エイドに到着する前に、ボランティアスタッフが何事か大声で叫んでいた。
応援にしては、掛け声の感じがおかしいなと思ったが、スペイン語でしゃべっているのか、何を言っているかわからなかった。
第2エイドに到着。
しかし、ここで状況が普通でないことに改めて気づいた。
第1エイドでいた人の数よりも明らかに多い数の人数がそこに滞留していることに、気づいたからだ。
第2エイドから、選手はそこから次に向かっていっていなかったのだ。
次から次へと来る選手。
第2エイドは、比較的大きなテントだったが、ほどなくして、人でぎゅうぎゅうの状況になった。
あえて他の人には聞かなかったが(というより言葉が通じないから聞けなかったというのが正直なところか…)、次に向かって出発できない状況であることは理解できた。
おしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅうになりながら、時間だけが過ぎていく。
しばらくすると、組織委員の人らしき人が、全員に向かって大声で何か叫んでいる。
もちろんスペイン語だったので、それもわからなかった。
まわりに英語ができる人を捜し求め、何事がおきたのか聞いてみた。
(スペインで開催されていることもあり、やはり非英語圏の人が多かった)
待機せよとのこと。
それから、20~30分経ったであろうか。
今度は組織委員の人が、スペイン語と英語で選手全員に向かって話した。
『レースはキャンセルになった』
自分がついたころには、すでに第2エイドの制限時間1時間前ぐらいで、刻一刻とすぎていく時間に、おそらく、これから、レース再開とはいかないだろう…とは思ったものの、レース中止の知らせに複雑な思いがうごめいた。
相当な時間をかけて、スペインまでやってきた。
それが、突然の中止宣言。
しかし、一方で、第2エイドまでで相当な疲労を感じていて、次に行けるのだろうかという不安。
それが中止ということで、その不安が取り除かれたことによる若干の安堵感。
第2エイドから、第3エイドは、このレース前半の最大の山場だった。
標高2500mのところに向かって、ここから一機に登り越えなくてはならない。雷を伴った嵐は、落ち着く気配はなかった。
加えて、日没が進み、あたりは真っ暗な状況。
すでにスタートから、第1エイドまでの状況を上回るさらに厳しい状況を、この疲れた体で乗り越えるのは不安しかなかったのが正直なところだった。
複雑な思いが交錯したが、身動きとれない状況の中で、ただじっとしているしかなかった。
数百名の選手が同じエイドの中でじっとしていた。
大会事務局が準備するゴール地点までの輸送バスを今度はひたすら待つことになった。
第2エイド地点とは言っても、山道を分け入ったところに設置してあるエイド。
大型バスが走れるような道はなく、小型のワゴン車で何度も往復して選手を輸送しているので、一度に運べる人数は限られていて、ひたすら順番が来るのを待った。
レインウェアは着ていたものの、撥水機能はすでに失われ、汗で濡れた体でどんどん体温が奪われてくるのはわかったが、それはどの選手も一緒だ。
とにかく、その場所でひたすら救護車両を待ち続けた。
1時間30分は、いたと思う。
ようやく、自分の番がまわってきて、大会事務局が用意した車に乗り込み、スタート地点まで戻った。
大会事務局も、ある程度は想定してはいたとしても、イレギュラーな対応に、いろいろと苦心もされたのだろうと思う。
結局、ホテルに戻ったのは、夜中の1時ぐらいだった。
その時点では、雨も納まり、周囲は平静を取り戻していた。
大会事務局としても痛恨の極みだったのだろうと思う。
ただ、最初の方でも述べたように、大会主催者の判断で一つで、選手の命すら危ぶまれる中にあっては、中止はやむを得なかったのだろう。
実際、あの状況で高い標高の山に分け入っても、今の自分の実力では、次のエイドにはたどりつけなかったかもしれない。
翌日の朝も、その翌日も実によく晴れ渡り、暑さが逆に厳しさを増していくぐらいで、あの夜の出来事は狐につままれたような感じだった。
でも、これがトレイルランニングの厳しさなのかなとも思う。
結局、この大会の成果は、何も成し遂げられることもなく終わってしまった。
しいてあげるとすれば、大会の運営側に携わることもあるから、このような厳しい状況の中で的確な判断をするというリスク管理を考える一つのいい機会にはなったのかもしれない。
レースの一部を写真にとどめておこうと思って何枚かは撮っていたけど、あの雨では、スマホが水濡れで壊れる可能性もあったので、これもまたしかたがない。
トレイルランニングは自然の中でやるスポーツ。
時に、過酷な状況になることももちろんある。
だからキャンセルもあるということを改めて思い知る。
今回の大会では、50か国以上の国から、選手が集まったのだそうだ。
選手が身に着けるビブナンバーには、それぞれの国旗が印字されている。
地元スペインは当然として、ヨーロッパの各地から…スウェーデン、フィンランドの北欧の国旗もみかけた。
アジアからも、マレーシア、中国、台湾…
ほんとに世界各地から、この地に来ていた。
おそらくみんな残念な気持ちには変わりがない。
でも、これがトレイルランニングなのだ。
特に、数年前の中国での多くの人の死亡事故のこともあり、大会事務局は、そのあたりはかなり慎重になっていたのだと思う。
さすがに死ぬ恐怖とまではいかないが、自分にとっては相当に厳しい状況だったことには変わりない。
だから、この中止の決定は、尊重しなくてはならない。
ただ、トップの選手はこんな状況の中でも、あの前半の標高2500mを越えて、約50キロ地点まで到達した選手もいた。
トップと比較することはおこがましいけれど、まだまだ力不足であったことも否めない。
まだ、頭の中で整理しつくせてないが、自分の今後のトレイルランの取り組みついて、もう一度しっかりと見つめなおしたい…
そう思って、今回のval d'aran by UTMBの振り返りを終えようと思う。