午後は岩国市から広島市に移動。
日曜日とあって中心街の駐車場は何処も満車だ。
近くのスタジアムで何かの試合が行われて
いるのだろうか、歓声だけが聞こえる。
並んだ駐車場は観客の駐車も多いと思われ、
10分おきに1台ずつしか入庫出来ない。
最大2時間待ちと表示されている。
並んだら離脱することも出来ない。
こんなに有名な場所の駐車事情がこれほど
酷いとは想像もしなかった。最悪だ。
車で広島市に行く時には事前に周辺イベントと
駐車場情報を調べておくことが必須。
尤も、中心街であるからこそ原爆に
狙われたんだろうけど。
1時間半並んで入庫、初めての原爆ドーム、
平和記念公園、そして広島城を見学した。
原爆ドームは思いのほか小さかった。
しかし黒焦げの外壁や崩れた構造物には
衝撃を受けた。
建物がこれ以上崩れないように、内部には
補強のための金属ステーが数多く
張り巡らされている。
TVで見たときにはドームの内側からの映像
だったので、てっきり入れるものと思って
いたら違った。危ないのだろうな。
こちらは西洋人の見学客が多かった印象。
知名度では長崎より有名なのだろうか。
平和記念公園は、毎年の平和記念式典の
TV中継でしか見たことがなかった。
公園を象徴する原爆死没者慰霊碑と、
その上にある逆U字型の造形アーチから見える
平和の灯と原爆ドームが一直線上になることを
初めて知った。
このアーチひとつをとっても、背後には
大きな歴史があったようだ。
投下された原子爆弾を長崎と広島で比べてみよう。
長崎
プルトニウム型原爆 「ファットマン」
高度約500mで炸裂
TNT火薬約2.1万トン分相当
死者 約74,000人
広島
ウラン型原爆 「リトルボーイ」
高度約600mで炸裂
TNT火薬約1.6万トン分相当
死者 約140,000人
爆弾の規模は広島よりも長崎の方が大きいが、
爆心地の地形、炸裂高度、人口密度の差など
により死亡者数は倍で逆転している。
因みに落下中心地付近での温度は約3000℃~
4000℃、太陽の表面温度が約6000℃、
鉄が溶ける温度が約1500℃ となっている。
想像したくないほどの天文学的温度の地獄だ。
広島城は爆心地から1Kmしか離れておらず、
木造のため被爆当時には一瞬のうちに
焼失しており、現在の城は昭和33年に
再建されたもの。
お城には珍しく低地に位置する。
これは防護を主目的とした城造りから、
城を権力の中心としてシンボル化し、
その周りを城下町として整備し領国の政務・
商業の中心地として発展させる「近世城郭」
建築の時代に入ったことを意味しているという。
尚、耐震性の問題から、天守閣は2025年度
後半に閉館する方針とのことで、
中には入れなくなる。行っといてよかった。
広島城を見学し、今回のすべての周遊を
終えて帰路についた。
タイムロスが大きかったので、
帰宅は深夜になってしまった。
我ながら、一時期によくこれだけ回れたものだ。
ちかれたびーw
今回の旅の記録はこれでおしまい。
長ながとお付き合い、ありがとうございました。