屋の隠居」「旅の隠居」などと言って旅を続けています。
最後に身分を見せ、周りの者をひれ伏させる点で、このドラマはえらく権威主義的であり、大義を重んじる朱子学的な考え方が蔓延しています。
しかし、人というのは、エーリヒ・フロムが言うように、どうやら権威に服従することが根っから嫌いではないらしい。
事実、水戸黄門の前に善人悪人かまわずひれ伏すシーンを見て、権威主義的だと不愉快になる人はいないだろうし、むしろ水戸黄門の前に「ハハ~」と頭を下げたくなる気分になる人もいるでしょう。
僕ぐらいになると、むしろ権威を悪用し私欲をむさぼる悪代官にさえ「ハハ~」としたくなることがあります。心が弱っている時など、善人悪人関わらず権威に服従したくなる時があるのです。
水戸黄門は、しかし、単に権威を用いて悪を懲らしめるだけの存在でしょうか。では逆に、権威が無くては悪を懲らしめられないような存在でしょうか。
僕は、そうは思いません。
蓋し、「水戸黄門」というドラマにおいては、悪を見つけてから権威を行使するまでの時間軸に平行して、個人的な勝負(人間としての勝ち負け)が描写されているように思います。
権威においては水戸黄門に適うものなどいません。ゆえに、ここにドラマは発生しません。
問題は、必然的に権威を抜きにした個人的勝負になります。
そこに登場するのが、助さんや、格さん。もっと言えば、弥七や飛猿、お吟などです。
そして、彼らもまた、個人的勝負において負けることはありません。
悪を懲らしめるという善の動機、私欲をむさぼるという悪の動機。この時点でも既に社会的に彼らは勝っています。
しかも、それだけでなく、助さんや格さんは、強い、強すぎる。
彼らは全くひるむことが無い。「ピンチ」が無いのです。
普通ドラマの演出っていうのは、主人公達に沢山のピンチが降りかかって、それを乗り越えて行く所に生じるものです。
しかしながら、水戸黄門はその描写を完全に無視している。絶対に負けることがないのです。
けっきょく、水戸黄門は、権威だけなく個人的、実質的勝負においても負けるどころか、ピンチになることが無いのです。
では、ドラマ「水戸黄門」とは一体何者なのでしょうか。こうなると、いよいよドラマではありません。
荒唐無稽な何かでしょう。
しかし、太宰治は「弱者の糧」において、次のように書いています。
観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦人 は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」 と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。
これは日本の大衆映画の観衆に向けて書いたものであって、今回のコンテクストとは若干異なりますが、それでも僕はこの言葉にひどく共感しました。
そうだ。水戸黄門は「必ず試合に勝」ち、「決して負けることがない」のだ。「あの人が出て来ると、なんだか安心」するのだ。
そうやって水戸黄門は、毎日疲れた僕の心を癒してくれるのです。
現在放送されているのは第22部あたりで、西村晃さんが黄門役、あおい輝彦さんが助さん役、伊吹吾郎さんが格さん役といった感じです。
僕はもともと日本史が好きですが、時代劇はあまり見ません。
しかしながら、この水戸黄門だけは、割と昔から見てきました。
水戸黄門こと水戸光圀公は、史実に基づけば歴史書「大日本史」編纂のために全国各地を歩いて旅をした伝えられていますが、ドラマ「水戸黄門」ではそのような描写は一切無く、全国各地を食べ歩きしながら悪を懲らしめるというストーリーになっています。
彼は、「畏れ多くも先の副将軍」ということで、相当なご身分でありますが、それをあえて隠して「ちりめん問屋の隠居」「旅の隠居」などと言って旅を続けています。
最後に身分を見せ、周りの者をひれ伏させる点で、このドラマはえらく権威主義的であり、大義を重んじる朱子学的な考え方が蔓延しています。
しかし、人というのは、エーリヒ・フロムが言うように、どうやら権威に服従することが根っから嫌いではないらしい。
事実、水戸黄門の前に善人悪人かまわずひれ伏すシーンを見て、権威主義的だと不愉快になる人はいないだろうし、むしろ水戸黄門の前に「ハハ~」と頭を下げたくなる気分になる人もいるでしょう。
僕ぐらいになると、むしろ権威を悪用し私欲をむさぼる悪代官にさえ「ハハ~」としたくなることがあります。心が弱っている時など、善人悪人関わらず権威に服従したくなる時があるのです。
水戸黄門は、しかし、単に権威を用いて悪を懲らしめるだけの存在でしょうか。では逆に、権威が無くては悪を懲らしめられないような存在でしょうか。
僕は、そうは思いません。
蓋し、「水戸黄門」というドラマにおいては、悪を見つけてから権威を行使するまでの時間軸に平行して、個人的な勝負(人間としての勝ち負け)が描写されているように思います。
権威においては水戸黄門に適うものなどいません。ゆえに、ここにドラマは発生しません。
問題は、必然的に権威を抜きにした個人的勝負になります。
そこに登場するのが、助さんや、格さん。もっと言えば、弥七や飛猿、お吟などです。
そして、彼らもまた、個人的勝負において負けることはありません。
悪を懲らしめるという善の動機、私欲をむさぼるという悪の動機。この時点でも既に社会的に彼らは勝っています。
しかも、それだけでなく、助さんや格さんは、強い、強すぎる。
彼らは全くひるむことが無い。「ピンチ」が無いのです。
普通ドラマの演出っていうのは、主人公達に沢山のピンチが降りかかって、それを乗り越えて行く所に生じるものです。
しかしながら、水戸黄門はその描写を完全に無視している。絶対に負けることがないのです。
けっきょく、水戸黄門は、権威だけなく個人的、実質的勝負においても負けるどころか、ピンチになることが無いのです。
では、ドラマ「水戸黄門」とは一体何者なのでしょうか。こうなると、いよいよドラマではありません。
荒唐無稽な何かでしょう。
しかし、太宰治は「弱者の糧」において、次のように書いています。
観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦人 は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」 と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。
これは日本の大衆映画の観衆に向けて書いたものであって、今回のコンテクストとは若干異なりますが、それでも僕はこの言葉にひどく共感しました。
そうだ。水戸黄門は「必ず試合に勝」ち、「決して負けることがない」のだ。「あの人が出て来ると、なんだか安心」するのだ。
そうやって水戸黄門は、毎日疲れた僕の心を癒してくれるのです。
採点ミスが見つかり、国語が2点上がって、合計点が271点 偏差値が60.2になりました。
判定は変わらずB。ただ、志望者順位がちょっと上がったっぽい。
まぁ、今となっては「あ、そうなんだ」ぐらいのもんですが。
こないだ、センター前に景気づけのために問い合わせシート送ったんだっけか。
特に他意はなく、ただ、総点270と偏差値60に乗りたいという不純な動機で駿台に送り付けましたw
そう考えると、センターリサーチでC判定以上だったら間違いなく京大出願してたんだろうなって思う。
まぁ、別に良いんですが。そうなっても浪人してた可能性高かっただろうし。
今年は阪大1本に絞ります。で、ダメだったら、また京大なり阪大なりを目指すことになるでしょうね。
それよりも、駿台のクリアファイルが添付してあったのが有難かった(殴
(クリアファイルウチに全然無かったんで^^;これで足しになりますw)
判定は変わらずB。ただ、志望者順位がちょっと上がったっぽい。
まぁ、今となっては「あ、そうなんだ」ぐらいのもんですが。
こないだ、センター前に景気づけのために問い合わせシート送ったんだっけか。
特に他意はなく、ただ、総点270と偏差値60に乗りたいという不純な動機で駿台に送り付けましたw
そう考えると、センターリサーチでC判定以上だったら間違いなく京大出願してたんだろうなって思う。
まぁ、別に良いんですが。そうなっても浪人してた可能性高かっただろうし。
今年は阪大1本に絞ります。で、ダメだったら、また京大なり阪大なりを目指すことになるでしょうね。
それよりも、駿台のクリアファイルが添付してあったのが有難かった(殴
(クリアファイルウチに全然無かったんで^^;これで足しになりますw)