最後まで責任をもつということ | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 

我々は、普段さまざまなものを消費する。

そして、当たり前だが、そういう消費活動をしていれば、必ずゴミが出る。

 

以前、

 

 

でも語ったように、私は日課でゴミを片付けているが、それは燃やすゴミで、ほとんどプラゴミには手をつけていなかった。

 

あまりにパンパンに膨れあがったプラゴミのゴミ箱を片付けようとしたが、ゴミ箱につっかえて、なかなか出せなかった。

力任せに、ひっぱりあげると、なんとか袋を取り出すことができたのだが、ゴミがあちこちに散乱して片づけているときのツイートだ。

 

ふと思った。

今まで、誰かがやってくれることを期待し、ずっと放置し続けた結果だ。

 

たまたま自分が今日、やってはみたものの、この後始末を普段誰かがやってくれているのだ。

 

そして、このゴミは、ゴミを出す日に、誰かがもっていき、そして、名前も知らない町の職員さんたちが、集め、リサイクルの現場にもっていく…。

 

うちの町では、ゴミ袋は有料なので、普段はその袋を買うということで、そのサービスに対して対価を払ってはいるものの、その先の行く末などに思いを馳せるなんてことは皆無だ。

 

よく考えれば、そういった人たちがなければ、私の会社や家はゴミであふれかえっている。

そんなふうに考えてみると、僕らは本当に無責任に生きているな…

 

そう思った。

 

もちろん、これからも、香美町のゴミ収集のサービスにはお世話になるし、決して自分でゴミを始末できるようなものではない。

しかし、意識の中でもっと自分たちがやる行動に対して、最後まで責任をもつという気概は持たなくてはならない

 

気概をもつならば、少しでもゴミが出ないような買い物に心がけ、モノやサービスはそのベネフィットを享受できるならば、それを使い倒して、天寿を全うさせていきたい。

 

社会は自分たちの想像超える大きさになって、そんな責任を考えずに、やっていける時代になってしまった。

もっと小さな社会であれば、循環は目に見え、もっと責任を持ってやっていくだろう。

 

あまりに循環が大きくなりすぎ、自分たちは目の前のことしか見えなくなった。

 

想像力を働かせ、可能であれば、小さな循環にリメイクし、そうやって責任ある形で生きていけるようにしていきたいと思う…