未完の美、余白の美とも言われるこの十三夜には、
多くの仲間が集う稽古となりました。
日々の仕事で多忙な師範、
仕事の都合で引っ越しをした指導員、
30年来の稽古仲間で、いまは少し遠方に住む医師、
学業に忙しい高校生など。
初めて参加した稽古体験の小学一年生を含めて、
終盤には全員で輪をつくり、
白帯から高段者まで一人ひとりが号令をかけました。
みなで道場の空間を一体として、
年齢、段級にかかわらず
全員が順番に号令、指揮を執ります。
その精一杯の気持ちの号令に、
他の全員が心身いっぱいに応える、
刺激し、お互いを高め合う時間。
最後は全員で整列をして正座し、
より引き締めるために、
久しぶりに前で私が修養訓を読み上げ、
みなで唱和をして稽古を終えました。
第二部の稽古では、
助教が組手の指揮を執り、
久しぶりに参加の医師もだいぶ熱くなったようで、
大汗を流している。
その様子を見ながら、
私も昔のたいへんに厳しく楽しい
恩師や仲間たちとの稽古を思い出しました。
そして改めて思い起こしました。
年月が経過しようとも、
物理的な距離や時間がどれだけ離れようとも、
私たちの稽古を通して絶対的につながっている
一生涯の仲間たちがここにあるのだと。
草津合宿(1993年)
後列左に森、前列右に矢部助教
いまも導いてくれている恩師には感謝の気持ち。
ここで学んできこと、
心身の力になると感じてきたことを、
いまの仲間と後輩たちに伝えていくことが、
稽古の充実とともに
引き継いでいる私の責任、役割であると、
強く認識する稽古ともなりました。
そして、
仲間や後輩たちがこれからも道場をつなぎ、
何十年後も同じような光景があるのだろうと
信じることができる。
ここでの稽古と仲間たちの存在が
必ずや個々の成長につながっていくのだと
思いきることができるのです。
集う仲間がみなでこの場をつくり、
着実に成長して、
またその時代時代で新たな場としていく。
当会の意義が確かにつながってきていることが
実感できます。
感謝の気持ちのほかはありません。
追記
石の上にも三年、面壁九年、愚の如く魯の如し、
いろいろな言い方はあると思いますが、
すべては「継続は力なり」の一言に尽きます。
人生という長距離走、
テストや試験、部活動、スポーツ大会も
就活や面接、昇格、評価なども、
社会は、つねに短期で
結果を出さなければならないものに
あふれています。
そこに全力で向き合うことと併せて、
長期の視点で着実な成長を促すものがあったなら、
これこそが長い人生を生きていくうえでの
ゆるがない人としての軸となる、
背骨となっていくものであると確信しています。
長年の修練で心身に備わったものは、
生涯に渡り自分に寄り添い背中を押してくれる、
奪われることも枯れることもないのです。
愚直とも言える取り組み、
ここに真摯に向き合い、よい習慣、
リズムをつくり己のものとしていく。
近道もショートカットも
一足飛びのボーナスチャンスもありません。
切磋琢磨する仲間とともに、
一歩一歩、歩みの速度はそれぞれでも、
築く道のりは個々に唯一無二であり、
決して失われることのない財産であると断言できます。
ここに集う時間は、
容易には言葉では表現しきれない、
確かなものとなるのです。
3つ、再掲します。
