幻のニンジン | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

分かる人しか分からない落書きメモ。
川に流されながら頭を整理中。

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♪まだかな? まだかな~?

 我見の~ おじちゃんまだかな~?

 我見の、おじちゃん!

 

は~い! 我見のおじちゃん、インチキオジサン登場。

吾輩は河童である。名前はまだ無い……

って名前がなかったことに今、気づいたw

 

エンジンオイルから連想した人間の体液についての河童仮説だ。医学的知識が皆無の、殆ど戯言なので本気にしないように。

気分を悪くされる恐れがあるので以下の文章は要注意。

 

人体はホルモンのバランスが僅かに崩れただけで肉体的、精神的な疾患につながることが多い。

血液をはじめホルモン等の体液の重要性は極めて高い。

 

ホルモンについて更に言えば、精神科で使用される薬剤にホルモン系が多いことからすれば、人の気分、感情、性格というものは個々人の固有のホルモンのバランス構成から成り立っている可能性が高い。

 

言い換えれば、感情や性格なんて偶然の産物程度のものなのか、って話。

 

つまり生まれ持った各種ホルモンのレシピと、そのレシピを実現すべく働く各種臓器や脳内コントロール機能の忠実度、そして記憶データベース、頭脳のレスポンス性能等によってパーソナリティが確立しているだけかも知れない。

 

人々のホルモンレシピは概ね一定の範囲内でバラついていて、大きく逸脱する場合には変人と呼ばれ、レシピに対する体の忠実度が低いと病的となるのだろう。

 

一般人の場合、唱題によってバランス構成はレシピの範囲内で修正変化する可能性があるが、精神的な疾患がある場合には逸脱している一部が更に逸脱したり、不安定の度を増す危険性がある。

 

よって巷でよく言われる、「精神疾患者には長時間の唱題が推奨されない」その理由がここにあると考えられる、知らんけど。

 

なので題目によってバランスは変えられてもレシピは変わらないよね、って仮説。だから桜梅桃李。

 

身体、精神というものは、教育や生活環境の影響を受けながらも、ただただ当たり前に反応しているだけではないのか、って感じる。

何が言いたいかといえば、自分の性格の問題や精神疾患と呼ばれるものは、貴方が悪い訳ではなく、自然に、貴方の生命が当たり前に反応しているに過ぎないということ。

それが好ましくない場合には、環境を変え、バランスの一部を少しずつ本来のレシピに沿うように変化させればいいはずだ。

具体的には人それぞれなので、それを探ること自体が人生なのかも知れない。

 

ぢゃあ、レシピが悪かったらどうする。

どうする河童!

社会適合するには苦労が多くなるけれど、そのことを自覚して訓練して行くしかないのだろうか。

良いところを突出して伸ばせば、大きな社会貢献だってできる。いや、貢献なんてどうでもいい。

自分を生き切るのも今世のミッションかも。

 

人革してレシピを変えなさい、なんていう指導は間違っているし出来ない。

題目や活動によって変えられること、変えられないことを冷静に判断できないと、時間やお金、労力を無駄にしてしまうことが危惧される。

自分の気持ちを無視して無理なことを続ければ、それこそホルモンのバランス構成を崩してしまう。

 

鼻先に見ることすら出来ない、幻のニンジンはもういらない。