LAKEBIWA100を振り返る その5 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。


1時間ほど、歩き続けたであろうか…



暑さもピークを越え、少し周囲も涼しさが出てくると、疲れのピークだと思っていた気持ちも少し和らぎ、なんとなく力を取り戻したような気がした。



前向きな気持ちが少し芽生えたので、とりあえずあきらめずに進む。



18時を過ぎると、周りも暗くなり、気温も急激に下がって、むしろ寒さも出てきた。



19時40分ごろ、第6エイド 北白川小学校に到着。



ここには、温かい飲み物、そして仮眠所があり、ここでも完全に横になって休むことができた。



20分ぐらい休んだであろうか…。

体力をある程度取り戻し、目もある程度冷めた。



つぎのエイドまでの間は、比叡山を含んだコースとなっていた。

この区間は、毎年、5月に開催される比叡山インターナショナルトレイルランとコースがかなり重複していたので、その先のコースレイアウトがある程度、先読みすることができたので、気持ち的にもずいぶんと楽になって前に進むことができた。

そして、意外なほどに、眠くならなかった。

比良山系にかけては、アップダウンがひたすら繰り返され、かなり疲労は重なったが、ただただひたすら前に足を運んだ。

 

4時30分ごろ 第7エイド 還来神社到着。

食料を胃の中に流し込み、また再び横になって30分ほど寝た。

 

この還来神社は、約140キロ地点。

ここまでくれば、もうゴールは目と鼻の先。

 

また、制限時間までもそこそこ余裕もある。

不思議なことに、疲れも感じなくなってきた。

 

ラスボス蓬莱山

標高300mぐらいから、1000mと、最後の最後に、一機に700mも昇る。

 

最後の力を振り絞って、あゆみを進めた。

蓬莱山にたどり着き、後ろを振り向くと、琵琶湖が眼下に広がり、一昨日から走ったであろう鈴鹿山脈や、比良山系などの山々が一望できた。

 

レースプロデューサーは、UTMBで女子で4位にも入ったことがある、丹羽かおりさんだ。

 

前のブログで、UTMB姉妹レースのCCCに出たことを述べたが、UTMBも最後の最後に、ラスボスの山があり、テッドオーヴァーンというモンブランが真正面に見える絶景ポイントがあるが、それに似たような最後の見せ場で感無量になった。

 

きっと、丹羽さんもUTMBのような演出をこのLAKEBIWA100でも再現したかったのだろうなぁと感心した。

 

びわ湖バレイの横を通り、あとはひたすら下るだけ。

そして、残り5kmの地点では、琵琶湖畔を走った。

 

最後になると、あれだけ疲労していたからだだったが、不思議と力が湧いてきて、最後の10㎞ぐらいはひたすら走ることができた。

 

11時頃 ゴールに到着。目の前は琵琶湖の波打ち際だった。

プロデューサーの丹羽さん自らが、完走メダルを首からぶらさげてくれて、握手もしてくれた。

 

トレイルランニングの大会に出始めて10年。

長い距離、短い距離、さまざま経験した。

 

100マイルの大会にも出るようになり、完走もできるようになった。

 

しかし、過去に出たどのレースよりも今回は過酷だった。

そして、過去で一番長い時間のレースでもあった。

 

そんな厳しいレース…

途中、完全にリタイヤも決めたレースでもあったのに、ヤマモトさん、ホリイさんの二人に、大いに励まされ、ゴールまでたどりつけた。

 

本当に二人には、助けていただいたのだと、心から感謝したい。

 

 

 

疲労困憊なのに、確かな充実感で気持ちがいっぱいになった。

 

何よりも代えがたい達成感にしばらく浸った…

 

私のツイッターのトップ画面は、LAKEBIWA100のゴールシーンだ。



 

少し大げさかもしれないが、自分が生きてきた人生の中で、これだけ充実感に満たされたのもそうそうない。

 

本当にすばらしく、また貴重な体験をさせていただいた。