冬季に入り、暖房を入れる季節に入ってきた。
うちの会社では、薪ストーブを主たる暖房器具として使って、燃料は、現場から出る廃材だ。
焚き付けには、これまた会社から出るコピーの裏紙などを本来はゴミになっていくであろうものを使っている。
薪を燃やしたことのある人は良くご存じだろうが、太い薪に直接火をつけても、燃え上がることはない。
小さな火種を少しずつ大きくしていかなければならない。
なので、ああいう紙類も薪ストーブには大事な燃料なのだ。
また、週に何度か、管理している施設のゴミの搬出も私の日課としていて、ときに中を開けたり、中を取り出してして、分別し、またまとめる…と言った作業もやる。
ほぼ毎日ぐらいゴミにまみれる時間があると言っていいだろう。
うちのまちでは、ゴミを何種類かに分別しなくてはならない。
空き缶、空き瓶、ペットボトル、リサイクル可能なプラスチック系ゴミ、雑ゴミ、段ボールなどなど…(かなり細かいが全部は忘れてしまった)そして燃やすゴミだ。
分別する品目によって、回収日が決まっている。
そういったものに相対すると、その人の生活ぶりがよく伺えてくるから不思議だ。
分別を行ったり、カサを減らそうとする人。それとは対照的に、まったくそんなものなど気にせず、燃やすゴミにやってしまう人。
昨今、環境問題について話題にならない日はない。
そんな中にあって、それとは無縁の行動をとる人たちというのはいる。
その人たちの言い分もある。
自分ひとりが、どんなにがんばってみたところで、環境というグローバルな問題にあっては屁のツッパリにもならない
そういうこと言い分だ。
どんなモノをもち、どんなサービスを得ているのか…
そうやって見えてくる人柄。
一方で、何を、どのように捨てるのかという人柄。
実は、排出する中から見えてくる人柄が奥深い。