≪黒歴史 小学生時代≫ 今さらながら自己紹介 | おしゃべりのプロフェッショナル中村ちあきの “ごきげんさんな毎日を”

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"可能性は無限大" 無理と自分にブレーキを掛けたらそこで可能性は不可能に。だけど[やってみよう]と挑戦して[できた]が生まれたら人生に喜びが生まれる。"可能性"を信じることは自分を信じるということ!限りある人生"自信"を持って生きると喜びが豊かになるよByちあき

こんにちは!

おしゃべりのプロフェッショナル

中村ちあきです

 

 

 

今さらながらの自己紹介

怒涛の5月本業に集中し

幼少期で止まっておりましたアセアセ

スミマセン・・・

 

 

人生を振り返る旅って

覚悟がいるものです

今からお話する黒歴史は特に泣

 

 

わたしの未だに引きずっている

様々な心のクセたちは

この時期に育まれたものが多く

それと対自すると仕事に支障がでると

蓋をしておりました

 

 

さぁ、パンドラの箱を開きます笑い

 

 

↑幼少期までは

平和で無邪気に毎日をすごしていた私

 

 

幼稚園に入園した年に妹が生まれ

小学生になると弟が生まれた

 

この頃から母の目は私をスルーし

妹と弟だけに向くようになっていた

 

 

3歳の時から母の実家で暮らすようになり

家には曾祖母、祖母そして叔母がいたし

教会に行けば色々な人が可愛がってくれるから

取り立てて淋しさなど感じたことはなかった

 

 

しかし・・・
教会附属の幼稚園を卒園し
公立の小学校に入学してから
どうも居心地の悪さを感じるようになった
 
 
そりゃ、そうだ 我が家は祖母を筆頭に
両親も叔母もクリスチャン
幼稚園でも食前にお祈りをするのが当たり前
 
そんな環境に育っていたので給食の前に
「皆さん、ご一緒に いただきます」
といきなり食事を始めることに戸惑った
 
 
カルチャーショックだった
 
 
弟が生まれた後、父の仕事の都合で
祖母の家を離れ自分の家族だけが
当時まだ目新しい団地に引っ越した
 
 
小学1年生夏休み明けの始業式
新しい学校に登校した
 
転校生という存在は注目を集める
「人気者」になるか
「いじめられっ子」になるか
 
ひょろっと背が高く泣き虫でドンくさく
ちょっと浮世離れしているのに
思った事を口にするヘンな子は
「イジメ」の標的になった
 
 
背が高いから教室では一番後ろの席で
休憩時間になると男子たちが寄ってくる
 
椅子に掛けた私のランドセルを
順番に蹴るのが恒例の遊びになった
 
最初の頃は「やめてよ!」と叫び
エンエン泣いていたんだけど
余計面白がられイジメがエスカレートした
 
 
祖母に買ってもらった
ピカピカの赤いランドセルは日に日に
黒ずみペッチャンコに潰れていった
 
 
それは毎日続き私は抗うのをやめ
蹴られる椅子にただ黙って座りながら
それが終わるのを待つようになった
 
 
あの振動を今でも覚えている
 
 
彼らにとって「イジメ」
ただの遊びのひとつ
おもしろがっているだけで
相手の気持ちなど全く考えない
 
 
子どものイジメは残酷だ
 
 
一方、私は
イヤだ、辛い、悲しい、
という感情と共に
なぜイジメるんだろう
という疑問があった
 
 
そこで、ある時 勇気を出して
その子たちに向かって尋ねた
 
「どうして同じ神さまの子どもで
 兄弟なのに意地悪をするの?」
 
幼い頃からそう信じて育った私には
純粋な疑問だった
 
 
でも、親分格の男子は勝ち誇った顔で
「オレの母ちゃんとお前のカーチャン
違うねんから兄弟のわけないやないか!
 ウソツキ!!!
と攻撃し、そこに先生を引っ張り込んで
私の言い分が間違っていると言わせ
クラス全員の前で「嘘つき」
レッテルを貼りつけた
 
 
ただ今、思えば若い女の先生だったから
子ども達に「親が違うのに兄弟か?」
と問い詰められたら生物学的に
NOと応えるしかなかったんだと思う
 
 
だけど当時の私はまだ小学1年生で
当たり前だと思っていたことを否定され
何が正しくて何が違うのかわからず
何を信じればいいのか途方にくれた
 
 
 
「うそつき事件」以来、
更にイジメに拍車が掛かり
あること、ないこと、ないこと、ないこと
勝手に陰口をたたかれたチーン
 
 
そんな私の救いは
絵を描くことだった
 
 
絵を描いている時は楽しかったし
なりたい自分を主人公にして
マンガもどきのお話を書くようになり
それが一部の友だちの間で人気になり
数人の仲良しにも恵まれた
 
 
しかし、母にとって
マンガは「俗物」
描くことも読むこともいやがられ
見つかった時には捨てられた
 

母にとって理想の娘は
勉強ができて誰からも好かれ
仲間内ではリーダー格の優等生
 
 
実際の私は
勉強が嫌いでいじめられっ子
クラスの中で浮いた存在
 
 
下の2人はまだ幼くて手が掛かる
夫は仕事仕事で子育ては丸投げ
助けてくれる身内も近くにいない
 
そんな不安や鬱憤のはけ口が
自分の理想とはかけ離れた
グズで役立たずの私だったんだろう
 
 
母の口ぐせは
 
「お姉ちゃんのくせに!」
「お姉ちゃんみたいになったらダメ」
 
 
母のヒステリックな声を聞くたび
心の中に黒くて重たいものが広がった
 
私が興味を持ったり好きになる事は
母にとってマイナスの物ばかりで
取り上げられ捨てられた
 
大好きな絵も母の目を盗んで
いつもコソコソと描いていたから
なんだか悪いことしている気分だし
 
 
知らず知らずのうちに
罪悪感が自分の心を
占めていた
 
 
だからといって私は日常を
卑屈に生きていたわけじゃない
 
相変わらずイジメは続いていたけど
自然に恵まれた環境で
友だちと探検ごっこをしたり
本が好きで空想の世界を楽しんだ
 
「長靴下のピッピ」や
「少女パレアナ」「ルシンダの日記」
ちょっと変わり者で楽しい事が好きな
お転婆な女の子に惹かれた
 
 
夏休みや冬休み、春休みといった
長期の休みになると一人で
祖母の家に行きそこで過ごした
 
私のことを丸まんま受け入れ
愛してくれたのが祖母と叔母だった
 
祖母の家で過ごす時間は
温かく楽しい時間だった
 
 
私の心の中にはいつも
希望の光があったように思う
 
 
こうして振り返ると
辛い思い出はやはり切なく
胸が苦しくなり泣けてくる
 
 
だけど、この暗黒期を歩んだ先に
今の私がいるのは間違いない
 
 
この小学校は1年生の2学期から
5年生終業式まで約5年弱過ごした
その間ずっとイジメられ嫌われ者だった
 
 
だけど「転校」という
ターニングポイント
一瞬にして人生を変える
 
 
そのお話はまた次回につづく

今日も最後まで読んで下さって

ありがとうございます!

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このあともごきげんさんな1日を!

おしゃべりのプロフェッショナル

中村ちあきでした