UTMBへのあこがれの訳 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

先のブログで、ウルトラトレイルデュモンブラン(UTMB)に出たいが一心であることを述べた。

 

しかし、なんで、そんなにそこへのあこがれがあるのだろうと自分の内面を掘り下げてみることにする。

 

スポーツ選手であれば、オリンピックに出たいとか、ワールドカップで活躍したいとか、そういう憧れって少なからずあると思う。

 

しかし、自分がやっているスポーツで、『世界』を意識して戦える人っていうのは、限りなく少ないと思う。

 

私の場合、それがアルペンスキーだった。

 

幼少の頃からアルペンスキーを続けている。

 

学校が終われば家に帰り、まだリフト営業が続いている時間だったので、制服を着たままゲレンデ行って、スキーをするのが最高の遊びだった。

 

世の中にこんな楽しい遊びを他には知らなかったこともあって、夢中で直滑降するのが楽しかった。

 

小学1年生だったと思う。

 

地元の町民スキー大会に出場したのが、スキー大会に出た最初だったと記憶している。

 

レースの世界を初めて体験し、早く滑るということがさらに楽しくなった。

その延長で、レースにどんどんのめり込んでいった。

 

中学1年のとき、県の中学大会がああって、3年生の先輩たちが、次々と失敗し、まぐれで県大会に優勝してしまった。

しかし、そのときには、全国中学というさらに上の大会があることを知らなかった。

 

それまで、県大会しか知らなかった私は、有頂天になって、自分は世の中でも相当速いのだという自負があった。(もちろんそれは錯覚なわけなのだが…)

 

中学3年のとき、はじめて全国中学の切符を手にし、出場した。確か40番ぐらいだっと思う。

 

 

そのときにはじめて、自分はうまいかもしれないという勘違いを、いい意味でぽっきりとへし折られた。

 

そのとき、ただ素直にもっと上を目指したいという欲望が芽生え、高校に進学しても、ひたすらに上を目指して頑張っていたと思う。

 

兵庫県というある意味スキーの業界からするとマイナーな場所だったゆえ、県では割と上位に入っていたこともあって、それが自分のモチベーションで、がんばることができたように思う。

 

高校3年のときには、(他に出る人がいなかったことも幸いし)はじめて、兵庫県代表として、国際大会に出場した。

 

当時、ラークカップというタバコメーカーが協賛のFIS国際スキー連盟の大会に県枠で出場することができたのだ。

 

日本はバブルの真っただ中にあったこともあり、ウルスレーマンとか、アニタバハターというオーストリアのスーパースターも招待を受けていて、同じコースを滑る機会を得た。

 

もちろんレーマンやバハターは、軽々とそのコースを滑って余裕でぶっちぎっていってたけど、そうやって世界の舞台を垣間見てしまった。

 

大学生になり、スキーを続けていて、日本で実施されるFIS(国際スキー連盟)主催のレースに出ることが目標となった。

実は今思えば、相当な勘違いだったけれど、大学では長野白馬地域などの同輩、先輩後輩がいたので、その友人たちは、FISレースを経験している人たちだったこともあり、もしかしたら、努力すれば、そういう世界に、少しぐらいは近づけるのじゃないかと思ったりもした。(それがけっこうな勘違いだったことは今になって思うことなんだけれど…)

 

 

そんなことを願いながらやってきた大学生だったが、結局、FISへ近づくこともなく終えた。

 

社会人となり、スキー中心の生活から仕事中心の生活になって、スキーの国内の最高峰からも遠ざかっていた。

ただスキーはその後も細々と続けていて、毎年、スキーの国体には兵庫代表として、45歳ぐらいまで出ることができた。

 

45歳を迎えたあたりで、スキー界の先輩から、

 

『今まで、選手でそれなりに来たのだから、今度は後輩の育成に時間を注げ』

 

と言われ、確かに、よわい45ではなかなかこれ以上の成績を望める可能性も少ないとその言葉を受け入れることにした。

 

トレイルランニングは、10年ぐらい前からも年に何レースかは地元の大会に出ていた。

 

ただ、なんとなく完全燃焼していない中で、トレイルランニングの世界にも世界を目指せる仕組みITRAというものがあることを知った。

 

2012年頃だったと思う。

スポーツショップが主催する展示会に、地元の観光協会で、㏚するブースを出展するために参加していたおりに、ちょうど自分たちのブースの横の方だったと思うが、ノースフェイスの展示ブースがあり、DVDでウルトラトレイルマウントフジのドキュメンタリービデオを繰り返し流していたと思う。

 

昔からエンデューランススポーツには割と興味あったので、興味深く見ていたが、そのときはただそれで終わった。

 

なんとなくトレイル大会にも出て、そしてITRAの仕組みがあることを知って、その頂点に、UTMBがあることを知った。

 

40を超えたおっさんでも、もしかしたら、その大会を目指すことができるのではないかもしれない…

 

そんなことがふと頭をよぎり、先に言ったウルトラトレイルマウントフジの映像がフラッシュバックしてきた。

 

トレイルランの世界は、割と中年でも活躍できる場面が多い。

 

長距離というある意味年齢を重ねても、体力レベルがそんなに落ちないということ

そして、トレイルという特殊な環境は、完走してゴールすることが何よりもステータスなこと

さらには、そのトレイルランニングは、経験や戦略がとても重要で、年齢はむしろ経験という部分ではプラスになること

 

そういったこともあって、今の自分でも世界を意識できる唯一のスポーツであることが分かったということである。

 

一つ一つ積み重ねて次のステップが得られるのは、過去に自分がスキーで上を目指した仕組みに類似して、その当時達成できなかった『世界を目指す』ということを体験できているのかもしれない。

 

UTMBまでは、今の自分にはまだいろいろなハードルがある。

体力レベルも年々低下する中で、そこを目指せる期間もそう多くはないだろう。

 

しかし、世界を舞台に、を疑似体験できるこの機会をなんとしても楽しみたいのだ。