「最近、活動家が少なくなった気がするんですが。せっかく仏法に縁したのに、何かが間違っているんでしょうか」
「過去のことを思っちゃダメだよ。未来のことも思っちゃダメ。今ここを生きていけば、みんなイキイキするぞ!」
「ムムム、何も思わずに前進あるのみでしたね。活動に間違いなんかあるはずがない」
「眉間に皺を寄せていたところで怪我が早く治るわけでもない。むしろ、明るく危機を受け止める姿勢にこそ早く治るきっかけがある。魔が来たら手を探せ。手をつかんで引き入れ、真の理解者にするのだ」
「少しばかり活動家が減ったからって、こんなことを気にしたら負け、ってことですね」
「勝ち負けなんかちっぽけなことだ。大事なことは、本気だったかどうかだ!」
「クーッ! 私の悩みはちっぽけなことでした。本気で気にしません」
「魔に手を払われても、しつこく付きまとえる確信が大切だ。涙よりも、血よりも、汗を流していたい」
「来たな、三障四魔。巻き込んでやるぞ、ってことですね。正義だから賛同されない。正しいから広まらない。幸せになれるから非活が増える……あれれれれ? 何だかよく分からなくなってきました。どっちが魔の手ですかね?」
「イワナを見てみろよ!! 中身の味で勝負だ。すべてに意味がある。何よりも大切なのは、自分自身がどうしたいかだ」
「ムムッ……イワナを知らないので、どうしたいのか思いつきません。私にはもっと指示が必要です」
「イワナを知らないなんてイワナくていい。大丈夫。大丈夫って文字には、全部人って文字が入っているんだ。組織から離れなければ、いくらでも打ち出しという指示が降りて来る」
「なな、何と!有り難い世界なんだ。ところで、先日、隣の支部で座談会に出たら、『きゃー! 若い人が来てくれた』と言われました。私はアラ還です」
「私も同じだ。活動を続ける人は永遠に青年なのだ。イワナを見てみろよ。若いも年寄りもない。みんな同じイワナだ。今日から君はイワナだ」
「ギョギョギョ! イワナの被り物で協ギョ会に出てみますw」
「盛りあギョるぞ~」
疑問は不信につながるから聞くことを躊躇する。
でも勇気を出して聞いてみると、表向きの答えは
予想どおりのことが多い。
答える方だって、それが自分の確信であるかの
ように話すが、実は自分に言い聞かせていたり
する。
こんなことはいつまでも続かない。
だって現実に、加速度的に、全国的に活動家が
減っているぢゃないか。
それが分からない節穴の目を持った会員たち
だけが、いつまでもどこまでもだれにでも
活動を仕掛ける。
教義という名の否定されない嘘に守られて、
信仰という名の咎められない正義を振りかざし、
強信という名のイエスマンだけが残る組織に
未来はあるのか。
退転者のレッテルを貼られた
多くの者たちの悟りだけが、
この邪悪な活動から得られた
未来への教訓なのだ。