非活になってからはドラマをよく見る。
今なら教場0が好きだな。暗いけど。
風間伸一 決起大会会場0
「投票日までに本部全員の期日前を仕留めろ。
出来なければ地区部長に戻ってもらう」
な~んて言ってみたくなるw
♪テレビなんか~見てないで~ 早く植えろと、
種から育てた野菜の苗たちが自己主張しはじめた。
楽屋裏の一部
GW前に大慌てでタマネギを全部収穫して土づくりをした。
苗の植え付け2週間前までに堆肥や苦土石灰を入れて、更に1週間前に元肥を入れるというのがセオリーだけど、タマネギの残根処理などやることが沢山あるので……ほとんどいっぺんにやって10日後に植えたw
苦土石灰と肥料は混ぜると反応するので「同時期に混ぜるな」が基本だけど、今までに大きな支障はなかったもんね。
見えない支障はあるのかも知れないけれど、穫れすぎて怒られるぐらいだからこれでいいのだw
手を抜いてもなお、土造りには時間がかかる。
プランターひとつで約1時間。
色白のワタシは簡単に日焼けしてしまう。
仕方ないから頭に広げたタオルをかけて野球帽を被る。
キャディさんみたいで格好いい。どこがw
単純作業を数時間ずつ数日やるので、最初はヘッドホンステレオをつけて音楽を聴いていた。
でも折角だから、ちょっとは勉強しようと思い、以前から興味のあった仏教学者の中村元先生の講義、「ブッダ最後の旅」を聞くことにした。
いや~、この先生は上品で謙虚だなぁ。
どこかの大センセイとは品格が違う。
学者が求めがちな論理性ではなく、人間釈尊に如何に迫るかがテーマになっているようだ。
会で勉強して仏法を知った気になっているそこの貴方。
全然違いますから。
例えばVol.2 大パリニッバーナ経(大般涅槃経)から
阿難よ……私は内外の区別なしにことごとく法を説いた。
全き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握りこぶしは存在しない。
私は修行僧の仲間を導くであろうとか、あるいは修行僧の仲間は私に頼っていると、このように思う者こそ修行僧の集いに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上に努めた人は、私は修行僧の仲間を導くであろうとか、あるいは修行僧の仲間は我に頼っているとか思うことがない。
向上に努めた人は、修行僧の集いに関して何を語るであろうか。
中村先生の解説抜粋
釈尊は、自分が人々を導くとか、他の人々が自分を頼っていると思うこともない。
ただ自分は道を求めて80年の生涯を進んできた。
人間として生きるべき理想を掲げて人間としての法に従って実践してきた人、自分はそれだけの者に過ぎない。
釈尊は自分で、自分は教師ではない、と言っておられる。
これが仏教の基本的姿勢である。
こうした話は会の中ではほとんど聞いたことがない。
新鮮だし、日蓮以前に勉強すべき大前提だなぁ。
釈尊は自分の会得した真理を惜しげもなく他に伝えた。
しかしそれはヒントを与えたのであって、それをどう自分のものにするのかは、それぞれが考えることであり、そうしなければ意味がないのだろう。
自分で考えずに、求めるばかりの師弟不二がチャンチャラおかしく思える。
