渡辺道場の渡辺です。
令和6年12月7日(土)の晩に、母が亡くなりました。
享年83歳です。
空手には直接関係の無い話ですし、長くなりますので無理に読まなくても結構です。
私自身の備忘録の一つとしてここに残します。
母は、40代の終わりに乳がんを発症しましたが、当時の手術も上手くいき、その後も定期検査も欠かさずにいて、糖尿病や高血圧症などは有ったものの、他は大病も無く50代、60代を平穏に過ごしていたのですが、70代になって小腸にがんが見つかりまして。
年齢的には進行も遅い為、手術をするかどうかで迷いましたが、腫瘍で腸が詰まっていた為、食欲も落ち、物が食べられない状態が続いており、このままではどうにもならないと、摘出手術を行いました。
無事に手術は終えたのですが、この時の入院生活を境に、認知症のような症状を見せ始めました。
それまではキッチリと薬の管理も自分でできていたのですが、飲み忘れる事が多くなったり、病院に行くのを忘れたり、転んで大怪我をして帰って来るなんて事も有りました。
稼業であるお菓子屋を母に続けさせていましたが、計算を間違えたり、受けた注文を発注し忘れたり、機械物が使えなくなってきたりと、お客さんに迷惑をかけてしまうことが出始めた為、ここが潮時と判断し、祖父の代から続いたお菓子屋を閉めました。
自動車での事故は全く起こしてはいなかったのですが、「これは危ない」と、車の運転免許も返納をさせていた為、この辺りから私が仕事で休みを貰って病院に同行するようになったのですが、暫くしてから肺にがんが見つかりました。
生き甲斐であった仕事を辞めたせいか、認知症の症状は更に悪くなっていきました。
手術による摘出、または放射線による治療もできるとは言われましたが、今から更に入院して手術というのも、「認知症の進行を早めるリスク」と、「手術や放射線治療による体力の減退のリスク」、「更に転移が見られた時にどうするか」を考え、私たち家族は「薬により進行を抑えるに留め、様子を見つつ、緩やかに終わりを迎える。」との選択に至りました。
通院をして様子を見ていましたが、薬も飲んだり飲まなかったりしたせいか、昨年の夏には骨にも転移が見られ、体中にがんが見られる状態になりました。
食欲も有ったり無かったりで、体重はみるみる減って痩せ細りました。
この時点で、医師からは「いつ亡くなっても不思議はない」と言われていました。
平日の日中の私の仕事も忙しく、夜は空手の指導に、土日は空手の試合や練習会が入る事も多く、時間に追われる私が常に母を気にするのは難しく、「介護ヘルパーを入れたら?」とか「施設に預けたら?」とも情況を知る人からは言われましたが、他人を家に入れることも、人が集まる所に行くのも億劫だと本人が嫌がっていたこともありましたし、ヘルパーさん達に頼むにしても、結局の所、「受け入れの為の準備」をしなければならないことで、時間に追われる事には変わりはなく、「本当に来て欲しい時間」には対応はして貰えないのですよね。
引き続き自宅で療養をしていたのですが、薬を飲ませる為に朝の食事の面倒を見ていると微妙に仕事の出社時刻に間に合わなかったりしたのですよ。
会社も情況を理解してくれて、何も言わずにいてくれていましたが、私自身が「立場的に私が遅れるのは宜しくない。通院とは言え、休む頻度が増えたり、連絡が着かなくなる時間が増えてしまうのはお客さんにも申し訳無い。」と思ってしまいまして。何より、社内の士気が下がりますものね。
それに、時間に追われている状態だと、母に対して広い心で接することができない自分がホトホト嫌になりまして。
今年の1月頃から、歩く速度も極端に落ち、トイレに間に合わない事が増え、オムツを使うようになりましたが、なかなか大変でしたね。
その1月には、転倒して背骨の一部を圧迫骨折したりと、更に動きが不自由になり、この状況になった母を見て、今まで散々迷惑を掛けたバカ息子としては、母に対して申し訳無い気持ちになってしまいました。
勤めていた会社には無理を言って、今年の3月末を以て退職させて貰い、母の面倒を見ることに専念していました。
そこからは、母が食べ易いであろう食事を用意し、一緒に私も食べながら、ゆったりと時間をかけられるようになってからは、しっかりと食事も摂ることでき、薬もしっかり飲ませることができるようになり、5月には体重も少し増え、体調も安定していきました。
食事もそうですが、下の世話や入浴、着替えと、最初は大変でしたが、要領が解るとサクサクとできるものですね。
背骨の圧迫骨折も潰れきって安定したのか、痛みが無くなったようで、ゆっくりではありますが、自力で歩くこともできるようになり、良く噛んで食べる母は誤嚥の心配も無かった為、通院の帰りには、母と外食をするのが楽しみになり、母もそれを楽しみにしてくれていました。
そうしているうちにも、認知症の症状も進み、私のことを既に亡くなっている「お兄ちゃん(母の長兄)」だと言ってみたり、「お父さん」だと言ってみたり。
「私はあなたの長男ですよ。」と言うと、「え~~?そうなの~?」と惚けた事を言ってみたり。
最近の事は全く覚えていなくて、昔の事(幼少期~高校生くらい)の話を沢山したり、「学校に行かなきゃ!」みたいなことを言ってみたり。
あまりにも若いような話をするので、「あなた、自分が幾つだと思っているの?82歳ですよ図々しいッ!」と言うと、「82?嘘~!そんなお婆さん?」なんて、2人でゲラゲラ笑ったり。
「認知機能が落ちると昔の話ばかりする」とか、「自分の子供すら認識できなくなる」とは良く聞く話ですが、初めのうちはやっぱり寂しい気がしました。
でも、慣れましたし、怒っても悲しんでも何もならないのであれば、何となくでも楽しい気分にさせてあげた方が良いなと。
しかし、がんに蝕まれた体は、徐々に体力が落ちていき、肺のがんの影響からか胸水が溜まるようになり、次いで腹水も溜まるようになっていき、手・脚・腰回りも浮腫が出るようになり、10月頃には自力で立つことができなくなりました。
歩くことが出来なくなると、途端に食欲も落ち、また痩せ細っていきました。
最後まで私自身で看取ることを前提に考えていましたし、介護保険も結局の所、現物でのサービスを利用できるだけなので、「必要な物は何も無い」と思っていましたが、歩くことができなくなったので、介護保険を利用し、【介護ベッドのレンタル】と、病院以外で死を迎えると色々と大変になる為、紹介状を書いて貰い、総合病院への通院を止め週一の【訪問介護】と2週間に一度の【往診の先生】を付けることにしました。
同時に、浮腫を和らげる為の【リンパ浮腫マッサージ】の方に来て貰う事にしました。
往診で来てくれる先生も、「もう長くない」との見立てで、「なるべく苦しまずに終わりを迎える」との方針に理解を示してくださり、「食事も摂れる時だけで良いでしょう。固形物に拘る必要も無いですし、カロリーを取れる飲み物だけでも良いと思います。薬ももう無理に飲まなくて良いと思います。その方が食事を摂らせなきゃとの思いもなくなりますしね。」との事で、薬を全て止めました。
訪問看護師の方が「終わりを迎えるにあたっての心構え」を纏めた冊子をくださいましたが、本当にその通りに変遷していくのですよ。
一日の内で寝ている時間が大半を占めるようになり、意識レベルが下がり、声を掛けても返答ができなくなり・・・言われていた死を迎える前兆の一つの、「顎で呼吸をするようになり、喉がゴロゴロと鳴り始める」の状態に12/7の午前中になりました。
「いよいよか。」
訪問看護師の方に状態を知らせると、「今晩か明日には。お別れをしたいであろう方々に連絡をしてあげた方が良いかもしれません。」と。
弟のシゲミツには連絡をして、シュンと一緒に来て貰いましたが、もう既に夜になっていた為、翌日の朝に母の兄弟達には知らせようと思っていました。
が、
母は21時30分(書類上の死亡時刻は往診の先生が来て確認した22時45分)に息を引き取りました。
1月~4月の圧迫骨折の時は痛がりましたが、それ以外では寝ている分には痛みを訴えることも無く、最後を迎える時も苦しそうな素振りは見せませんでした。
本当に、穏やかに、眠るように息を引き取りました。
この2ヶ月ほど、薬を全く止めていたからか、時期的なものかは解りませんが、痩せてしまってはいますが、顔も体も肌艶も良く、本当に穏やかで綺麗な死に顔です。
眠っているようにしか見えないほどです。
私自身、どう推移して行くかを事前に聞いていたからか、覚悟ができていたからでしょうか?
母が息を引き取った時も、全く涙が出ませんでした。
ただただ、「長い間、お疲れ様でした。」と母の頭を撫でてあげました。
最後まで面倒を看ることができたことは、私は幸せだったなと思います。
悔いは有りません。
弟のシゲミツだって、できることならば彼も母の面倒を看たかったのではないかと思いますしね。
私の情況を知る多くの方々は、「親孝行をしているね。」「良く頑張っていますね。」と言ってくださいます。
ですが、私の選択により、我が家の収入は激減した訳ですし、ややもすれば家族を路頭に迷わせる選択になったのかもしれません。
これは私たち夫婦に子供が居ないからできたことであり、子育てをする世帯ではできなかったことだと思います。
世の中の殆どの人達は、子育てをしつつ、仕事に励んで更に親の介護に追われているのです。よっぽどご苦労されていますし、多くの方々が大変な思いをしています。
私がしたことは、決して褒められたことではありません。
勤めていた会社には相当な迷惑を掛けましたし、他にも多くの方々に迷惑を掛けてきました。
申し訳ない気持ちでいっぱいですよ。
今日は母の通夜式を行いましたが、今日だけは空手の稽古をお休みにさせて貰いました。これまた申し訳ありません。
親族始め、お菓子屋時代の多くの社員、前職の社長、前職でお世話になったお客様に、我が道場の門下生とそのご家族、空手でお世話になっている多くの先生方に、弟の仕事関係の方々やお友達など、多くの方々に暮れのお忙しい中にも関わらず参列して頂きましたし、弔電やお花、お心遣いの品なども頂きました。
心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
皆さんには、まだまだ、沢山のご迷惑をお掛けすると思いますが、今後とも宜しくお願いします。
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剛柔流空手道 渡辺道場
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