「先ず」はいつ? | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

分かる人しか分からない落書きメモ。
川に流されながら頭を整理中。

☆更新・管理頻度は不定期です。
コメントは、不適切と感じるものやリンク付きは承認しないことがあります。
掲載コメントの背景については承知しておりません。
無断転載・引用はご遠慮ください。

同じ支部の元地区婦が亡くなったとの噂を

耳にした。

何故か公式には伏せられているようだ。

 

一緒に活動したこともあるので、

人物はよく知っている。

10年以上前に厄介な病に罹り活動から離れ、

長期療養していたことは聞いていたが、

まさか亡くなるとは思っていなかった。

近年、別の難病まで患い、そちらが致命的

だったというから、天の意地悪にもホドがある。

 

まだ若く、明るく元気で綺麗な人だったのに

残念だ。

ご冥福を祈ることしか出来ない。

 

思い起こせば我が支部では、ブロック~支部幹部

で若くして亡くなる方をたくさん見てきた。

誰かさんが折りあるごとに「ご祈念致しました」

という「健康・長寿」は絵空事と思える。

それらがすべて会のせいだと言うつもりはない。

ただ、一般世間に対する優位性は全く感じない。

同じか、疲弊した分のタメージは負っている

気がしてならない。

なのでことさら優位性を喧伝して人をこき使って

きたことに対しては怒りが湧いてくる。

 

こんな出来事がある度に、

「嘘でしょ?どうして?あんなに頑張ってたのに」

という声があちこちから湧き上がる。

 

大幹部は決まってこう言う。

「この世で使命を果たされた、健康な体で既に

生まれ変わっている、宿命転換された……」

などと。

 

百歩譲ればそうなのかも知れないが、

それらと活動レベルの境界は何処にある?

バリでもチョイでも同じなのか?

違ったらどうなるんだ?

脅すつもりか?

誰にも分からないことを見てきたかの

ように言い、しかも何処かで聞いたようなこと

しか言わないし、言えないし、言うしかない。

 

残された者、周囲の者への言葉だから、

前向きの話しか出来ないことは分かっている。

故人の遺志が何処にあるのかは本人、或いは

託された者にしか分からないが、

それをいいことに、既に終わったこととして

周囲を煽ることに利用してどうする。

家族でなくたって、じっくりと噛みしめる

時間を大切にしたいんだよ。

 

気の利いたことが言えるような高い哲学性を

持った幹部はどれだけいるのか。

会内ありきたりの話でお茶を濁すぐらいなら

何も言わなくていい。

一人ひとりがここら辺をちゃんと学び、

世間にも通用し、納得させられる話が

できないといけない。

それが出来ない会員・幹部たちだけなら、

宗教団体として失格だ。

勿論、バリ活だった自分を振り返ってみても

未だに答えを持っていない。

忙しくはしていたけれど、何も学んでは

こなかったことに愕然とする。

今からでも取り返したい……

 

「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」

散々聞かされたけれど、その「先ず」は

いつなんだ。

「臨終の事」を科学と矛盾なく会がビシッと

指導したことはあるのか。

それは「毎月の座談会御書」だ、なんて、

いつまでも本気で言っているつもりなのか。

 

「お前は盲信でいる」

 

 

うまい!

座布団3枚w