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Bein' aware of wisdom

高認取って大学受験した人のブログ

センターまで残り2週間を切りました。

今まで3年間、本当に勉強してきた記憶しかなくて、頭の中では信じられない部分もありますが、気持ちとしてはそれなりに整理が出来てきました。
あれほど悩ましかったセンターの諸科目も、苦手科目でも大体8割以上取れるようになってきたのも大きいと思います。
点が取れない原因は、意外と身近にあった。それが分かりました。
やはり、一度原点に立ち返るというのは、とても大事だと思います。

入試前の高揚感・・・高校受験では味わったことのない内なる闘志・・・

「受験」とはこういうものなんだな、と改めて実感しました。


もちろん、センター試験で結果的に転ぶこともあるだろうし、センターで上手く行っても二次で転ぶことも考えられるでしょう。
でも今は、結果はどうあれ、「自分はやるべきことはやってきた」という気持ちが強いです。
そして、自信も少しずつですが戻ってきました。
大晦日にセンター3大苦手科目(国語・倫政・生物)を解いて3教科平均7割弱だった時は正直この世の終わりみたいな気分でしたが、やはり原因は簡単な所で知識漏れしてることでした。


京大志望にもう一度転換してからも色々と紆余曲折ありましたけれど、最初のいい意味で自信のついた状態に戻りました。

センター試験は・・・88%取れたらそりゃぁ最高ですが、多分難しいので、85%程度を目処に頑張ろうと思います。
85%と88%なら、250点満点にして212点と220点。差が無いと言えば無いし、有ると言えば有る。

全体的な目標は800点中530点。つまり、212点取れたなら、318点を二次試験で補わなければならない。

英語:110点
数学:90点
国語:60点
日本史:60点
このぐらい点が取れれば、2011年度のように劇的に易化しない限り、まず受かると思います。
英語は3模試で予想外の点をそれぞれ取りましたが、採点基準をもっと厳しく意識して演習を積んできましたので、自信はあります。

京大即応:252点 京大実戦:269点 京大プレ:329点
の僕がそんな点取れるのか、甚だ疑問ですが、逆に模試で320点取れたら冊子に上位で掲載されるレベルですからね。
模試と入試では点差はかなり大きいようなので、そこは変に自信を失わずにやっていきたいところです。
それに、マグレながら、プレで318点を11点オーバーしました。
この点を真に受けるなとはかねてより言い聞かせてきましたが、やはり自信にはなります。

まぁ、いずれにせよ、この高揚感、適度な緊張感を保って、残り2週間足らずを必死に頑張り抜きたいと思います。


あ、そういえば、今日夢で、京大模試で510点/550点取った夢みましたww
二次で得点率92%とかマジキチすぎるwwこれならセンター5割でも余裕で受かるレベルwww
まぁそんな有り得ない夢の話はどうでもいいんで、勉強してきます。


86点/100点でした。

~感想~
・正直75点だった2012年本試よりも手ごたえは無かった
↑多分面食らった問1の知識問題のせい。問2以降はほとんど失点なし。
・知識問題はやたら難しい癖に、実験問題はクソ簡単という変わった形式だった。
・問1難しすぎwwwっていうか俺最初のほう(細胞とか発生とか)の知識無さすぎ・・・。

やっぱりイメージって怖いですね。
「余裕で85超えてやらぁ」と意気込んで問題開けた途端・・・「うわぁ~これ何だっけ・・・やべぇ問1は全問不正解かも・・・オワタ・・・」
そのイメージが付きまといすぎて、問2以降はしっかり解けたにも関わらず、出来なかったイメージしかありませんでした。
結果、問1で10失点、問2~5でわずか4失点だけという結果に。

結論として、僕は細胞分裂とか受精あたりをナメすぎてたみたいです\(^o^)/
前の2012年本試でも問1でなく問2で9失点。序盤で大量失点が多すぎます。
正直このあたりは皆頑張るから、わざと難しい問題出してる気がします。
田部先生の「はじめからていねいに・・・」なんかを使ってもう一度細かい知識を整理したいと思います。
問3以降の分野は、過去問で慣らしていけばせいぜい8割5分まではもってけると思うので・・・。

ただ、理想としては、問1~問3で9割以上稼いで、問4、5での「フヒィwww実験ムズすぎるwww」っていう事態に備えたいんですけどもねぇ・・・。
なので、今の取り方はあまりいいとは言えないですね・・・。改善していかなければ。

では、引き続き頑張ってきます。
評論:46点
小説:29点
古文:45点
漢文:28点
合計:148点

漢文・・・・。
まぁコイツは、「書き下し+解釈」のセット問題でかなり迷い、挙句どっちとも間違えましたから、仕方ないでしょう。
「違うだろうな」って思っても選んでしまう。なんかこういう時あるんですよね。

今にして思えば、10点は大きいですけど、5分以上悩んだのは非常に勿体無かったですね。
しかも、それが両方合ってても8割行かないっていうね・・・。

古文は、源氏物語じゃなければ大体で8割行くようになってきました。
以前は中世の易しい文章でも6割行きませんでしたからね。選択肢の判別が少しずつ容易になってきました。

評論も、前のカンがちょっとずつ戻ってきましたね。
ただ、小説・・・。センター現代文9割切らなかった時代って、一体どう解いてたっけなぁ・・・。

あの時代の現代文と今の古文の実力があれば、楽々8割行くのに・・・。
(ていうかなんで小説退化したし・・・。)

本番ではどんなに転んでもこのぐらいの点数維持できれば上出来です。
もちろん、その暁には8割8分などとても超えませんが、せめて8割4分~5分あたり超えてこれたらと思います。
(保険として、どんなに酷くても8割は超えて欲しいですね。)


まぁ本番では、本当にどうなるか分かりませんね。
昨日みたいに120点台になる時もあれば、2008年本試みたいに易化して170点取る時もあるし・・・。

今の僕の実力では「安定して高得点」は取れませんから、センター総点自体が安定しない・・・。
これが今の一番の悩みの種ですかねぇ。
新年あけましておめでとうございます。

このブログで年を越すのは2回目ですね。

・・・というわけで、ちょうど一年前の自分の記事を見る。

やってることは全く同じ。
勉強しながらガキ使を見る。

いやぁ・・・受験生としてどうなんでしょうかね・・・・。
まぁ見てしまったものは仕方ない・・・。

去年は日本史と数学やってましたかね。今でも鮮明に覚えてます。とにかく眠かった。
今は・・・センター過去問の見直ししてます。

一年の納めとして、センター2010国語 2012生物 黒本倫政をやったんですが・・・

国語:127
生物:75
倫政:73


・・・・

平均7割すら無し・・・。
やっぱ国語は波があるなぁ~。30点以上上下するもんなぁ~。
評論は44だったけど、小説31古文32漢文20
稼ぐべき漢文で超ド級エラーやらかしました。
ちなみに、古文はほとんど本文読めてません。その状態でこの点数というのはある意味でマグレとしか・・・。

もうマグレで170とか行かなくてもいいから、この際安定して140以上取れる実力が欲しい・・・。

生物・・・。完全に問題文を軽く読みすぎ。問題文の見間違いのせいで落とした問題が3問ほどありました。
つまり、10点ぐらい落としたということ。
本番でこれやったら、完全に泣きますね。

倫政は、倫理分野は8割超えたんですが、政経分野で大量失点。
国際紛争とかその他もろもろの分野で大コケしました。
センター近いけど、あがけるとこまではあがきますよ。


というわけで、目標88%は果てしなく遠いですが、まだ諦めませんよ。
諦めた時点で終わりですからね。最後の最後まで戦い抜きます。


特に悔しかったセンター国語は、明日も解いてやりたいと思います。
明日は、2011年本試をやりたいと思います。
目標は・・・最低140。できれば160以上取りたいですね。


本当はこの後に色々今年の抱負とか書きたかったんですが、もうこの辺にしときます。

新年の挨拶らしからぬ記事になりましたが、受験生として、こういうのも悪くないかもしれないですね。
僕は高1の頃の担任の先生に、以下のような話をされたことがあります。

「君たちは、所謂"ゆとり世代"と言われる。だが、勘違いしないでほしいのは、大学入試は一切易しくなっていないということだ。君たちにとって一番大変なのは、学校で学ぶレベルは落ちたのに、大学入試では昔と同じレベルの学力を問われるということ。つまり、学校での勉強と大学入試とのレベル差が昔よりはるかに開いてしまったということだ。」

とても興味深いものであり、自分でも昔の大学の過去問を調べてみました。
すると、浮かびあがってきたのは、英語や国語などは、昔に比べて難しくなってないどころか、むしろ今よりはるかに簡単なものばかりだということ。

もちろん数学などはどの大学でも軒並み易化してはいますが、昔の数学の問題も、驚くほど難しいものは少なく感じられました。
僕は大人達から、「昔の入試レベルは今より遥かに難しい」と教え込まれてきたものですから、初めて昔の問題を見た時、思ったより難しい問題ばかりではないことに、驚きを感じました。
ただ、大人達の判断が間違っていたとも思いません。
では、昔と何が違うか、というと、「学校以外の教育機関の充実性」だと思います。

昔は今と違って、至れり尽くせり解説してくれるような予備校は地方には無かったし、昭和からある駿台予備校なども、大袈裟に言ってしまえば「官僚志望の東大受験生のための予備校」といった具合でいわば都心部のエリートのためのものでした。
参考書だって今みたいに講義型のものはなく、むしろ「副教科書」に近い性質であったでしょう。
ですから、地方の受験生はもちろん、お金のない受験生などは、受験対策はもっぱら教科書でするしか無かったということです。

その中でのあの問題ですから、今に比べて体感難易度ははるかに高いのではないか、と思います。
大人達の評価が決して間違っていないというのは、ここにあります。

今は予備校へ行けば徹底対策され、参考書でも入試の1から100までを叩き込まれる時代ですから、いわば大学入試側も、「イジワルな問題」を出さないと厳しい時代になってると言えるでしょう。
要するに、予備校・参考書と大学入試側とで互いに切磋琢磨(?)しながらレベルを上げてきたということ。
そして、それに対置される形で取り残されたが「学校教育」だと僕は思います。

もちろん、学校教育の目的は、ただ単にペーパーテストで大学に合格させることだけではなく、綺麗な体で言えば、人間性・社会性のある生徒を育成することです。
ですから、大学入試以外にも沢山の委託業務がある学校教育が上の二者に遅れをとるのはある意味では予定されることであり、今の学校教育制度の現状がなべて癌そのものだ、とも思いません。

ただ、この現状は、ずばり「知的格差」を推し進めると言えるのではないでしょうか。
つまり、学校教育がゆとり化しても、大学入試側がゆとり化しない場合、学校教育にのみ頼る人間と、一定レベル以上の大学入試を経験した人間とでは、同じ「教育」を土台に敷いたとしても、昔以上に格差を生むのは当然であります。

一般に格差というのは、少数の富裕層・エリート層と、多数の貧困層・下流層とに分かれますから、当然多数派からの少数派へのルサンチマン---金や学力があったって、幸せとは限らないという怨恨感情---から、また学校教育へのしわ寄せが起こり、さらにレベルの差が開くということにもなりかねません。

事実、ゆとり前に寄せられた「大学入試の過熱すぎる競争」への批判の受け皿は、大学入試そのものではなく、学校教育だったのですから。
これは多くの人が、学校教育の易化そのものが加熱した大学入試競争の潤滑油になると信じて疑わなかったということ。
しかし現実は違った---学校教育だけが易化する体をとって、大学入試は実はそのまま残ってる形なのです。
ただ、これが事実上表面化していないのは、塾・予備校や参考書を執筆する講師陣が尽力し、その差を見えにくくしているから。
僕はこう思えてなりません。

要するに、多くの人は、「教育制度」を論じる時に、専ら学校教育のみを視点に据えるか、ないし大学入試を学校教育論に吸収する形で議論しますから、昨今のような乖離も甚だしいおかしな状況になるのだと思います。

最初から申し上げてきたように、僕は教育論を語る時は「学校教育」と「大学入試」とは全く別のものとして考えなければならないという風に思っています。
「教育」という抽象論を語ることは誰でも容易にできますが、「学校教育」と「大学入試」の区別が出来なければ、根本的に日本の学力を動かすことはできない。

僕は、そう思います。