お盆が近づいて来れば、先祖や親戚のお墓参りを意識する。
河童家のお墓は近所にあるが、この先もお墓はある方がいいのだろうか。
後世の負担を考えると、少し心配になってしまう。
でも「墓ない人生」なんてよく言われてるし。
健康だから吐かないし、スカートは履かないし、掃除は面倒なので掃かない人生かも。
ウチがお墓を買ったのは、まだバリ活の時だった。
会の墓地公園は遠すぎるし、集合ポストを連想する妙なデザインを知っていたので眼中になかった。
問題は、多くの親戚のお墓だ。
殆どが会の墓園なので、遠い~のなんのって。
しかも一ヵ所ぢゃないし。法事の度にウンザリしてしまう。
中には、折角近所に先祖代々のお墓があるのに、遥か彼方の会の墓園に改葬した叔母までいる。何てこった。
逆にウチは、先祖のお墓が遠かったので転居のついでに近所の一般墓地に改葬した。
近すぎてもあんまり行かなかったりしてw
この時の行政手続きは本当に面倒だった。
引っ越しと同じで、お墓用の転出証明、転入届みたいな「改葬許可証」「受入証明書」などの書類を準備して、お寺や役所で手続きしないといけなかった。
何事も経験だと、業者に頼まず全部自分でやってみたけれど、
自分の代ではもうやることはないだろうな。
会関係の親戚のお墓では、富士桜、関西池田、びわこ池田にそれぞれ何度か墓参したことがある。
他にも縁はあるが行ったことはない。
そこで気がついたのは、墓園では隣接する墓石の側面に刻まれている建立の月日が皆同じだったこと。
同じ墓園で他の区画まで確認しに行った訳ではないが、少なくとも同じ区画内は統一されていた。
しかしこの建立月日は、墓園によって異なるようだ。
年号は複数あったのでバラバラっぽい。
富士桜(1980年開園)は十月十二日
関西池田(1990年開園)は四月八日
びわこ池田(2016年開園)は五月三日
これらの日付については、最初の二つがお寺の影響を受けたもの
だろうけれど、「大御本尊を建立」の十月十二日は二度と使えないだろうな。
「釈迦の誕生日」とされる四月八日はどうなんだろう。
そして、やってくれましたよ、五月三日。 こうこなくっちゃ。
しかし何で統一するのだろうか?
建立日なんて、建てたそれぞれの人に思い入れがあるはずなのに。
コストダウンなのか?
任意にすると、恐らく会の現場レベルでは管理がずさんになり、刻印間違いの元になるから、統一して歩留まりをあげたかったのか?
会の事務処理は、末端職員関係者ほどスピードと正確性に欠ける
印象が強いからね。
それにしても、こうした全体主義的なところが、今となっては気持ち悪くて仕方がない。
画一化はあの墓石デザインだけで充分だろうが。
お墓に参って題目をあげ、墓石の裏を見たら姓が同じで違う人だった、なんて笑えない話もある。
羊たちは一方的なコントロールに慣れきってしまって、疑問にも
思わないのだろうな。
選挙で「自主投票」と言われてオロオロする人が出るような組織
だから、当然なのかも知れない。
今度墓参したら、親戚の墓石だけ前後を裏返しにしてこようかな。
背後から見ると、ポツンと 〇〇家。 こういうの大好き。
場所を見つけるのが超速くなるもんねw



