「Who's bad…… マイケル・ジャクソン死去に想う 後編」No.429
27日の読売新聞「編集手帳」の引用に、亡くなったマイケル・ジャクソンさんについて書かれてありました。・・・・・・・・・・群馬県高崎市で5歳の幼稚園児が誘拐され、遺体で見つかったのは1987年(昭和62年)の9月16日である。テレビのニュースで聞き及んだのだろう。その5日後、来日していたマイケル・ジャクソンさんは兵庫県・西宮球場での公演で、この男の子の死を悼み、「できればご両親のもとに出向き、お悔やみの言葉をささげたい」と観衆に語っている。宇宙から来た異星人のように歌い踊る若きスーパースターは当時29歳、社会面の短い記事を読み、優しい心に感じ入った覚えがある。奇行の噂(うわさ)と、醜聞と、孤独の影を身にまとうのは40代を迎えてである。急逝の知らせを聞く。50歳という。〈人生でいちばん危険なことは、 かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ…〉。富と名声を極め尽くし、傍目(はため)には生きていく愉(たの)しみを見つけあぐねて苦しんでいるようにも映った後半生を思うとき、ミヒャエル・エンデの童話「モモ」の一節が浮かぶ。あまりに早すぎる――と書きかけて、ためらうものがある。痛ましいほどに長く生きてしまった人を見ているような、奇妙な錯覚が脳裏を去らない。(2009年6月27日01時40分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20090626-OYT1T01208.htm・・・・・・・・・・すべての人が、幸福を求めて生きています。不幸になりたいと思って生きている人はありません。自ら命を絶つ人でさえ、死んだほうが幸せだ、と思って死ぬのですから。マイケルの人生を思うとき、あれだけの富と名声を手にしたのに、「彼は幸せだったのだろうか?」と疑問に思うのはなぜでしょう?あまりに大きな富と名声を手に入れたがための“不幸”と思うからでしょうか?前回、紹介した豊臣秀吉の一生にしても同じでしょう。天下統一、太閤という地位、日本中の金と財産を手に入れ、好き放題やった秀吉も、臨終は、「難波のことも夢のまた夢」と寂しい言葉を遺してこの世を去っています。大きいものを求めすぎるから、かえって“不幸”になるのでしょうか?「何ごとも、ほどほどがいいんだよ」そうアドバイスする人もあるかも知れません。しかし、世界的に比較すれば、日本の生活水準は、ほどほどどころではありません。イギリスで出版されているクロ―バル雑誌『MONOCLE(モノクル)』がこのほど、「世界で最も生活水準の高い都市ランキング」のトップ25都市を発表。ランキングの結果、世界で最も生活水準の高い都市となったのは、スイスのチューリッヒ。2位はデンマークのコペンハーゲン。3位に東京がランクインしました。同誌の編集長は、東京を高く評価していて、「東京は『世界一住みやすい巨大都市』と記述される都市」と述べています。東京以外の日本の都市では、福岡と京都がそれぞれ16位、22位にランクイン。25都市の中で、1つの国で3都市がランクインしたのは日本とドイツのみでした。私たちは、世界的に見て、かなり高い生活水準で生きていると言えるでしょう。確かに、各家庭に、テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、電子レンジ、パソコン、自動車、一人一人が携帯電話を所有している国は、そう滅多にありません。日本で生活していると、なかなか実感がわきませんが、フルタイム労働者で年収200万以下の人をワーキングプア(働く貧困層)と日本では言われるようですが、たとえ年収が200万円の人でも、世界人口の中では上位12%の中に入る大金持ち。(あくまで単純比較。当然、各国の物価は異なります)。参照サイト: http://www.globalrichlist.com/ほどほどどころではないことがわかります。現在、世界の経済大国と言われる日本も、イモのつるで飢えをしのいでいた時が、わずか60数年前にあったというのは、私ぐらいの世代でも、にわかに信じがたい事実でしょう。それが、懸命の努力によって、現在の豊かさを手に入れたわけです。実に驚くべきことです。62年の生涯で、百姓から太閤にまで出世した秀吉もすごいですが、60数年で、どん底から世界の経済大国にまでのぼりつめた日本は、もっとすごいかも知れません。じゃあ、果たして幸せか?ここで、冒頭の記事にあったミヒャエル・エンデの言葉が思い出されます。〈人生でいちばん危険なことは、 かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ…〉敗戦の日本の惨状から、誰が60数年後の豊かな日本を想像できたか?今の日本社会は、“かなえられるはずのない夢”が、次々と実現していった結果と言えましょう。しかし、そんな社会で、私たちは、うつ病の増加や、年間3万人以上の自殺者といった切実な問題に向き合わざるをえない状況にあります。必死の思いで努力し、欲しいものを手にしたはずなのに、幸せになれないのはなぜなのでしょう。考えさせるこんな小話があります。あるところに、愚かな金持ちがいた。有名な画家を訪問した時のこと。見事な作品の数々に感動し、自分もあのような絵を描いてみたい、と思うようになった。彼はまず、金にまかせて素晴らしいアトリエを建てた。そして高価なフランス製の絵の具など、必要な一切のものを買い集めると、そこへ閉じこもって一歩も外へ出ずに絵を描き続けるようになった。こうして数年がたったある日、彼は突然、近所の人にアトリエの参観を許した。珍しがって集まってきた人々は一様に驚く。どの絵も、小学生が描いたような稚拙なものばかりだったからである。聞けば彼は、アトリエや絵の具など、高級なものさえ集めれば、よい絵が描けるものだと固く信じ切っていた。ために、肝心の腕を磨くことを忘れていたというのだ。生け花や料理でもそうです。どんなにきれいな花をそろえても、生け方を知らねば美しく飾れない。高級な食材も、調理方法を知らねばおいしい料理は作れない。たとえ有り合わせでも、華の先生は美しく生けるし、名シェフはおいしい料理を作ります。材料の活殺は、それを使用する人の腕一つにかかっているのです。私たちが手に入れようと望んでいるものは、あくまで幸福の材料であって、それそのものがイコール幸福ではありません。仏教は、その材料が真に生かされる道を明らかにされた教えです。ミヒャエル・エンデは、「かなえられるはずのない夢が、かなえられてしま」ったことが「いちばん危険なこと」と言いました。しかし、その危険が、現状を見つめ直すチャンスとなり、真の幸福に向かう第一歩を踏み出すことになれば、闇に閉ざされた人生が光に向かって開かれる御縁と喜べるでしょう。■┓徒然なる ●┓┗● ひとり言┗■昨日は、富山県射水市の親鸞会館で、どなたでも参加できる仏教の教えを学ぶ講義がありました。うれしいことに、ブログを通じて、大阪でご縁のあった方が、富山まで来られて、今回のご縁に参加されました。仏教の教えにふれる機会があることは、本当にかけがえのないこと。毎月、全国各地から、富山での聞法の御縁を求めて多くの方が来られます。難しい言葉も、ひと言ひと言、噛み砕いて現代の言葉で解説されますので、「仏教とは、こういう教えだったのか」と驚かれることでしょう。世代を問わず、多くの方に聞いていただきたいと念ぜずにおれません。せっかく富山まで来られた皆さんにオススメなのは、おいしいお寿司、また今の時期は蛍がたくさんいますから、ご希望の方はご案内しますよ☆(*^-^) 皆さんのクリックのおかげで、ランク上昇中です。本当にありがとうございます。 今日も、あなたのクリックに感謝 すてきな一日をお過ごし下さい ★ミニまぐでメルマガ配信中!(ほぼ日刊です)【昨日より今日が前進 言葉で親しむ仏教講座】 携帯電話でも読みやすい1分で読める法話です。 仏教に親しみを感じるいろいろなエピソードを、 ほぼ日刊で配信しています。 ちょっとしたことで悩んだり、落ち込んだりするのが人間。 そんなに強いものではないですよね。 だけど、ちょっとしたヒントで、昨日より今日、一歩でも 前進できたら、きっとすてきな一日になるはずです。 メルマガの登録・解除は、こちら からどうぞ。 携帯の方は、ここに空メールを送って登録が出来ます。 QRコードをご利用下さい。 ↓ aM0094295@mobile.mag2.com □━●━○━●━□ ぴょんたの ひまわり日記■━○━●━○━■▼ 【mixi】 でも読めます☆ マイミク大歓迎です!! ▼ 【浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ】 親鸞会では、親鸞聖人の教えをお示しして、 『正信偈』や『歎異抄』の意味をわかりやすく解説しています☆▼ 親鸞会の仏教勉強会のご案内 どなたでも参加できる無料の勉強会です☆▼ ご相談・お問合せフォーム お気軽にお問い合わせください☆