ブログと無線 | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

分かる人しか分からない落書きメモ。
川に流されながら頭を整理中。

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ブログでは、お会いしたこともない方々と文字で交流できる。

昔からすれば夢のようだ。プライバシーの敷居は高いが、その気になれば音声や映像でもそれが可能だなんて、すごい世の中になったもんだ。

 

幸い?ワタシは中学生の時からアマ無線をしていたせいか、こうした世界にはあまり違和感はない。

 

無線の世界に入った頃は最年少世代だったため、交信相手は皆さん年上で、職業、立場、性別などバラバラの中で、多くのことを教わった。ブログ環境でも皆さんバラバラなので同じだ。

 

ここからちょっとマニアック。

無線でよく使用した周波数は、7MHz,14MHz,21MH,50MHz,430MHzだ。

前半は主に海外を含む遠距離用、後半は主に100Km程度までの中近距離用だ。電波形式はAM/FM/CW/SSB。

 

AM/FMはラジオのそれと特徴は同じ。

FMは音がよく、息遣いまで伝わるような臨場感があるので、近所(ローカル局)の親しい人同士では必須のモードだった。

 

CWは無線電信で、モールス信号のトンツーだ。

以前は上級資格を取るために、モールス信号の送受の実技試験が

あった。英文60文字/分、和文50文字/分だったかな。

ラジカセでマスターしたが、英文は今でも出来るが和文は完全に

忘れた。時代と共に運用者は激減している。

無線電信はリアルタイムなので文字チャットだ。

ブログでの文字交流に近い。

しかし音声同様に聞き流すため、一般的には記録は残さない。

 

SSBというのは単側波帯通信で、搬送波を抑圧した狭帯域のAM派生の変調方式。無音の時は電波が出ないなど、必要最低限のものしか送信しない効率的な電送だ。

これをそのまま普通の短波ラジオなどのAM受信機で聞くとモガモガ聞こえるだけで何を話しているのか分からない。

受信側で、欠落した搬送波に相当する信号をBFOで生成して混合すると再生できる。

この時、送受の周波数が少しでもズレていると元の音には戻らない。丁度、ボイスチェンジャーを通したような声になる。

ズレ量によって低めから高めまで幅広く変化するから、相手のリアルな声を知らない限り、適当にチューニングすることになる。

 

余談だが……って全部余談なんだけど、ここで面白いことが起きる。

声ではなく、音楽を送受信した時だ。

 

送受の周波数がドンピシャなら何ら問題はないが、少しずれると

とんでもないことになる。

 

例えば1KHzの音に続いて2KHzの音を送信したとする。

受信側の周波数が合致していれば、丁度2倍で1オクターブの調律トーンであると分かる。

もしも受信周波数が上に僅か100Hzズレていたとすると、聞こえる音は1.1KHzと2.1KHzになる。

この場合、1.9倍になるから、1オクターブより少しフラットしている。

音域全体がこんな感じになるため、とてつもなく音痴の楽曲に

聞こえる。

 

違和感はズレの量と方向で大きく変わるが、幻想的というのか、

この世のものとは思えないような気持ちの悪い曲になる。

逆に言えば、音楽を流してもらえばドンピシャにチューニングしやすい。ただし音痴でないかぎりw 

普通の放送波なら、1KHzズレても気がつかないから、えらい違いだ。

 

音声通信がブログでの文字による交流と大きく異なるのは、

生の声でリアルタイムにやり取りするところだ。

 

声は文字以上の多くの情報を含んでいる。

声のトーンやリズム、間などでお互いの感情が分かる。

親しくなれば尚更だ。これは電話と同じ。

いや、FMなら音がかなりいいからそれ以上だ。

 

「元気ですか」と聞かれて「元気です」と答える。

文字ならそのままの意味になるが、元気よく「元気です」と言うのと元気なく「元気です」と言うのでは含む意味が異なる。

 

無線でもちょっとした行き違いから、関係がぎくしゃくしそうになることがある。しかしリアルタイムで確認し合うから誤解は直ぐにとける。

また、同時に聞いている仲間たちも大人の意見を言うから、こじれることはない。

ワタシの知る限り、こじれて去った局を知らない。

 

当時、無線で知り合った何十人かのローカル各局との付き合いは

大変長く、無線を休止している今でも時々連絡を取り合っている。

根底では、同じ趣味におけるそれぞれの力量、キャラ、生活状況などを無防備ながらお互いに知り、認め合っていたからと思う。

車に無線機を積んで移動する頃には、実際にも会うことが多かった。

 

ブログでの文字交流でここまでに至ることは諸般の事情から困難だ。ただでさえ誤解が生じやすく解きにくい世界。だからこそ、そうならないような気づかい、言葉づかいがより必要だと感じる。

 

来日が決まった台湾のデジタル担当閣僚で、天才と呼ばれる

IT研究者のオードリー・タン氏の研究テーマのひとつは、

「インターネットの社会ではなぜ、お互いがすぐ信頼しあえるのか。それなのになぜ、些細なことで反目するのか」 だそうだ。

研究結果にとても興味がある。

 

ブログの世界でこじれたとき、気づかいとは対極の文字を綴るに

至ると、最早修復は不能に思える。

文字だけの世界は他に手段がなく、文字がすべてだから。

それを言っちゃあ、おしめえよ、の世界。

誰の得にもならないと先に気づいて切り替えた方が勝ち、みたいなところはあると思う。

 

あ、ワタシ、会に対してはあまり気をつかいません。

気づかわれた記憶がないもので。

 

それと、いつも誰の得にもならないような記事でスンマヘンw