中国が、尖閣諸島近海に浸入しているだとか、ロシアが領空侵犯したとか…
とかく領土領海問題は、国境付近、領海付近でおきがちだと感じてしまうが、もしかすると、内部から崩壊されていくのではないかという危機を感じている。
過疎化が進む中で、ふるさとの土地を手放す人は後をたたなくなってきた。荒れた農地、すまなくなった家屋、手入れの行き届かなくなった山林。
昔の人々にとって、土地こそが果実を生み出すもっとも重要な資産の一つだった。
田畑を耕し、種を植えれば、そこで米や野菜、果物がとれた。山に木を植えれば、それがやがて用材となり、自宅の材料として、そしてそれを売って自分たちの家計を潤してきた。
貯金をすれば利息が付くがごとく、田畑に労力を注げばそこから価値あるもの生み出されるわけだから。
しかし、貨幣経済が中心の社会の中で、そういった土から生み出されるものが、グローバル競争の中では、貨幣価値を生まないものになりさがってしまった。
その結果もつことは豊かさであったのに、もつことがその人の家計を圧迫するようになった。
だから、ひとはどんどんと手放すようになった。金を払ってでもどうぞもらってください…
そんなことも生まれてきた。
そんな中、日本というとてつもなく価値あるモノに目を向け始める人も出てきた。
外国人の存在である。
さきもいったように農地法や山林法など、一定の規制はもちろん存在はするが、個人の資産の売買そのものに規制はない。
だから、外国籍でそこに居住すらしない人でも、容易に不動産を手に入れられる時代になった。
その資産を手に入れる目的は何なのか、実のところよくわからないことでも、手に入れることができる。
私は、建設業がメインだが、不動産業の免許も持っている。
田舎暮らしをしたい…と言って手に入れる方は多いに歓迎である。そこに国籍も何もない。
そこに暮らせば、地域の共同体の一部として、義務も果たさなくてはならない。
しかし、そういった義務を果たす中で、コミュニケーションが生まれ、お互いの助け合いの中で人が生きていくことを実感する。
本来、人は一人では生きていけないのに、貨幣経済はそのことをときに忘れさせてしまう。
まして、そこに居住の目的もなく不動産を手にいれたとして、それを食い物だけにするのは、非常に悲しいことだし、許されるべきことではないように思う。
日本の領土が、あっさりと外国人に買われて、それは自分の土地だからと、傍若無人なふるまいなど許されるべきことではない。
実は過疎のムラからひたひたと忍び寄っている事実をもっと多くの人は知るべきだと思う。